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第3話「終焉のエイミール」

「魔王亡き後、大陸中の国々が自国の復興と国力の増強に躍起になっている。旧魔族領――黒領探索と侵攻はその最もたるものだ。人材の育成と確保は喫緊の課題であり、能力ある者たちや鼻が効くやつらはこぞって学府の創設に乗り出した。そんな連中にとってマスターは雲の上の存在であると同時に煙たい存在だったのさ」


「どうせまた口うるさいことを言っていたんだろう」


「今の学府の在り方に警鐘を鳴らしていたんだ。もっと『人』を育てるべきだ、と」


「ばあさんが言うのなら」

エイミールはぼそりと言った。

「そのとおりなんだろう」


マティアスはうなずきながら身を乗り出した。

「ならば引き受けるか」


「断る」


「この流れでか!」


「俺が王都オルフェリアに戻ればどれほどの騒ぎになるか、おまえが一番よくわかっているだろう。頭まで老け込んだか」


「十分わかっている。居ても立ってもいられない者たちが、あらゆる手を講じておまえと接触しようとするだろうな。ひざまずいて許しを請うか、駄目もとで暗殺に走るか……最も可能性が高いのは同じ手を使っておまえに去ってもらうよう働きかけることだろうな。仮にエイミール・ヴァレンが表立って敵対するというなら、我が国は間違いなく二つに割れる。そして、どのような決着に至るかも想像に難くない」


マティアスはあえてその先を口にしなかった。


「おまえがここへ来るというだけで何を勘繰られるかわかったもんじゃない」

エイミールが口を尖らせながら言った。


「そんなことを気にする玉か。俺が森に入ったときから『遮断』していたな。おまえにとっては特務隊の監視などあってないようなものだろう」


王都オルフェリアで正体を隠すことがどれほど面倒だと思ってる。今さら国王ヴァルハルトとやり合えっていうのか? この手紙がいつ、どんな状態で書かれたのか疑っているくらいだぞ。ばあさんだって俺が戻ればどうなるか、よくわかっていたはずだ」


「我が国の行く末を案じてくれるとは。さすが、自ら王都を去った人格者は言うことが違う」

マティアスは皮肉まじりの笑みを浮かべた。


十年前。


国王ヴァルハルトとその重鎮たちは、その強大すぎる魔導の力と、大陸中の人々から英雄として讃えられる輝きに対し恐れを抱くようになっていた。


「この者こそ、魔力に魅入られ、堕落した者たちの王――次代の魔王になりえる者である!」


いつの日かエイミールは、いわれなき悪名と戦わなければならなくなった。

だが、すべてを賭して平和の時代を切り拓いた男に、もはやそのような気概はなかった。


そして彼は、自ら王都を去った。

命がけで守った者たちへの落胆とともに。


「この男のどこが魔王なのか、今でも説明してほしいくらいだ。おまえもおまえだ。いくら面倒ごとが嫌いだったとはいえ、こんな辺境の森の中に引っ込むとは」

マティアスは吐き捨てるように言った。


それでもエイミールは、平然と肩をすくめるだけだった。

「押し付けられた名が恥ずかしすぎてな。それと――無償に故郷が恋しくなったのさ」


エイミールは外の森へと視線を転じ、軽く笑ってみせた。


当時王宮で起きた出来事を思うと、マティアスも強くは言えなかった。

「……戻ろうと思えば戻れるはずだ。大魔導師エイミールであればな」


「隣町の酒場へ口説きにいくのとはわけが違う。万が一ヴァルハルトに知られてみろ、賭けてもいいが大軍を率いて乗り込んでくるぞ」


「陛下におまえをどうこうできるとは思わんが、王都を焼け野原にされても困る。なんとかしろ」


「引き受ける前提で話を進めるな。悪いが俺はこの身燃え尽きるまで、女――愛に身を投じると決めた」


「今のおまえなど燃え尽きたあとの灰だろうが」


「女――愛への情熱はいまだ燃え続けている」


「その火の中に仕事をくべてやろうと言っている」


エイミールは椅子の背にもたれかかりながら天井を仰いだ。

「なあ、マティアス。おまえは俺が、マスターのようになれると思っているのか。この俺が教師? 馬鹿を言え。十年経とうが人間そうは変わらん。その自負もある。今までの俺とのやりとりでわかっただろう」


「ああ、あまりの変わらなさに辟易としている」


「俺という人間を知っていれば、教師になれなんて言葉は口が裂けても言わないもんだ。ばあさんも最期くらい遺言らしい言葉を残せってんだ」


「正直、俺もどうかとは思っている。お前が関わると面倒ごとの規模が大陸全土にまで拡大するからな。だが――」


マティアスは一旦言葉を区切り、まっすぐエイミールの顔を見つめた。

「おまえのことを誰よりも知るマスターは、そうは思わなかったんだ」


「だから聞いた。どんな状態でこれを書いたんだ、と」

エイミールはフローラの手紙を左右に振りながら言った。


「俺が見る限り、正気を失っていたとは思わなかったぞ」

マティアスは言った。


エイミールは手紙と、テーブルに並べられた五人の書類を目で追った。


「王都へは戻らない」


「エイミール」


「まだ聞いていないことがある」

エイミールの灰色の瞳が、マティアスを捉えた。


「マティアス。おまえほどの男が、なぜ自らここへ来た」


二人を取り巻く空気が、あきらかに変化した。


「さっきも言ったが手紙を渡すだけなら方法などいくらでもあったはずだ。信頼できる使者を立ててもいい。だが、おまえは自分の足でここへ来た」


エイミールが静かに続ける。


「俺に何を伝えにきた」


エイミールのもとを訪れると決めたときから、腹は決めていた。

だが、その言葉を伝えるには、目の前の相手に魔導を放ってみせるほどの胆力が必要だった。


「……マスターの死には、何者かが関与していた可能性がある」


今までの口調と変わらず言えたはずだった。

それでも、経験したことのないほどの震えが全身を駆け巡った。


紅茶の表面が振動もなく揺れたのを、マティアスは見逃さなかった。

騒がしいほど聴こえていた鳥のさえずりが、虫の鳴き声が、一斉にやんだ。

一瞬にして空気が張りつめ、冷気すら感じた。


マティアスは腹に渾身の力を込めながら口にした。


「それでもおまえは、この場に留まるか。マスターが最後まで守り、遺そうとしたものを見ようともせずに」


「マティアス」


その声は穏やかだった。

低く、静かですらあった。


「今の言葉を、冗談で済ませるにはいかないな」


「間違えるな。マスターがおまえに託したのは復讐ではない、アルヴェインだ」


マティアスは灰色の瞳を真っ向から受け止めながら言った。

視線を逸らせば、魔導で心臓を撃ち抜かれるような気さえした。


「わかっている」

エイミールは、かすかに笑った。

「だからまだ、ここに座っている」


しかし目の前に座っているのは、すでに弟弟子などではなかった。

かつて、数多あまたの魔族をほふり、その王を討った男。


魔王の時代を終わらせた英雄、『終焉のエイミール』が、そこにいた。

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