第98話 白石島(一)
海沿いの道を、南へ進んだ。
道、と呼べる場所ばかりではなかった。
古い石畳が波に削られている場所。
砂に埋もれた旧世界の道路。
崩れた橋の代わりに、流木を組んだだけの細い渡し。
潮で白くなった岩場を、慎重に歩く区間もあった。
それでも、山道とは違う。
右手には、いつも海があった。
遠くの海は荒れている。
白波が黒い岩へ砕け、海鳥がその上を大きく旋回している。
時折、沖の波間に黒い影が見えた。
魚なのか。
精霊獣なのか。
それとも、もっと別のものなのか。
見分けはつかなかった。
「海、ずっと動いています」
ツキハが言った。
「そりゃ海だからな」
「観測対象として、安定していません」
「安定している海ってあるのか?」
「記録上は、湖面のように静かな海もあります」
「それはたぶん、かなり運がいい時の海だ」
神威は海側を歩きたがらなかった。
波音が近づくと、サトの反対側へ回る。
けれど気にはなるらしく、何度も振り返る。
「怖いなら見なきゃいいだろ」
「わぅ」
「気になるのか」
「わぅ……」
サトは少し笑った。
「俺もだ」
◇
いくつかの漁村を巡った。
どの村でも、海の話は似ていた。
海は恵みをくれる。
だが、海は人間のものではない。
潮が変わる日には船を出すな。
白い泡が沖から逆向きに流れる時は、海の精霊獣が遊んでいる。
夜に海面で青い火が走る時は、魚を追うな。
サメの影を見たら、網を捨ててでも戻れ。
村ごとに言葉は違っても、言っていることは同じだった。
海には、決まりがある。
それを破れば、戻ってこられない。
サトたちは物資を買い足し、魚や海藻を食べ、月片の反応を確かめながら南へ進んだ。
月片の反応は、少しずつ強くなっている。
ツキハは夜になると、月片を手にして南の空を見つめた。
白兎端末は、まだ使っていない。
正確には、使いたがってはいるようだった。
だが、人目のあるところでは出したくないらしい。
サトはそのことに気づいていたが、何も言わなかった。
神威だけは、ときどきツキハの頭のあたりを見て、わぅ、と鳴いた。
「神威」
「わぉん?」
「余計なことを言うな」
「きゅうん」
ツキハは少しだけ目を細めた。
「何か言いましたか」
「言ってない」
「不審です」
「気のせいだ」
◇
三つ目の漁村を越えた日の夕暮れ、サトたちは大きな入り江へ出た。
入り江の奥には、これまでの村より少し大きな集落があった。
海を見下ろす斜面に家々が並び、中央には白い石を積んだ小さな社がある。
村の前には、古い防波堤が二重に伸びていた。
外側の防波堤は半ば崩れている。
だが、内側の防波堤は淡く光り、荒れた波を柔らかく受け流していた。
ごうん。
ごうん。
低い響きが、胸の奥まで届く。
「あそこだ」
案内役を買って出てくれた若い漁師が、沖を指した。
夕暮れの海の向こうに、黒い影のような島が見えた。
小さな島だった。
だが、その中央に白いものがある。
岩だろうか。
石だろうか。
夕日を受けて、かすかに光っていた。
「白石島だ」
漁師は言った。
「あそこには、昔から和魂さまがいると言われている」
「和魂さま」
ツキハが静かに繰り返す。
「海を鎮める白い石がお祀りされてる。嵐の前や、漁に出る前には、みんな遠くから手を合わせる。昔は年に何度か、神官が船で渡って社を清めていた」
「昔は?」
サトが聞く。
漁師は少し顔を曇らせた。
「今は行けねぇ」
「なぜですか」
「白い道ができたからだ」
サトは沖を見る。
島と陸の間は、今は潮に沈んでいる。
だが、海面の色がそこだけ少し違って見えた。
浅いのか。
砂があるのか。
それとも、別の何かが沈んでいるのか。
「以前は、船でしか行けなかった。潮も難しいが、慣れた者なら渡れた。だが少し前から、島と陸の間に白い砂州が現れるようになった」
「砂州」
「そうだ。潮が引くと、島まで道みたいにつながる。満月の夜には、ぼうっと光る」
若い漁師は声を落とした。
「それからだ。海の精霊獣が増えた。大物も寄るようになった。島の周りで、見たことのねぇ影が泳ぐ。白い道の下から、竹を叩くみたいな音がするって言う者もいる」
ツキハの胸元で、月片が淡く光った。
サトはそれを見逃さなかった。
「それで、立ち入り禁止に?」
「ああ。吉兆なのか、凶兆なのか、誰にも分からん。だから村では、白い道には近づくなって決めた」
「和魂さまの島なのにですか?」
「和魂さまは優しい。だが、海は優しくねぇ。神さまの島へ行く途中で海に食われたら、意味がねぇだろ。それに、精霊獣が増えたのは和魂さまがお怒りだからだって言うやつもいる」
それは、とても実際的な信仰だった。
サトは頷いた。
◇
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神威もたぶん尻尾を振ります。




