第4話「魔王討伐者の帰還」
「詳しく話せ」
エイミールはゆっくりと立ち上がり、テーブルの上のカップを片付けはじめた。
マティアスには、エイミールが務めて冷静に振舞おうとしているように見えた。
嵐の前の凪というのは、こういうことを言うのだろう。だが、マティアスも譲る気はなかった。
「おまえが何をしようとしているかによるな」
「マティアス」エイミールは背を向けながら言った。「わかっているだろう」
「もう一度言う。マスターが託したのはアルヴェインだ」
「もちろんだ。もう『いい大人』になった俺が、おまえを締め上げたうえで『マスターの死に関与した』相手を探して殺しにいくとでも思っているのか」
「思っている」
即答だった。
エイミールの唇がわずかに曲げる。
「少しは弟弟子を信用しろ」
「先ほど自分で言っていただろう、人間そうは変わらないと。最後まで話を聞くだけの分別は身に着けてくれたようだが」
「傾聴は女性を口説くための最も有効な手法だからな。あいにくと、おまえは男だが。それにマティアス・グラウナーほどの男が断定しないということは、そういうことなんだろうさ」
周囲を取り巻く空気が、次第に戻りつつあった。
分別がついた、というのもあながち間違ってはいないようだった。
「今のところ、証拠はなにもない。だが――」
「俺に伝えられる程度には、確信していると」
「ああ。詳しく話そうにも、十年ものあいだ王都から離れていたおまえに説明するのは骨が折れる」
「まずは戻って来いと、はっきり言ったらどうなんだ」
「先ほどからそう言っている」
「ばあさんがな。おまえはどう思っている」
「俺たちにとってマスターは常に正しかった。だろう? たとえ十年間おまえに腹を立てていたとしてもだ」
「今もか」
「おまえがほんのわずかにでも俺とマスターに引け目があるのなら、せめてマスターの遺したものを見に来るんだな」
マティアスはフローラの手紙を手に取り、再度エイミールに突き出した。
エイミールは驚くほど丁寧な所作でそれを受け取り、懐へとしまった。
マティアスにとってはそれで充分だった。
「……とりあえず、見に行くだけだ」
「ああ」
「それと、ばあさんのことで確証を得たら、まっ先に俺に教えろ」
エイミールの視線が、マティアスを射抜く。
「約束しよう」
マティアスは真剣な表情で続けた。
「では、おれとともにオルフェリアに戻るのだな?」
「いや、エイミール・ヴァレンはアルヴェインには行かない」
「おい」
さすがに怒りを募らせたマティアスをエイミールが片手で制す。
「俺がこのままの姿で王都に戻ることは、おまえも望むところではないだろう」
「もちろんだ、最悪国が割れる。俺もマスターもおまえが普通の方法で王都に戻るとは考えていなかったが……」
「ルーカスの姿を借りる」
「……なんだと?」
あまりにも懐かしい名前を耳にし、一瞬反応が遅れた。
「まったくの別人に成りすますこともできないわけじゃないが、常にその姿でいるとなるとさすがに魔力の消耗が大きすぎる。その点、兄なら顔も骨格も俺と似ているうえ、想像しやすい」
「……おまえにとっては都合がいいのかもしれんが、ルーカスの方が何というかな。今ごろ空の上から叫んでいると思うぞ。『頼むから勘弁してくれ』とな」
「あの品性公正な男がそんなことを言うはずがないだろう」
「ちょっと待て、ルーカスが死んだのは二十三かそこらだっただろう――おまえまさか、十以上若返るつもりか」
「ひがむなよ。兄弟とはいえ歳も外見も違えば見抜けるやつはいないだろう」
「いくら女が寄り付かないとはいえルーカスの姿を利用しようなどと――」
「誰がそんなことをするか!」
エイミールはマティアスに背を向け、階下へと降りていった。
マティアスが慌てて後を追う。
窓のない、地下室のような部屋だった。
部屋の造りよりも壁際の棚に無造作に置かれたものを見て、さすがのマティアスも絶句した。
「まさか、すべて魔道具か」
「ああ」
特筆すべきは、剣や杖、腕輪をはじめとする装飾品に埋め込まれている魔晄石だった。
