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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第89話 夢の列車(四)

サトの頭に、いくつもの顔が浮かんだ。


 修理した道具を受け取って喜ぶ村の人。


 歩けるようになった神威。


 救護室で眠れたと言った観測士。


 果物ばかり買ってきて、少し拗ねたツキハ。


 髪留めをつけて、小さく笑ったツキハ。


 そうだった。


 誰かが喜んでくれることは、あった。


 けれど。


「自分は……がんばれているんでしょうか」


「がんばっているよ」


 ユメは即答した。


「いつも一生懸命。私がずっと見てたよ」


 サトは目を開けた。


 がたんごとん。


 がたんごとん。


 旅は楽しい?


 あなたが作った脚を、とても気に入っているみたい。


 私がずっと見てたよ。


 サトははっとする。


「なぜ、そんなことを知っているんですか」


 ユメは笑っている。


「見ていた? どこで。あなたは……」


「うふふ。ごめんなさい」


 ユメは答えない。


「だってツキハったら、あなたのことばかり見てるのだもの」


「ツキハが?」


「うん。とっても」


 がたんごとん。


 がたんごとん。


 サトは思い出した。


 そうだ。


 自分たちは侵食獣に囲まれていた。


 牙級を倒した。


 けれど、帰れなくなって、霧級が集まってきて。


 それから、白い光に飲まれて。


「みんなは!」


「大丈夫」


 ユメはサトの頭を撫でたまま言った。


「全員無事」


「ここは……」


「前にあなたが導いた機霊の中」


 ユメの声が少しだけ遠くなる。


「あなたとツキハと神威が、この子を導いた。だからこの子も、あなたたちを導こうとしている」


 列車の速度がゆっくり落ちていく。


 キキ――。


 古いブレーキのような音。


 窓の外の景色が白くなる。


「どうやら着いたみたい」


 ユメは少し残念そうに笑った。


「たくさん話せて楽しかったわ」


「待って」


 サトは体を起こそうとする。


「もっと話したい」


「また会える」


 ユメはサトの額に指を当てた。


「ツキハをおねがい」


 その言葉は、前にも聞いた。


 万葉の大地で。


 白い列車のそばで。


「それと、あなたは弱くなんてない。とても強い人」


「俺が?」


「ええ。前に西の村の村長も言っていたわ」


「村長が?」


「強さとは、武力だけを指すものではない…てねっ」


 今のは村長のものまねだろうか。


 視界が白く染まっていく。


「ユメさん、あなたは――」


 問いかけは、最後まで届かなかった。


 がたんごとん。


 がたんごとん。


 列車の音だけが、遠くなっていった。


     ◇


「……ぅ」


 サトは目を開けた。


 空が見えた。


 霧ではない。


 白い天井でもない。


 夕暮れに近い、薄い空。


 頬に草が触れている。


 体の下には、柔らかい土。


「サト」


 ツキハの声。


 サトは起き上がろうとして、少しふらついた。


 神威がすぐそばにいた。


 心配そうに顔を寄せてくる。


「神威……」


「わぅ」


 神威の腹部パネルは閉じている。


 少し焦げたような跡があるが、大きな損傷はない。


 サトは周囲を見た。


 全員がいた。


 カバネは座り込んでいる。


 ネルバは銃砲を抱えたまま仰向けになっている。


 アドリィは杖を抱いて眠るように倒れていたが、呼吸はある。


 ハヤテは草の上で大の字になり、空を見ていた。


「……生きてる」


 ハヤテが呟いた。


「いやぁ、こいつは拾いものだ」


 ツキハはサトの隣にいた。


 顔色は悪いが、意識ははっきりしている。


「ここは」


「霧の外です」


 ツキハが言った。


「結界の外の丘の上です」


 サトは振り返った。


 少し離れた下方に、白い霧の森が見える。


 その奥に、西の遺跡があるのだろう。


 だが、もう霧の中ではない。


 見下ろせる場所にいた。


「どうやって」


 サトが呟くと、神威が小さく鳴いた。


 わずかに、白い流れが丘の端から伸びていた。


 余韻のように。


 線路のように。


 それはゆっくりと霧の中へ帰っていく。


 サトには、白い列車の尾が見えた気がした。


 がたんごとん。


 もう音はない。


