第91話 霧の結界(二)
「さて」
ディエンが記録板を手に取った。
「報告を整理します。まず、問題の霧について。あれは侵食獣の巣だったのですか」
「不適切です」
ツキハが言った。
全員の視線が向く。
ツキハは静かに続けた。
「巣ではありません。侵食獣が自由に増殖する場所ではなく、むしろ閉じ込める構造でした」
「檻、ということですか」
ディエンが問う。
「檻に近いです。ただし、単なる隔離ではありません」
サトが言葉を継いだ。
「罠、だと思います」
「罠」
ドーラが眉を上げる。
「誰が仕掛けたんだい」
サトは少し考えた。
「誰、というより……あの駅そのものかもしれません」
部屋が静かになった。
ハヤテが腕を組む。
「駅そのもの、ねぇ」
ツキハが頷いた。
「西カツザン中央ターミナルでは、列車、線路、信号、駅舎、案内装置、それぞれの機械反応の境界が曖昧でした。ひとつの機械ではありません。複数の機械と記憶が、霧の循環を通じて群体化しているように見えました」
「つまり、駅全体が機霊化している?」
ディエンが確認する。
「その可能性が高いです」
サトは言った。
「あの霧は、ただの異常気象でも、侵食獣の巣でもない。駅に残った機霊の集合体が作った、結界なんだと思います」
「何のために」
「侵食獣を閉じ込めるためです」
サトは、霧の奥の黒い影を思い出す。
白い霧。
錆びた線路。
古い駅。
そして、食われていく霧級。
「閉じ込めて、眠らせて、長い時間をかけて削っていた。そう考えると、見たものがつながります」
ツキハが続ける。
「侵食獣は精霊流を削ります。しかし、あの霧の中では、逆に侵食汚染が霧の循環へ少しずつ溶けていました。浄化というより、摩耗に近い現象です」
「削っていた、か」
ドーラが低く言った。
「機霊たちは、侵食獣と戦っていたのではなく、閉じ込めて、時間をかけて弱らせていた」
「はい」
サトは頷く。
「旧世界の駅です。人を運ぶ場所だった。たぶん、戦うための施設じゃない。だから、倒すんじゃなくて、迷わせて、眠らせて、外へ出さないようにしていたのかもしれません」
ハヤテがぽりぽりと頬をかいた。
「駅が迷路を作るってのは、なんとも嫌な冗談だな」
「冗談で済めばよいのですが」
ディエンは記録板に何かを書き込む。
「では、今回なぜ霧級が外へ漏れたのですか」
「内部で異常個体が成長したためだと思います」
ツキハが言った。
「あの牙級は、霧級を吸収していました。少なくとも、私たちが目撃した時点では、他の侵食獣を取り込む性質を持っていました」
サトは続ける。
「最初から牙級だったとは限りません。結界内部に閉じ込められていた爪級、あるいは爪級相当の個体が、霧級を吸収し続けて牙級に至った可能性があります」
「そして、結界に傷をつけた」
ドーラが言う。
「はい。牙級が霧の循環に爪痕をつけた。そこに綻びができて、霧級が外へ漏れた」
「だから外縁で小型侵食獣の痕跡が見つかったわけか」
ハヤテが言う。
「筋は通るな」
ディエンが記録板を置いた。
「では、現在その綻びが消えている理由は」
部屋の中に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
サトはツキハを見る。
ツキハも、サトを見ていた。
「白い列車型の機霊です」
サトは言った。
「あれは、外から偶然助けに来た存在ではないと思います」
「どういう意味だい」
ドーラが問う。
「もともと、あの結界の一部だったんじゃないでしょうか」
サトの脳裏に、万葉の大地の白い流れが浮かぶ。
山の影。
鉄の骨鳴り。
唸る森。
白き流れは、記憶を運ぶ。
「あの列車型の機霊は、以前、万葉の大地で迷っていました。俺たちはその子を導いた。けれど、あれは本来、西のターミナルの結界に属する機霊だったのかもしれません」
「なぜ離れていた」
カバネが聞いた。
「おそらく、牙級の攻撃です。結界に爪痕がついた時、一部の機霊が分離した。駅の一部だった列車が、経路記憶を失って迷い出た」
ツキハが静かに補足する。
「万葉の大地で接触した際、白い機霊には経路の乱れがありました。私たちは、それを修復したというより、帰る方向を思い出させたのだと思います」
万葉の大地に機霊がいたのは、結界ができる前の経路記憶だったのだろうか。
「そして今回、その子が戻ってきて、あんたたちを外へ出した」
ドーラが言った。
「さらに、綻びも塞いだ」
「可能性としては、最も高いと思います」
サトは答えた。
ディエンはしばらく黙っていた。
それから、深く息を吐く。
「つまり、西の遺跡は、危険な廃墟ではなく、稼働中の封印装置である可能性がある」
「はい」
サトは頷いた。
「しかも、機霊が群霊化した駅全体による封印です」
「人間が管理していない、機霊による自律封印」
ディエンの声が少し硬くなる。
「扱いを誤れば、大事故になりますね」
「大事故どころじゃないよ」
ドーラが椅子に深く座り直した。
「下手に掘れば、中の侵食獣があふれる。封印を直そうとして壊す可能性もある。機霊たちが、こっちを敵と見なすかもしれない」
カバネが腕を組む。
「なら、触らん方がいい」
「同感です」
サトは言った。
自分でも、驚くほどはっきりした声だった。
「あれは、壊れていません」
ドーラがサトを見る。
サトは続けた。
「少なくとも、今は。俺たちには分からないやり方で、まだ働いています。侵食獣を閉じ込めて、削って、外に出さないようにしている。だったら、人間が下手に触るべきじゃない」
ディエンが問う。
「観測士としての意見ですか」
「はい」
サトは答えた。
「壊れているものなら直します。でも、動いているものを、分からないまま分解するのは違うと思います」
ツキハが隣で頷いた。
「適切です」
ドーラはしばらくサトを見ていた。
それから、少し笑った。
「いい判断ができるようになったじゃないかい。私も同意見さね」
サトは返答に困った。
「いえ、俺はまだ」
「そこは素直に受け取っておきな」
カバネが横から言った。
「不適切です」
ツキハが言った。
サトが驚いて振り向く。
「え、何が」
「今のサトの否定です。不適切です」
「そこ?」
「はい」
ハヤテが笑った。
「ツキハちゃんは厳しいねぇ」
「必要な訂正です」
神威が、わぉん、と鳴いた。
まるで同意しているようだった。
◇
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




