第97話 海へ(二)
集落では、物資を補給できた。
干し魚。
塩。
乾燥海藻。
貝を砕いて作った肥料。
古い港から拾った金具。
山側とはまったく違う品が並んでいて、サトは少し興味深かった。
神威は魚の匂いが気になるらしい。
干し魚の束の前で鼻先を動かしている。
「食べられないぞ」
「きゅうん」
「匂いだけだ」
「わぉん……」
店の女主人が笑った。
「匂いならただでいいよ」
そう言って、干し魚を神威の鼻先に近づける。
神威は、くん、と匂いを嗅いだ。
そして、なぜか満足げに尻尾を振った。
「変わった機械だねぇ」
「よく言われます」
昼食は、集落の小さな食堂で取ることになった。
木の卓。
潮で少し白くなった壁。
窓の外には、防波堤と荒れた海が見える。
出されたのは、焼き魚、貝の汁、海藻を混ぜた飯、そして皿の上に魚の姿を残したまま盛られた刺身だった。
ツキハが、その皿をじっと見た。
「これは……」
「魚の姿作りだって」
サトが言う。
「料理ですか」
「料理だな」
「カツザンの記録庫で、過去の脊椎動物亜門魚類解体新書に、同様の絵図を見た気がします」
「食べる前に思い出す本じゃないな」
「不適切でしたか」
「いや、間違ってはいないけど」
ツキハは、魚の姿作りを慎重に観察した。
「頭部と尾部を残し、可食部を薄く切り分け、元の形態を視覚的に保持しています」
「そう説明されると、急に研究資料みたいになるな」
「美しいです」
サトは少し意外だった。
「怖くないのか」
「怖くはありません。記録より、鮮明です」
「そっちか」
ツキハは箸を持ち、薄い身を一切れ取った。
しばらく見つめてから、口に運ぶ。
そして、目を瞬いた。
「……情報量が多いです」
「おいしい?」
「はい。海の味がします」
「そのままだな」
「適切です」
神威は床に伏せていた。
食べられない。
けれど、魚の匂いがするたびに耳が動く。
食堂の主人が、魚の骨を見せてくれた。
「これは食うなよ。見るだけだ」
「わぅ」
神威は真剣に骨を見ていた。
何を学んでいるのかは、サトにも分からなかった。
◇
物資の補給を終えると、サトは村人たちに聞き込みをした。
月竹に近い反応は、ここよりさらに南から来ている。
ただし、正確な位置はまだ分からない。
白兎端末を使えばもう少し絞れるかもしれないが、ツキハは昼間からあれを装着することに少し抵抗があるようだった。
サトは、それについては触れなかった。
「このあたりで、変わった話はありませんか」
サトが尋ねると、最初に声をかけてきた漁師が腕を組んだ。
「変わった話か。海辺は変な話だらけだがな」
「南の方について知りたいんです」
「南か」
漁師は少し考える。
「そうさなぁ。ここよりもっと南へ行ったところに、沖に島が見える場所があるんさ」
「島ですか」
「ああ。昔から見えてはいたんだが、近づくもんじゃねぇって言われてた。潮が変だし、精霊流も濃い。漁師もあまり寄らねぇ」
ツキハが静かに聞いている。
月片は、服の下でかすかに光っていた。
「ところが最近、その島が突然、陸続きになっちまったって話だ」
「陸続き?」
サトは聞き返す。
「海の上に、白い道が出たんだとよ。砂州だか、精霊流だか、古い道だかは知らねぇ。満月の夜には光るって話だ」
「光る道……」
ツキハが小さく言った。
神威が耳を立てる。
「ただし、近づくな」
漁師の声が低くなった。
「精霊流が濃いのか、大物も出る。海の精霊獣も寄る。今じゃ立ち入り禁止だ」
「大物というのは」
「見たやつによって話が違う。でかい魚。長い影。白い鳥。海の下で光る何か。だが、みんな共通して言うのは一つだ」
「何ですか」
「海が鳴るんだとよ」
漁師は沖を見た。
防波堤の向こうで、荒れた波が砕けている。
「満月の夜、白い道の下から、竹を叩くみたいな音がするってな」
サトはツキハを見た。
ツキハも、サトを見ていた。
月竹。
その言葉を、ここで口に出す必要はなかった。
けれど、二人とも同じことを考えていた。
◇
その夜、サトたちは集落の空き小屋を借りた。
窓の外では、荒れた海が暗く揺れている。
防波堤が、ごうん、ごうん、と低く鳴っていた。
遠くの波音は、山の風とはまったく違う。
眠っていても、世界が動いていることを忘れさせてくれない音だった。
ツキハは月片を手にしていた。
淡い光が、指の間から漏れている。
「反応は?」
サトが聞く。
「南です」
ツキハは答えた。
「昼に聞いた、白い道の方角と一致します」
「やっぱりか」
サトは地図を広げた。
海沿いの道。
南へ続く線。
その先に、島と白い道の噂。
「明日から、海岸沿いに南へ進もう」
「はい」
「海には入らない」
「適切です」
「神威もだぞ」
「わぅ」
神威は小屋の床で伏せたまま返事をした。
海が気になるのか、耳はずっと窓の方を向いている。
サトは少し笑った。
「怖いか」
「きゅうん」
「俺も少し怖い」
神威が顔を上げた。
ツキハも、サトを見る。
「でも、行くんですよね」
ツキハが言った。
それは、カツザンで見習いに言われた言葉とよく似ていた。
サトは少しだけ黙った。
それから、頷く。
「行かないと、見えないことがあるからな」
ツキハは小さく目を伏せた。
「適切です」
外で、防波堤が低く鳴った。
ごうん。
ごうん。
まるで、海がその答えを聞いていたようだった。
サトは月片の淡い光を見つめる。
南へ。
白い道へ。
月の舟の声がする方へ。
旅はまた、次の場所へ向かおうとしていた。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




