第76話 断片の中の月(三)
「月竹は、一隻だけじゃなかったのか?」
ツキハは答えなかった。
記事を見つめている。
その沈黙が、答えのようでもあった。
「ツキハ?」
「分かりません」
「最大乗員数は六名って書いてあるな」
「はい」
「それに、地球・月往復用。公開記事があるなら、試作機一隻だけじゃない可能性が高い」
「はい」
ツキハは静かに頷いた。
「私の月竹が、唯一とは限りません」
サトは記事を見た。
月竹。
月の光を浴びた竹のような舟。
ツキハが地上へ来たときに使った舟。
その名が、古い新聞記事に載っている。
急に、ツキハの存在が遠くなった気がした。
サトの隣にいる少女。
いつも「適切ですか」と確認する少女。
神威を観測し、サトに休めと言うようになった少女。
その後ろに、月面計画や大企業や人造神の記録が広がっている。
サトは少しだけ息を吐いた。
「世界が、でかすぎるな」
ツキハは小さく頷いた。
◇
五日目、ルナ・リレーの記録にたどり着いた。
それは新聞記事ではなかった。
観測院が後世にまとめた断片記録だった。
紙ではなく、薄い金属板に刻まれている。
ところどころ欠け、何枚かは順番も怪しい。
ヨルドはそれを机に並べながら言った。
「これは、百年単位で観測院が拾い集めた通信記録だ。正しい順とは限らん」
「ルナ・リレーについて知っていることを教えて頂けますか」
ツキハが尋ねる。
ヨルドは目を細めた。
「月と地球の間に残された補正進路誘導端末群、と記録されている。月面施設、旧衛星、航行舟の位置補正を行うためのものだったらしい」
金属板には、断片的な記録が刻まれていた。
神蝕戦争終結後、およそ百年。
ルナ・リレーからと思われる通信ログは、断続的に観測されていた。
内容は単純な補正信号。
位置。
角度。
航路。
再計算。
誘導。
応答要求。
しかし、ある時期から記録は乱れ始める。
同じ補正を繰り返す。
存在しない航路へ誘導する。
月の位置と地球の位置を、古い時代のまま計算する。
精霊流の変動を、障害ではなく航路として扱う。
意味不明な再送。
無人応答。
そして、百年ほど前を境に、正常通信はほぼ失われた。
「狂機化」
サトは呟いた。
ツキハは金属板を見つめたまま言った。
「ルナ・リレーは、壊れたのではないかもしれません」
「どういう意味だ」
「補正を続けているのです。古い命令のまま。正しくない航路を、正しいと判断して」
「それで、ツキハの月竹を落とした?」
「拒絶ではありません」
ツキハの声は静かだった。
だが、どこか苦しかった。
「補正しようとして、墜としたのかもしれません」
サトは何も言えなかった。
悪意ではない。
壊れた善意。
正しいことをしようとして、取り返しのつかない結果を生む機械。
サトは神威のことを思った。
もし神威が壊れた命令だけを守っていたら。
もし、守ろうとする意思が、別の形に歪んでいたら。
それは、狂機と何が違うのだろう。
「サト」
ツキハが呼ぶ。
「何だ」
「神威は、違います」
サトは少し驚いた。
「顔に出てたか」
「はい」
「そうか」
「神威は、命令だけでは動いていません」
「分かってる」
「はい」
ツキハは少しだけ、声を柔らかくした。
「分かっているなら、適切です」
◇
六日目、月竹の目撃記録が見つかった。
それは一つの資料ではなかった。
世界各地の観測院から集められた、断片の束だった。
ヨルドはそれを「月竹らしき航行舟に関する未確認記録」と呼んだ。
未確認。
その言葉が示す通り、どれも確実ではない。
だが、無視できるほど弱くもなかった。
約二百年前。
世界各地の観測院で、月竹らしき舟の目撃情報が複数記録されている。
白い竹状の光。
大気圏上層での精霊流の乱れ。
月光に似た航跡。
正体不明の落下物。
約百年前。
再び、似た記録が現れる。
数は少ない。
しかし、目撃された地域は広い。
そして別の記録板には、もっと具体的な断片があった。
百九十年前。
北アメリカ大陸の施設に突き刺さった巨大な竹状物体を冒険者が観測。
一部に月面素材と思われる白色外殻との情報。
大陸周辺精霊流の異常により上陸および接近不能。
九十八年前。
オーストラリア大陸にて、槍のような光が宇宙から落下。
観測院記録では、落下地点に強い白昼夢現象。
調査隊の報告は散逸。
五十年前。
南極圏の観測隊が、氷原上に竹状の白い構造物を確認。
月面素材との類似を報告。
観測開始。
以降の記録は欠落。
サトは記録を読み終え、長い間黙っていた。
「……一つじゃない」
ツキハは答えない。
記録板を見つめている。
サトは続けた。
「月竹は、一隻じゃない。少なくとも、月竹らしいものが何度も落ちてる」
「はい」
「はっきりしているのは、北アメリカとオーストラリア。それと、南極に途切れた記録がある」
「はい」
「ツキハ以外にも、落ちたものがいる可能性がある」
ツキハの指が、記録板の縁に触れかけて止まった。
「はい」
短い返事だった。
だが、その一音に、いくつもの感情が混ざっていた。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