 けれど、耳の奥に残っている。


「導いてくれたんだ」


 サトは小さく言った。


 ツキハが隣で頷いた。


「はい。おそらくは」


 サトはしばらく霧を見ていた。


 胸の奥に、ユメの声が残っている。


 ツキハをおねがい。


 あなたは弱くなんてない。


 とても強い人。


 サトはその言葉を、すぐには信じられなかった。


 けれど、忘れないようにしようと思った。


 神威が、そっとサトの手に鼻先を押しつけた。


 サトはその頭を撫でる。


「帰ろう」


 カバネが立ち上がった。


 ふらついている。


 だが、目はまだ強い。


「報告することが山ほどある」


 ハヤテが空を見上げたまま言った。


「その前に飯にしようや。生きて帰った時は、飯だ」


 ネルバが低く答える。


「賛成」


 アドリィは薄く目を開け、微笑んだ。


「私も、賛成です」


 ツキハがサトを見る。


「サト」


「何だ」


「夢を見ましたか」


 サトは少し黙った。


 ユメの名を、ここで言っていいのか迷った。


 けれど、ツキハの瞳は静かだった。


 何かを感じ取っているようにも見えた。


「列車に乗ってた」


「はい」


「そこで、ユメって人に会った」


 ツキハは目を伏せた。


 ほんのわずかに。


「そうですか」


「知ってるのか?」


「分かりません」


 その答えは、いつものツキハだった。


 けれど声は、少しだけ揺れていた。


「ですが、その名前は……懐かしい気がします」


 サトは何も言わなかった。


 霧の中へ帰っていく白い流れを見つめる。


 西の遺跡で何が起きていたのか。


 霧の結界は何なのか。


 牙級はなぜ生まれたのか。


 考えをまとめていく必要がある。


 けれど今は、全員が生きていた。


 それだけで十分だった。


 サトは立ち上がった。


 足元が少しふらつく。


 神威が体を寄せて支える。


「大丈夫だ」


「わぅ」


「帰ったら、お前も整備だな」


「わぅ」


 その返事は、少し嬉しそうだった。


 丘の上に、夕方の風が吹いた。


 遠くの霧の中で、鉄の骨が鳴るような音が、もう一度だけ聞こえた気がした。

 

 ◇

 

 サトの元から離れて、ユメは深い霧の中を歩いていた。


 足元は白く、空も白い。


 どこまで進んでも景色は変わらない。


 しばらく歩くと、霧の向こうに淡い光が浮かんだ。


 無数の文字列と図形が、暗い空間をゆっくり流れている。


 その中央に、一人の少女が座っていた。


 少女はユメの気配に気づくと、手を止めることなく問いかけた。


「どこに行っていたの」


「ツキハと、騎士さんと、ワンちゃんのところよ」


「また?」


「ええ」


 少女は流れる文字列の一部を指先でつかみ、別の場所へ移した。


「ずいぶん気に入っているのね」


 ユメは少し考えてから、微笑んだ。


「あの三人、いつも一生懸命なの」


「一生懸命?」


「ええ。分からないことばかりなのに、立ち止まらないの。傷ついても、迷っても、三人で前に進もうとしている」


 ユメは霧の向こうを振り返った。


 そこにはもう、サトたちの夢は見えない。


 それでも、白い霧のはるか先に三人がいるような気がした。


「見ていると、応援したくなるのよ」


「そう」


 少女は短く答えた。


 興味がないようにも聞こえたが、その指先はわずかに速くなっていた。


 空間に浮かんだ複雑な術式が、一つずつ組み替えられていく。


 黒く濁った精霊流。


 幾重にも閉ざされた命令経路。


 その中心に繋がれた、巨大な何か。


 ユメは少女の隣へ腰を下ろした。


「きっと、ここまでたどり着くわ」


 少女の手が止まった。


「根拠は?」


「ないわ」


「ないのね」


「でも、来ると思う」


 ユメは、当然のことのように答えた。


 少女はしばらく黙っていた。


 やがて、空間に浮かぶ未完成の術式へ目を戻す。


「そうね」


 小さな手が、再び動き始めた。


「それまでに完成させる」


「ええ」


 ユメも手を伸ばす。


 二人の間で、黒い精霊流を包み込むように、新しい術式が形を成していく。


 それはまだ、名前さえ与えられていなかった。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。



神威もたぶん尻尾を振ります。

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