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第8話「小さな灯」

長い黒髪を無造作に一つにまとめた少女が、舞台中央へ進み出る。


⦅あの娘が、アルヴェインの?⦆

ルーカスが聞いた。


⦅ああ。マスターが残した学生のひとりだ⦆

マティアスが小さくうなずく。


ルーカスは観覧席のざわめきに耳を澄ませた。


エストレアのときの息を呑むような静けさとも、レグルスのときの浮ついた熱狂とも違う。


少女を取り巻いていたのは、期待という感情からは程遠かった。


「――また来たのか」

「三か月前もいただろう」

「その前もだよ。いい加減、諦めればいいものを」

「アルヴェインの学生だからな。フローラ女史がいなくなって言い聞かせる者もいないのさ」

「いくら落ちぶれたとはいえ学府を謳っているからには教師くらいいるんだろう?」

「若い女が一人いるだけだ。今や学府の体など成していないさ」

「『フローラ女史の酔狂な底辺学府代表』というわけだ」


⦅やけに馴れた笑い方をするな⦆


⦅初見じゃないしな⦆


マティアスの冷めた言葉が返ってくる。


⦅認定試験は、我がレーヴェンブルクの学府に籍があれば誰でも受けられる。どの国も優れた魔導士は喉から手が出るほど欲しいからな。三月に一度という頻度もそのためだ。あの娘も資格だけはあるということだ⦆


⦅資格だけは、か⦆


⦅ティナ・アシュフィールドは、その常連だ。毎回受けて、毎回――同じように落ちる⦆


ルーカスは観覧席をあらためて眺めた。


ほとんどの者が席を立ちはじめていた。残っている者も、これまでのような評価者としての目ではなく、見世物小屋にでも来たかのような態度を取りはじめていた。

それはローグとハイルも同様だった。


「フローラ女史もいったい何を教えていたのやら。実績のある者が優れた教師になるわけではないという典型ですな」


ハイルが呆れ半分、嘲笑半分といった様子で口にした。自分は決してそうはならないと言わんばかりの態度だった。


「ハイルよ、フローラ女子はここにいるマティアスと、そして《《あの男》》を育てた程のお方だ。我が国の偉大な功労者であることに違いはない。そうだろう、マティアス卿」


「どうですかな。私もまだまだ未熟な身ですし、《《かの者》》に限っては陛下をはじめ我が国の重鎮たちに歯向かい、震え上がらせたような人間です。ローグ公も奴にはずいぶん煮湯を飲まされていたはず」


「う、うむ。そうであったな」

ローグ公は肉付きの良い尻で何度か体を揺すりながら視線を逸らした。


「当時社交界に足を踏み入れたばかりだった私は遠巻きにしかお目にかかったことがないのですが、噂通りの人物ということですな」


ハイルがしたり顔でうなずくのを見て、マティアスも最もらしく相槌を打った。


「奴には近づかないのが身のためです」


⦅言ってくれるじゃないか⦆

ルーカスはアルヴェインの少女から視線を外さないまま言った。


⦅許せよ。俺にも立場というものがあるんでな⦆

まったくそうは思ってないようなマティアスの言葉を軽く聞き流す。


「とはいえマティアス卿もかの者も、人並み外れた才があった。しかし彼女の場合明らかにそうではない」

ハイルが薄ら笑いを浮かべながら言った。


ダール公が二、三度うなずきながら舞台へと目お向ける。


アルヴェインの少女、ティナ・アッシュフィールドが今まさに試験に臨もうとしていた。


「希望は時に大きな不幸となる。そうは思わんか」


「まったくそのとおりかと」


マティアスが答えるより早く、ルーカスが真顔でうなずいた。


「さすがマティアス卿が目をかけているだけのことはある」

ダール公が満足げにうなずいた。


ルーカスは、にこりとも笑わなかった。

その視線は、すでに舞台の上に戻っていた。


ティナ・アシュフィールドは、蝋燭の前に立ったまま、しばらくの間動かなかった。


その目は、蝋燭すら見ていない。


ほんの一瞬だけ、観覧席へと向けられたことに気づく。

それは、誰も気に留めないほど一瞬のことだった。

だがルーカスは、その視線の先が自分であることを知っていた。


⦅まあ、気になるだろな⦆


⦅どうした⦆


⦅なんでもない⦆


ルーカスは目を細めるようにしながら舞台の少女を見つめ続けた。



§§§§§



蝋燭の火に魔力を注ぎ、増幅し、周囲の灯火台へ飛ばして灯す。

自分以外の全員が、寸分違わず同じ課題をこなしてきた。


大丈夫だ、と。

ティナ何度も自分に言い聞かせた。


エストレアは、まるで息をするように必要な火を灯した。

レグルスは、蝋燭の火を燃え盛る炎にまで育て、操り、観覧席を沸かせた。


自分にそんな芸当ができないことくらい、わかっている。


(大丈夫、落ち着いて)