これほど高密度かつ精巧に埋め込まれた品を目にするのは、マティアスも久しぶりだった。
「どこで手に入れた」
「ときおり散歩がてら、黒領で。自分で造ったりもしたか。女を口説くこと以外他にやることもなくてな」
「この出来ならひとつ売りさばくだけで一生遊んで暮らせるぞ」
「よく言う。おまえも俺も金など必要ないだろう」
「たとえばの話だ――何をしている」
エイミールは一枚の肖像画の前でじっと立ち尽くしていた。
「本人の姿を直に見ていたほうが擬態しやすい」
肖像画には、若かりし日のエイミールとよく似ている青年――兄のルーカスが描かれていた。
だが、確かにエイミールとは決定的に違っている。ルーカスは切れ長で優し気な目もとと、常緑樹の葉のような、深みのある緑色の瞳をしていた。
絵の中の彼は、樫の木にもたれかかりながら、やわらかな笑みを浮かべこちらを見つめている。
エイミールとは似ても似つかない。
「詐欺だな」
「黙れ老け顔」
「おまえもう三十五だぞ」
「俺はまだいける」
「そら、なにが『いける』だ。ルーカスの姿で何を企んでいる」
「おまえとマスターが望んだことだが!?」
「今のように魔力を遮断してしまえばいいだけだろう。王宮にさえ近づかなければどうとでもなるはずだ」
「王都とこことでは人口も魔導士の数も比べ物にならんだろうが。常時魔力を張り巡らせておくなんて面倒なこと、絶対にごめんだからな」
「常時擬態しているのは面倒じゃないのか」
「あたりまえだ。一旦姿を変えてしまえば魔導を解かない限りもとに戻ることもない。もっとも、消耗はするがな」
エイミールが口にした瞬間、その体が光に包まれていく。
現れたのは、肖像画と瓜二つの人間だった。
「……上級ごときでは扱うことすら困難な魔導でも、おまえにとっては魔力量の問題でしかないか」
「あまり人を万能扱いするな。肉親のように想像しやすく、かつ顔や骨格が似ていなければさすがにきつい――昔の俺には劣るとはいえ、さすがは兄弟。いい男だ」
エイミールが壁の鏡に向かってにやりと笑ってみせる。
「ルーカスが男前だったことは確かだが、おまえがそうだったとは聞いたことがないぞ」
「だから、そうひがむな。これは王都に戻るための、致し方ない手段だぞ?」
鏡に向かい、何度も顔や目つきの角度を変え、ときににやりと決め顔を浮かべてみせた。
「見た目は若かりしころの兄で、中身は年を食った弟とはな。年齢と人の悪さが滲み出てこなければいいが」
マティアスは心からの言葉を口にした。
エイミールはごほんと咳払いをしたあと、いかめしい顔で振りむいた。
「さらに言わせてもらと、ここへは模造体を残していく」
「ダミーだと?」
「俺がいなくなったことを監視隊のやつらに知れられたら大騒ぎになるだろう」
「できるのか」
再度エイミールの体が輝き、二重に見えたかと思うと、次の瞬間には二人のエイミールが両側からマティアスを見つめていた。
「……恐ろしく気持ち悪いことを除けば、完璧だな」
「そうでもない。見てのとおり魔力も半分になる」
「特務隊にはさすがに気づかれるのではないか? 常時おまえを監視していたやつらだろう」
「そう思いこませているだけだ。見渡す限りの大海原が実は湖だったとしても気づくやつはいないということだな」
「すまんな、俺のような凡人には到底思い至らない話だ」
「それより問題なのは、こことの距離が離れるほどダミーを維持するために必要な魔力量が増えてしまうことだ」
「擬態とダミーで常時魔力を消費し続けるということか」
「そういうことだ。ここにダミーを残したまま王都で擬態し続けるとなると……おそらく特級魔導士程度の魔力しか残らんだろう。いや、さすがにそこまでは落ちないか?」
この男にとっては我が国最強の魔導士たちも「程度」扱いにしかならないらしい。
「いいのか」
「他に方法がない」
「ならそうしろ」
「おまえは俺への扱いが雑すぎる」
エイミールはため息をつきながら言う。
