第93話 月片の反応(一)
龍都カツザンでの日々は、慌ただしく過ぎていった。
その間、ツキハは何度か、胸元の月片に小さな違和感を覚えていた。
観測しようと意識を向けると、すぐに消える。
まだ、反応と呼べるほど明確なものではなかった。
西の遺跡の報告が終わったあとも、サトたちはすぐには旅立てなかった。
理由はいくつかある。
まず、神威の整備。
腹部パネルには霧の中で無理をした焦げ跡が残っていたし、脚部の接続部にも細かな歪みがあった。
ネルバの精霊焼けを緩和するために、調整パルスも何度も使っている。
大きな故障ではない。
だが、サトはそういう小さな歪みを放っておくのが嫌いだった。
「よし。右前脚、上げてみろ」
「わぉん」
宿の作業部屋で、神威が前脚を上げる。
以前より、ずっと滑らかに動いた。
ラプトル型狂機から取り外した脚部補助パーツは、神威の体にかなり馴染んでいた。
もちろん、完全ではない。
神威はもともと別の機械だ。
規格も違えば、動き方も違う。
それでも、サトが何度も調整し、ツキハが精霊流の乱れを観測し、神威自身が嬉しそうに動作確認を繰り返した結果、ずいぶん安定してきた。
そして、もう一つ。
サトは神威の腹部パネルを開いたまま、しばらく手を止めていた。
「……増えてるな」
「何がですか」
ツキハが横から覗き込む。
サトはピンセットの先で、神威の内部フレームの隙間を指した。
そこには、細い根のようなものがあった。
植物の根にも見える。
精霊流の結晶にも見える。
それが、金属の骨格に沿って、深く、静かに巻きついていた。
「前は、ここまでじゃなかった」
サトは慎重に外装を外す。
根のようなものは、神威の駆動軸や配線に絡んでいるように見えた。
けれど、不思議なことに、整備の邪魔をしていない。
むしろ、配線を避け、熱を持つ部分を避け、動く関節の隙間には入り込まず、まるで神威の構造を理解しているかのように伸びていた。
「絡まっているのに、邪魔していない」
サトは呟いた。
「まるで、神威の体を壊さないように育ってる」
ツキハは目を細めた。
「精霊反応が澄んでいます。以前より、根が深いです」
「根、でいいのか」
「適切かは分かりません。ですが、表現としては近いです」
神威が不安そうに、きゅうん、と鳴いた。
サトはすぐに神威の頭を撫でる。
「大丈夫だ。悪いものじゃない。少なくとも、今のところはな」
「わぅ……」
「ただ、成長してる」
サトは神威の背中を見た。
最初に芽を見つけた時は、背中に小さく出ているだけだった。
そのあと胸元にも生えた。
そして今は、外装の隙間や肩の付け根、首元の装甲の間から、細い芽がいくつも顔を出している。
ぱっと見で分かるほどではない。
けれど、整備するサトには分かる。
神威の体のあちこちから、ぴょこぴょこと小さな芽が出ている。
「お前、草になる気か」
「わぅ?」
神威は首を傾げた。
ツキハが真面目に答える。
「草ではありません。神威の意思と精霊流が、身体構造に定着しつつあるのだと思われます」
「分かるような、分からないような」
「神威は、多くの機霊と接触しました。白い列車、駅の結界、龍骨坑道の狂機、古い機械たち。それらの記憶や精霊流が、神威の中で反応している可能性があります」
「それで芽が増えた?」
「可能性があります」
神威は、自分の胸元の芽を見ようとして、鼻先を下げた。
だが、うまく見えないらしい。
「わぅ……」
「あとで鏡を見せてやる」
「わぉん」
神威の尻尾が揺れた。
その尻尾の付け根にも、小さな芽が一つ出ているのを見つけて、サトは少しだけ笑った。
「本当に、あちこちから出てるな」
「不適切ですか」
ツキハが尋ねる。
サトはしばらく神威の内部フレームを見ていた。
金属の体。
古い配線。
後付けの脚部補助パーツ。
その隙間を、壊さないように伸びる細い根。
「いや」
サトは言った。
「たぶん、適切だ」
神威が、わぉん、と嬉しそうに鳴いた。
◇
観測士講習。
これはカバネの一言から始まった。
「観測士。うちの若いやつらに、見る方を教えてやってくれ」
