第87話 夢の列車(二)
声は冷静だったが、顔色は悪い。
アドリィがすぐにカバネへ寄る。
「呪いが残っています」
「後にしろ」
「後にすると広がります」
「……なら少しだけ頼む」
アドリィは祈った。
回復ではない。
傷を治すのではない。
黒い染みが深く入り込まないよう、防御を編む。
カバネの腕を覆うように、淡い光が巻きついた。
ネルバは銃砲を下ろした。
腕に走る赤い精霊焼けが濃くなっている。
神威がそばへ寄り、もう一度、腹部パネルを開いた。
「わぉん」
淡い調整パルスが、ネルバの腕へ当たる。
ネルバは目を細めた。
「助かる」
それだけ言った。
神威の尻尾が少しだけ揺れた。
ハヤテは床に座り込み、短い息を吐いていた。
「いやぁ……今のは、年寄りにはきついねぇ」
「年寄りには見えませんが」
サトが言うと、ハヤテは苦笑した。
「気持ちの話だよ、観測士」
カバネがサトを見た。
それまでと少し違う目だった。
「観測士」
「はい」
「お前、うちのチームに来ないか」
「え?」
「戦えなくていい。見えるやつは貴重だ」
サトは固まった。
それに答えるより早く、ツキハが一歩前に出た。
「不適切です」
声が、いつもより少し早かった。
カバネは眉を上げる。
「だめか」
「不適切です」
「二回言ったな」
「サ、サトには重要な使命があります」
ハヤテが座ったまま笑った。
「こりゃ、帰ったらうちも観測士を探すかねぇ」
ネルバが短く頷く。
「必要だ」
サトは少し困ったように笑った。
「俺は、まだまだです」
「正直、牙級は撤退も考える相手だ。お前もよくやったさ」
カバネはそう言って、肩を押さえた。
「だが、今は後だ」
◇
牙級を倒した。
だが、霧は晴れなかった。
むしろ、濃くなっていた。
アドリィが杖を握り直す。
「結界の流れが乱れていますね」
「牙級を倒したからか?」
サトが聞く。
「分かりません。ただ、何かが崩れたような感覚があります」
ツキハも周囲を観測していた。
「入ってきた綻びは?」
「見えません」
「見えない?」
「はい。さきほどの戦闘で、霧の構造が大きく変わりました。牙級の崩壊により霧の結界がより強固になっています。」
サトは振り返った。
来た道が、分からない。
同じ柱。
同じ線路。
同じ霧。
ハヤテが打った杭を探す。
いくつかは見えた。
だが、距離がおかしい。
近くにあるはずの杭が遠くに見える。
遠くにあるはずの杭が足元に見える。
そもそも、どれが本物なのか分からない。
「道は」
ハヤテが舌打ちした。
「分かる範囲では戻れる。だが、この霧じゃ確信が持てねぇ。」
アドリィの顔色はかなり悪い。
ネルバの腕には精霊焼け。
カバネは肩と腕を押さえている。
ツキハも月光糸の負荷で疲れている。
サトのピッケルも熱を持っていた。
神威だけが動けそうに見えたが、腹部パネルの光はさっきより弱い。
全員が疲れていた。
勝ったのに。
牙級を倒したのに。
帰れない。
サトの喉が乾く。
そのとき、霧の奥で黒い影が揺れた。
一つ。
二つ。
三つ。
霧級だ。
さっきまで牙級から逃げていた霧級たちが、こちらへ向かってくる。
「集まってきている」
ツキハが言った。
「牙級の残滓か、私たちの消耗に反応しています」
「欠けたものに集まる」
サトは思い出した。
以前、ツキハが言っていた。
侵食獣は欠けたものに集まる。
傷。
疲労。
恐怖。
濁り。
今の自分たちは、まさに格好の餌だった。
「近くに大型はいません」
ツキハが言う。
「ですが、霧級反応が複数。少しずつ増えています」
「数は」
「正確には不明。少なくとも十以上」
ハヤテが笑った。
乾いた笑いだった。
「そいつは、笑えねぇな」
ネルバは銃砲を持ち上げた。
だが、腕が震えている。
アドリィが結界を編もうとして、膝をつきかけた。
「アドリィ!」
サトが支える。
「すみません。まだ、祈れます」
「無理するな」
「無理をしないと、持たいなかもしれません。状況的に」
その言葉が重い。
カバネが立ち上がった。
ふらついていた。
それでも、大槍を構える。
「後ろへ」
「カバネさん」
「一匹でも多く、道連れにしてやる」
サトは息を呑んだ。
カバネの目は、諦めていなかった。
だが、生きて帰る目でもなかった。
戦士として、仲間の前に立つ目だった。
「だめです」
サトは言った。
「ここはまだ死に場所じゃない」
「なら道を見つけろ、観測士」
カバネは笑った。
「それまで、私が立つ」
霧級の影が近づく。
神威が前に出る。
腹部パネルが開く。芽も光っている。
だが、光は弱い。
サトは神威の背中に手を置いた。
「無茶するな」
「わぉん」
その返事も、少し弱かった。
霧級たちの濁った呼吸が、霧の中で増えていく。
白い霧。
黒い影。
帰り道のない駅。
サトはピッケルを握った。
どうする。
何を直せばいい。
何をつなげばいい。
何がまだ生きている。
そのときだった。
遠くから、音が聞こえた。
がたん。
ごとん。
サトは顔を上げた。
がたん。
ごとん。
鉄の骨が鳴る音。
森が、ゆっくりうねる音。
神威が耳を立てる。
ツキハが目を見開く。
「この音……」
がたん。
ごとん。
がたん。
ごとん。
白い霧の奥に、光が差した。
霧級たちの影が、動きを止める。
いや、後ずさる。
白い光が、線路の上を流れてくる。
列車だった。
けれど、鉄の塊ではない。
白い精霊流のような。
古い記憶のような。
長い長い体を持つ、列車型の精霊獣。
あの白い列車はまさか、万葉の大地で出会った機霊…
サトは声を失った。
白い光が一行を包む。
霧が消える。
音が遠くなる。
がたん。
ごとん。
がたん。
ごとん。
そして、サトの視界は白に染まった。
◇
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