ティナが一礼する。

何度も何度も練習したことが分かる、几帳面すぎるくらいの礼だった。

笑われることを知っている者の、せめてそこだけは咎められまいとする態度。


いや、違う。

そんなことはどうだっていい。

そうすることで、いま目にしたものを必死に忘れようとしていたのだ。


(いったい、あの人は――)


観覧席に座っていた、若い男性。

もちろん、見たこともない人だ。


自分が目にしたことが、信じられなかった。

見事すぎるがゆえに、恐怖すら感じていた。


(あれが、人の成せる魔導なの……?)


「始め!」


試験官の合図で、慌てて我に返る。

そして、詠唱をはじめた。


(すべてを燃やし尽くす、劫火よ――)


忘れる事などできない、あの日の光景。

何度も繰り返し思い出して来た、自分が最も「火」という存在を想像できる出来事。


蝋燭の火が、ふっと膨らんだ。

想像の中の炎とは、あまりにも遠い。

それでも、ティナにとっては限りなく確かな灯だ。


観覧席の一部が、おや、という顔をする。

だが、すぐに憐れみと嘲笑のそれへと変わる。


膨らんだ火は、すぐに痩せ細っていく。

芯が細り、頼りなく揺れる。


ティナの視線は、火の大きさではなく、その輪郭に張りついていた。


火が揺らぐたびに、口元が何事かを囁く。

うつろな瞳が痙攣するかのような動きを見せる。


どこから魔力が抜けているのかを探るように。

そう、魔力の痕跡を辿るのは容易い。


問題は、足すべき魔力そのものが、あまりにも少ないことだ。


(お願い、もう少しだから――)


蝋燭の火が、限りなく小さな灯となって周囲の灯火台へと向かっていく。

少しずつ、震えるように、けれど確かに進んでいく。


「まるで火の赤子だな」


「俺の葉巻の方がよほど明るいぞ」


観覧席から、大きな笑い声が起きた。


まるでその笑い声が風を巻き起こしてしまったかのように、ティナが生み出したわずかばかりの明りが――消えた。


火は、一番近くの灯火台にも届かなかった。


試験官が淡々と再試行するよう告げる。

温情ではない。

規定上、二度の挑戦までは許されているだけのことだ。


ティナは、もう一度詠唱を行った。


(落ち着いて。集中力を乱さなければ、やれるから)


二度目の方がより集中力が高まっているのを感じる。

実際、先ほどより大きな火の塊を生み出すことができた。


(魔力の量と距離感はつかんだ。あとは出し尽くすだけ――)


「お、いいぞー」

「がんばれー!」


周囲の受験者たちから歓声が飛ぶ。

しかしそれは、純粋な応援などではなかった。


「おまえ、灯火台まで届かない方に賭けてなかったっけ?」

「だって、成功させてやりたいじゃん。魔力を操りきれなくて落ちたやつはめずらしくないけど、あんなか細い火しか生み出せなくて落ちるなんて……見てられないよ」

「そう言いながら見物してるじゃないか」

「だって、なんかもう名物みたいになってるし」


それは、嘲笑というより哀れみに近かった。

だが、そんな雑音も、今のティナにはまったく届かない。


完全に目の前の火と、そして自分のみが存在する、断絶された世界。


彼女は火を見ている。

ただ、火を見ている。


見た目にはそうだ。

だが、実際には違う。


火に注ぎ込んだ魔力の向かう先を、追う。

どの瞬間にゆらぎ、乱れているのかを、視る。

どこで自分の魔力がこぼれ落ちているのかを、察知する。


二度目の分かたれた火が、灯火台へ向かって進む。


先ほどよりも燃える勢いは増している。

しかし、より魔力を注ぎ込んだ分だけ、制御は粗くなっていた。


火の輪郭が崩れる。

それを補おうとして、ティナがさらに魔力を注ぎ込む。


しかし――


火は灯火台へ届く直前で、まるで空気にほどけるように散った。


「ああ、惜しい」

「惜しいか?」

「さっきよりは、まあ」

「見ているこっちがつらくなってくるな」


(まだだ、まだ私の生みだした火は残っている)

一度分かたれた火から、さらにもう一つの火を生み出す。


笑い声が、少しだけ弱まった。

その代わりに、別の声が増えていく。


「もういいだろう」

「誰か止めてやればいいのに」

「努力は認めるが、あれではな」


ティナは自身の命運をかけるにはあまりにも小さな火を、全身全霊の意識でもって操り続けた。

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