話がどんどん膨らんでいくのをみて、サトは最初、断ろうとした。
自分が誰かに教えるほど立派な観測士だとは思っていなかったからだ。
だが、ドーラ院長が笑って言った。
「いいじゃないか。西の遺跡で牙級を見て帰ってきた観測士だ。話を聞きたい若いのは山ほどいるよ」
「いや、俺ひとりでどうにかしたわけじゃ」
「それを含めて話せばいい」
結局、サトは観測院の小さな講義室に立つことになった。
集まったのは、若い観測士や見習いが十数人。
その中には、まだ探索端末の扱いもおぼつかない少年もいた。
サトは少し緊張した。
神威は講義室の端に座っている。
なぜか胸を張っていた。
「お前が講習するわけじゃないぞ」
「わぉん」
どうやら助手のつもりらしい。
ツキハは壁際に立ち、静かに見守っていた。
サトは咳払いをした。
「侵食獣を見る時に大事なのは、強そうかどうかだけじゃありません」
若い観測士たちが、一斉に板へ視線を向ける。
サトは簡単な図を描いた。
霧級。
爪級。
牙級。
そして、精霊流の乱れ。
「何を削っているのか。どこを嫌がるのか。何を守ろうとしているのか。それを見ることが大事です」
一人が手を上げた。
「牙級を前にして、そんなに冷静に見られるものなんですか」
「見られません」
サトは即答した。
講義室が静かになる。
「怖いです。足もすくみます。手も震えます。だから、事前に見る場所を決めておくんです。足跡。精霊流の削れ方。攻撃された時の反応。守る部位。逃げる方向。全部を見ようとすると何も見えません。だから、一つずつ見る」
若い観測士たちは黙って聞いていた。
サトはピッケルを持ち上げる。
「道具は便利です。でも、道具が答えを出してくれるわけじゃありません。探索端末は記録を拾うだけです。その意味を考えるのは、人間の仕事です」
神威が、わぉん、と鳴いた。
タイミングが妙によかった。
若い観測士たちが少し笑う。
「ここにいる神威は、危険を先に拾うことがあります。ただし、神威も万能じゃありません」
「わぅ?」
「万能じゃないぞ」
「きゅうん」
「しょんぼりするな。お前にはお前の役割がある」
サトがそう言うと、神威の尻尾がまた少し動いた。
講習の最後に、ひとりの見習いが言った。
「サトさんは、戦えないのに怖くないんですか」
サトは少し困った。
「怖いよ」
「でも、行くんですよね」
「行かないと、観測できないことがあるからな」
自分で言って、少し驚いた。
前なら、こんなふうには言えなかったかもしれない。
壁際のツキハが、ほんの少しだけ目を細めていた。
◇
古い機械の修理も、いくつか頼まれた。
観測院の記録端末。
市場の水汲みポンプ。
宿の裏手にある加熱板。
荷車の軸に使われていた旧世代の小型制御輪。
カツザンには、古い機械が多かった。
龍骨坑道から引き上げられたもの。
地下区画から見つかったもの。
古い避難施設で眠っていたもの。
使い方が分からないまま、生活に組み込まれているものもあった。
「これは、たぶん水量調整用の制御盤ですね」
「水量?」
「ええ。今は全部手動で開け閉めしてますけど、昔は水の流れを自動で調整していたんだと思います」
「直るのかい」
「一部なら」
サトがピッケルを差し込み、ツキハが精霊流の流れを読む。
神威は尻尾で工具を渡す。
そのたびに、町の人たちは驚いた。
「この機械狼、工具の名前が分かるのかい」
「分かっているというより、サトの手の動きを覚えています」
ツキハが説明する。
「賢いねぇ」
「わぉん」
神威は誇らしげだった。
修理が終わったあと、水汲みポンプから澄んだ水が勢いよく流れ出した。
周囲の子どもたちが歓声を上げる。
神威もつられて背面のLEDを光らせたので、サトが慌てて止めた。
「ここで光るな。水場だ」
「わぅ……」
「嬉しいのは分かる」
ツキハがぽつりと言った。
「神威は、褒められると発光したくなる傾向があります」
「傾向じゃなくて癖だな」
「適切です」
◇
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




