第79話 出張リラクゼーション犬(二)
神威には、もう一つ友だちができた。
鶏だった。
宿の裏庭にいる、白くて丸い鶏である。
名前はココッコらしい。
まったくひねりのない名前だが、本人は気にしていない。
神威は最初、鶏に警戒された。
羽を膨らませ、首を伸ばし、けたたましく鳴かれた。
だが、神威は動かなかった。
ただ伏せて、腹部パネルをほんの少しだけ光らせた。
やがて鶏は落ち着き、神威の背中に乗った。
なぜ乗ったのかは分からない。
それ以来、神威が裏庭に行くと、鶏が背中に乗るようになった。
「何してるんだ、お前」
「わぅ」
神威は少し困った顔をした。
背中には鶏がいる。
鶏は堂々としていた。
「どけって言えばいいだろ」
「きゅうん」
「言えないのか」
「わぉん……」
ツキハが観測した。
「神威は、鶏に配慮しています」
「配慮」
「はい。急に動くと落下すると判断しています」
「優しいやつだ」
神威の尻尾が少し揺れた。
鶏が背中の上で、こけ、と鳴いた。
こうして神威は、カツザンの宿で鶏にも懐かれた。
◇
ある日、サトはツキハに買い物を頼んだ。
「晩飯を買ってきてくれないか」
「私が、ですか」
「ああ。市場も少し慣れてきただろ」
「必要なものは何ですか」
「パンか米。肉か魚。あと野菜を少し。三人分……いや、神威は食べないから二人分だな」
「理解しました」
「変なものは買うなよ」
「変なもの」
「食べられるか分からないものとか、光ってるだけの石とか、用途不明の旧世代部品とか」
「不適切ですか」
「あぁ。晩飯としてはかなり不適切だ」
ツキハは真剣に頷いた。
「適切な晩御飯を購入します」
そして一時間後。
ツキハは果物ばかり抱えて帰ってきた。
赤い実。
青い実。
透明に近い白い実。
星の形をした黄色い果物。
切ると中から淡く光るらしい黒い瓜。
見たことのないものばかりだった。
肉はない。
魚もない。
野菜もない。
パンもない。
サトはしばらく黙った。
「ツキハ」
「はい」
「晩飯は?」
「こちらです」
「果物だな」
「はい」
「全部?」
「はい」
「興味深かったのか」
「非常に」
ツキハは少しだけ目を輝かせていた。
「この赤い果実は、外見に反して中身が白いそうです。こちらの星形の果実は、切断面が五角形になります。黒い瓜は夜になると微弱に発光すると聞きました」
「なるほど」
「適切ですか」
サトは果物の山を見た。
それからツキハを見た。
ツキハはまじめな顔をしていた。
まじめに、晩御飯を買ってきたつもりなのだ。
サトはこらえきれずに笑った。
「ははっ」
「……なぜ笑うのですか」
「いや、悪い。ツキハらしいなと思って」
「不適切でしたか」
「晩飯としては少し不適切だな」
「少し」
「かなり」
ツキハは目を伏せた。
ほんの少し、拗ねたように見えた。
「私は、食用可能なものを購入しました」
「それはそうだな」
「市場の人も、おいしいと言っていました」
「たぶん本当にうまいんだろうな」
「では、なぜ笑うのですか」
「かわいいから」
言ってから、サトは少し固まった。
ツキハも固まった。
神威だけが、わぅ、と鳴いた。
尻尾が揺れている。
「……今のは」
ツキハが言う。
「比喩ですか」
「いや」
「観測対象としてですか」
「違う」
「では、どういう意味ですか」
「……晩飯を買いに行って、興味深い果物ばかり買ってくるところが、ツキハらしくていいと思った、という意味だ」
ツキハは少しだけ沈黙した。
「適切ですか」
「俺は、適切だと思う」
「そうですか」
ツキハは果物を机に並べた。
顔はいつも通りに見える。
だが、耳のあたりが少し赤い気がした。
その日の晩飯は、ほとんど果物になった。
