第94話 月片の反応(二)
そして、ココッコとの別れの日が来た。
宿の裏庭で、神威は地面に伏せていた。
背中には、一羽のココッコが乗っている。
カツザンへ来てから、なぜか神威に懐いた鶏だった。
神威が日向で充電していると、いつの間にか背中へ乗る。
神威が作業部屋へ向かうと、後ろをついてくる。
神威が腹部パネルを開くと、首を傾げて覗き込む。
危ないので何度も引き離したが、そのたびに戻ってきた。
「……本当に連れていくのは無理だぞ」
「きゅうん」
「旅だ。危ない」
「わぅ……」
神威は名残惜しそうにココッコを見る。
ココッコは何も分かっていない顔で、神威の背中をつついていた。
宿の主人が笑う。
「また来た時に会えばいいさ」
「そうだぞ。カツザンにはまた来る」
「わぅ」
「たぶん」
「きゅうん」
「たぶんじゃ不満か」
ツキハがココッコを観察していた。
「ココッコは、神威の背部装甲を安全な高台と認識しているようです」
「それは懐いてるのか」
「不明です。ですが、神威は懐かれていると認識しています」
神威の尻尾が、少しだけ揺れた。
「なら、それでいいか」
サトは神威の頭を撫でた。
やがて宿の主人がココッコを抱き上げる。
神威は立ち上がり、数歩進んでから振り返った。
ココッコが、こっこ、と鳴く。
神威が、わぉん、と鳴く。
別れの挨拶としては、十分だった。
◇
旅立ちの準備が整い始めた夜。
ツキハは、月片を見つめていた。
宿の部屋には、薄い月明かりが差し込んでいる。
サトは地図を広げ、次の経路を考えていた。
西の遺跡は当面立ち入り禁止。
龍骨坑道も、まだ後始末が続いている。
カツザンでやるべきことは、ほとんど終わった。
そろそろ次へ進む時期だった。
「サト」
ツキハが静かに言った。
「どうした」
「月片に、反応がありました」
サトは顔を上げた。
ツキハの胸元で、月片が淡く光っている。
強い光ではない。
しかし、以前よりも明確だった。
「月竹の反応か?」
「はい。微弱ですが」
「なるほど。ようやく月竹側もエネルギーをチャージできたのか」
「それも、あると思います」
ツキハは少し言いづらそうにした。
その様子に、サトは首を傾げる。
「他にも何かあるのか」
「前に、大陸沼のあたりで、私の能力がもう一つあるとお話ししたのを覚えていますか」
「ああ。確かに聞いたな」
「はい」
ツキハは小さく頷いた。
「その……通信機能を増幅する端末を使えます。一時的に、月片の受信能力をブーストできます」
「そんなものがあるのか。良かったら使ってみてくれ」
「はい」
「ところで、なぜ言いづらそうなんだ?」
「いえ、言いづらいわけではありません」
「そうか?」
「隠していたわけでもありません」
「俺は隠していたとは言ってないぞ」
「……そうですね」
ツキハは少しだけ目を伏せた。
それから、胸元の月片に指を添える。
淡い光が、月片の内側で揺れた。
サトは思わず身を乗り出す。
「今のは?」
「月片の収納領域を開きました」
「収納領域?」
「はい。月片には、あらかじめ登録した小型装備を一時的に転送、収納する機能があります。容量は大きくありませんが、白兎端末や月衣の一部であれば取り出せます」
「そんな機能まであるのか」
「はい。ただし、使用には月片の状態が安定している必要があります。これまでは、十分に機能していませんでした」
「つまり、月片が回復してきた?」
「その可能性があります」
月片の光が、細い輪を描く。
次の瞬間、ツキハの手の中に白い端末が現れた。
髪飾りのようにも見える。
だが、左右に長い部品が伸びている。
サトはそれを見て、少し考えた。
「耳か?」
「耳ではありません」
ツキハが即答した。
「白兎端末です」
「白兎端末」
「月光通信と精霊圏航法を補助する観測端末です」
「なるほど」
サトは真面目に頷いた。
「構造はかなり小さいな。月片と連動するのか」
「はい」
「じゃあ、使ってみてくれ」
「……はい」
ツキハは、すっと頭に白兎端末を装着した。
月明かりを受けて、白い端末が淡く光る。
左右に伸びた部品が、ぴん、と立った。
どう見ても、兎耳だった。
「……」
サトは黙った。
「……」
ツキハも黙った。
部屋の隅で伏せていた神威が、顔を上げる。
「わぉん?」
「起動します」
ツキハは、少しだけ早口で言った。
白兎端末が淡く輝く。
ぴょこ。
右の耳が動いた。
ぴょこ。
左の耳も動いた。
サトは地図を見る。
ツキハの月片が光を強める。
白兎端末の先端から、細い月光の線が空中へ伸びた。
その線は、まっすぐではなかった。
何度か揺れ、細かく震え、やがて一方向を示す。
「……終わりました」
ツキハは小さく息を吐いた。
「具体的な位置は分かりません。ですが、カツザンから見て、この方向に……これくらいの距離感で、月竹に近い反応があります」
ツキハは地図を覗き込み、細い筆で印をつけた。
カツザンから見て、南西。
山を越えた先。
さらに、海の気配がある方角だった。
「南西か」
森都キョウからは西へ。山を4つほど超えたあたりに位置する。
あの上位精霊が運んだのだろうか。
サトは真剣な顔で地図を見る。
「まず西へ出て、山を越える。そこから海に出る道を探す形になりそうだな」
サトは地図に指を滑らせた。
カツザンの西。
山道。
谷筋。
そして、その先に広がる海側の地域。
「直接南西へ突っ切るのは危ない。山が深いし、旧道が残っているかも分からない。まずは西へ抜けて海に出る。そこから海岸沿いの道を南へ下る方が現実的だ」
「遠回りですか」
「遠回りだ。でも、水場と集落が見つかる可能性がある。海沿いなら、旧世界の道や港の跡も残っているかもしれない」
サトは地図にいくつか線を引いた。
「月竹そのものか、それとも同じ規格の信号かは分からない。けど、手がかりではある」
「はい。月竹に近い反応、としか言えません。月竹本体か、月竹の部品か、あるいは月由来の通信残滓かは不明です」
「なら、まずは海を目指そう」
サトは地図の西側に印をつけた。
「山を越えて、海へ。それから南へ」
ツキハは小さく頷いた。
「適切です」
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神威もたぶん尻尾を振ります。