「おまえの魔力が半分以下になろうと俺が心配するようなことが起きると思わんからな。なにせ『次代の魔王』だからな」
「『魔に魅入られた者は、必ず魔に堕ちる』」
エイミールが言った。
「仮に俺が魔族になったとしたら、あながち間違いとは言えないか」
「実にくだらない話だった」
マティアスは鼻で笑いながら続けた。
「アルヴェインの学生たちには、マスターから学府を受け継いだ者として紹介するつもりだったが……その若さをどう説明すればいい」
「とりあえず見に行くだけといっただろうが」
「今はそれでよしとしておこう。オルフェリアに入るための身分やその他もろもろはすべてこちらで用意する」
「あたりまえだ。いい暮らしができるよう、良きに計らってくれ」
「名はどうする気だ」
エイミールの尊大な言動は完全に無視した。
「ルーカス・ヴァレンでいい」
「おい、さすがにまずいだろう」
マティアスは慌てて言った。
「この国にヴァレン姓の人間がどれだけいると思っている。それに、ルーカスのことを知る人間もいない」
一瞬、二人のあいだに沈黙が流れた。
「仮に知っている人間がいたとしたら、一晩中語り明かしたいくらいだ――名もなき、本物の英雄の話をな」
エイミールは部屋の隅の収納棚から古びた外套を取り出し、羽織った。
そして、奥の木箱から一振りの小剣を取り出すと、その柄を額に当て、目を閉じる。
マティアスはその姿を黙って見守った。
もう一人の弟弟子が最後に身に着けていた、まさに形見だった。
どれほど交換な魔道具よりも、エイミールにとってなにより大切な品のはずだ。置いていくことなどできないだろう。
「いつ出る」
「できれば今夜、今すぐにでも」
「早いな、急ぐ旅でもないだろうに」
「だから、七日後には王立学府で魔導試験があると言っただろう。おまえにとっては茶番でも、我が国にとっては重要な行事なのさ。俺が参加しなければ何かと勘繰る者たちも出てくる。英雄エイミールには劣るとはいえ、俺も何かと注目されているからな」
地下室を後にする際、マティアスはエイミールが肖像画を見つめ、軽く頭を下げるのを目にした。
エイミールが王都を去ったことに対し、長いこと怒りを覚えていたのは、確かだ。
だが、マティアスもエイミールも、歳をとった。
人間そうは変わらないというのは、事実だろう。
だが、年齢を重ねるたびに身についていくものも、少なくないはずた。
フローラの死の疑惑について口にしていながら、エイミールとこれほど冷静に話し合うことができたのもそのおかげだろう。それでも、すぐに軽口を叩けるようになるとは、さすがに思っていなかった。
ならばせめて、エイミールの十年間が心安らかなものであったらいい。
それはマティアスの偽らざる本心だった。
「もし仮にだが」
マティアスが言う。
「おまえがアルヴェインを受け継いだとしたらどうする? 学生たちに何を教えてやるつもりだ?」
「そうだな、まずは簡単なことから始めるだろうな」
エイミールは、穏やかな声で言った。
「たとえば?」
「決まっている。『フローラ・ナイツェルの酔狂な底辺学府』などと呼んでくれた連中への見返し方ってやつを、骨の髄まで叩き込んでやるのさ」
エイミール・ヴァレンは、やはり何も変わっていなかった。
そして、案外やる気になっていた。
その日。
十年にわたり辺境の森で過ごしていた特級監視対象――魔王討伐者が、王都へ帰還した。
§§§§§
<報告書>
監視対象の起床を確認。前日に引き続き、ミラーナ夫人宅へ。
しばしのやりとりのあと夫人の説得に成功するも、ヘレナ女子の来訪により修羅場と化す。
補足:不運にも、同時期に口説いていたヘレナ女子と夫人との間に交流があった模様
婦人の家を追い出され、帰路へ。
自室に戻ってからは大きな動きなし。
大国レーヴェンブルクの上級魔導師ライア・ハーミストは、そこで静かにペンを置いた。
「変わりないか」
隊長レオルの几帳面そうな声が飛んでくる。
「本日も特別な動きはありません」
ライアは慌てて立ち上がり、答えた。