結局、サトがあとで屋台へ走り、串焼きとパンを買い足した。
◇
その翌日、サトは市場へ一人で出た。
ツキハには、神威の調整を見ていてほしいと言ってある。
本当は、それだけではなかった。
助けてもらった礼をしたかった。
竜骨坑道で、サトが大型狂機に追いつかれかけたとき。
ツキハは月光糸で狂機を縫い止めた。
無理をした。
あまり表情を大きく変えないツキハが、顔を歪めるほどの負荷を受けて、それでも止めてくれた。
もちろんサトも礼を言った。
だが、言葉だけでは足りない気がしていた。
市場の小さな飾り物屋で、サトは足を止めた。
髪留めが並んでいた。
木製。
金属製。
精霊石を使ったもの。
古い端末部品を磨き直したもの。
その中に、淡い銀色の髪留めが二つあった。
月の欠片のような色。
けれど、派手ではない。
小さな葉の意匠が入っている。
神威の芽にも、少し似ていた。
「これ、いくらですか」
サトは値段を聞いた。
少し高かった。
だが、買えないほどではない。
宿代と食費を頭の中で計算し、少しだけ迷って、それから買った。
◇
夕方。
宿の作業部屋で、ツキハは神威の腹部パネルを観測していた。
神威は伏せている。
鶏のココッコが、当然のように神威の背中に乗っている。
「……その鶏、いつからいるんだ」
「私が観測を始めた時点ですでにいました」
「追い払わなかったのか」
「神威が許可しているようでした」
「神威、許可したのか」
「わぉん」
「したのか……」
サトはため息をついた。
それから、ツキハの前に小さな包みを置いた。
「これ」
「何ですか」
「礼だ」
「礼」
「竜骨坑道で助けてもらった。あのとき、ツキハが止めてくれなかったら、俺はたぶん、ここにいない」
「任務上、必要な行動でした」
「それでも、助かった」
サトは包みを開いた。
銀色の髪留めが二つ、布の上に並ぶ。
ツキハはそれを見つめた。
長い沈黙。
「これは」
「髪留め。ツキハの髪に合うと思って」
「私にですか」
「ああ」
「機能はありますか」
「たぶん、髪を留める機能がある」
「それは髪留めなので当然です」
「そうだな」
「旧世代の観測端末ではないのですか」
「違う。ただの髪留めだ」
「ただの」
ツキハは、そっと髪留めに触れた。
「ただのものを、私に」
「嫌なら無理にとは」
「嫌ではありません」
返事は早かった。
サトは少し驚いた。
ツキハは髪留めを手に取り、しばらく眺めた。
「使用方法を教えてください」
「え」
「髪留めの使用方法です」
「俺もそこまで詳しいわけじゃないけど……」
結局、宿の女将に手伝ってもらうことになった。
ツキハの長い髪は、首元で二つに分けられた。
淡い銀色の髪留めが、それぞれを留める。
月光のような髪に、よく似合っていた。
女将は満足そうに頷いた。
「まあ、かわいらしい」
ツキハは鏡の前で固まっていた。
鏡に映る自分を、観測対象のようにじっと見つめている。
サトは少しだけ目を逸らした。
「……どうでしょう」
ツキハが二つにまとめた髪を少しつまみながら聞いた。
「適切ですか」
いつもの言葉だった。
だが、声が少し小さい。
ほんの少しだけ、恥ずかしそうに見えた。
サトは喉を鳴らした。
「お、おう」
「おう、とは」
「似合ってる」
「そうですか」
「かなり」
ツキハは鏡の中の自分を見た。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「適切です」
神威が、わぉん、と鳴いた。
尻尾が大きく揺れる。
背中に乗っていた鶏が、こけ、と抗議した。
◇
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




