第77話 断片の中の月(四)
「それは……ツキハの姉妹か」
「分かりません」
ツキハは言った。
「月竹が複数あっただけかもしれません。無人機かもしれません。記録違いかもしれません。でも……姉が乗っていた可能性もあります」
「会いたいか」
サトは、聞いてから少し後悔した。
簡単に聞いていいことではなかったかもしれない。
ツキハはしばらく黙った。
「分かりません」
また、その答えだった。
だが、今度の「分かりません」は、知らないという意味だけではなかった。
「会いたいという感情が、適切なのか分かりません。ですが、確かめたいと思います」
「そっか」
「はい」
サトは地図を見た。
北アメリカ。
オーストラリア。
南極。
どれも遠い。
遠すぎる。
龍都カツザンから森都キョウへ行くのとは、わけが違う。
大陸が違う。
海を越えなければならない。
世界は、思っていたよりもずっと広かった。
◇
七日目、二人は古い神々と精霊圏に関する棚を調べた。
だが、しっかりとした記録はほとんどなかった。
精霊科学文明の中期ごろから、世界各地で未分類の精霊現象が報告されている。
科学では説明できない怪奇現象。
人造神と無関係に発生する精霊反応。
自然と動物が融合したような精霊獣。
虫のような小さな精霊群。
山や海や森で、ごく稀に観測される人格的反応。
しかし、それらの多くは脅威度低と判断されていた。
再現性なし。
研究優先度低。
人造神管理圏外。
記録には、そう書かれている。
「古い神々のことは、ほとんど分かっていなかったのか」
サトが言うと、ツキハは頷いた。
「精霊科学文明は、精霊圏を利用していました。ですが、精霊圏そのものを理解していたとは限りません」
「またそれか」
「はい。使えることと、分かることは違います」
サトは記録を見た。
世界各地の怪奇現象。
人造ではない精霊獣。
人格的反応。
そのどれかが、古い神々だったのかもしれない。
観測塔で助けてくれた上位精霊のような存在。
白い列車型の精霊獣。
神威に好意を示す精霊虫。
それらは、旧世界の資料ではほとんど脇に追いやられていた。
当時の人類は、人造神ばかりを見ていたのだろうか。
自分たちが作った、巨大な神ばかりを。
その足元にある、古いものたちに気づかないまま。
◇
一週間後、サトとツキハは宿の作業部屋で記録を整理していた。
机の上には、許可を得て作成した写しが並んでいる。
一般史。
六柱の人造神。
メィロン財団の記事。
月竹の記事。
ルナ・リレーの断片記録。
月竹らしき舟の目撃記録。
古い神々に関する未分類記録。
神威は机の下で丸くなっていた。
最初は一緒に聞いていたが、途中で眠ってしまった。
新しい足を時々ぴくりと動かしている。
夢の中で走っているのかもしれない。
サトは紙にまとめを書きつけた。
「分かったこと」
そう書いてから、少し考える。
分かったことは多い。
けれど、分からないことはもっと増えた。
「まず、昔の人類は環境汚染で地下やシェルターに住んでいた」
「はい」
「精霊圏を発見して、精霊科学文明が始まった。環境は回復して、人類は地上に戻った」
「はい」
「その過程で、人類は自分たちを改変した。病や環境に適応するために、適応人類を作った。今の俺たちは、その子孫だ」
「はい」
「ツキハは、たぶんその流れとは違う」
サトは少しだけツキハを見る。
今度は、じっと見すぎないように気をつけた。
「はい。私は地上の適応人類ではありません」
「だから、ツキハ自身の体のことも調べる必要がある」
「はい」
「その後、六柱の人造神が作られた。大陸ごとに一柱ずつ」
「はい」
「遅れて、月で七番目の人造神が作られようとしていた。おそらくルナ。でも完成記録はない」
「はい」
「月竹は、地球と月を行き来するための精霊流航行舟。テスタメント主導、リトルエム、フィフィ、ディアーノ協力。最大六人乗り。燃料は使わず、エーテルコアで精霊流から航行エネルギーを作る。ただし再チャージが必要」
「はい」
「ルナ・リレーは、地球と月の間の航路補正端末。戦争後百年くらいは通信ログあり。その後、正常通信不能。狂機化の可能性」
「はい」
「月竹らしいものは、過去にも複数目撃されている。北アメリカ、オーストラリア、南極、具体的な地名がわかったのはこの3つ」
「はい」
「古い神々については、ほぼ記録なし。精霊科学文明時代から怪奇現象はあったが、人類は重要視していなかった」
「はい」
サトはそこで筆を止めた。
「で」
大きく息を吐く。
「どうやって行くんだ」
ツキハは瞬きした。
「どこへですか」
「北アメリカ、オーストラリア、南極」
「不明です」
「不明か……」
「はい。不明です」
サトは椅子にもたれた。
天井を見上げる。
「ツキハの記憶だと、精霊科学文明成熟期には大陸間を行き来する転送装置があったんだよな」
「はい。大型転送装置。日本語圏では霊脈門とも呼ばれていました。大陸間移動、物資転送。先進国家のみ一つ、有事の際のみに用いられたと記憶にあります」
「今は?」
「観測不能です」
「つまり、ない」
「現存する可能性はゼロではありませんが、個人レベルで運用できる規模のものではないと考えられます」
サトは地図を広げた。
旧世界の地図ではない。
現在の観測院が作った、かなり粗い世界図だ。
海岸線も怪しい。
大陸間の航路はほとんど途切れている。
観測院同士は、なんとか断続的な通信を行っているらしい。
だが、人が移動するのはまったく別の話だ。
「船は?」
「隣の大陸程度であれば、航路が存在する可能性があります」
「北アメリカは?」
「遠すぎます」
「オーストラリアは?」
「海流、精霊流、海洋精霊獣、天候。危険要素が多すぎます」
「南極は?」
「寒いです」
「それは分かる」
「加えて、航路不明です」
サトは頭を抱えた。
「無理じゃないか」
「現時点では、困難です」
「困難って便利な言葉だな」
「不可能よりは適切です」
「そうだな」
サトは地図を見た。
遠い大陸。
遠い月。
落ちたかもしれない月竹。
狂機化したかもしれないルナ・リレー。
未完成の人造神、ルナ。
そして、ツキハ。
「ツキハ」
「はい」
「探すものが増えたな」
「はい」
「ツキハの月竹だけじゃないかもしれない」
「はい」
「ルナ・リレーも、何とかしないとまた落とされるかもしれない」
「はい」
「他の月竹も、もし本当にあるなら……」
サトは言葉を探した。
もしそこに、ツキハと同じような誰かがいたら。
ずっと一人で待っていたら。
故障した舟の中で、誰にも届かない声を出していたら。
サトは、もう放っておけない気がした。
ツキハは静かに言った。
「全部を一度に解決することはできません」
「分かってる」
「まず、近くから調べる必要があります」
「近く?」
「私の月竹です」
サトは顔を上げた。
「月竹は、キョウの方にあるんだよな」
「はい。上位精霊が持っていった可能性があります」
「あれを探して、必要なら修理する」
「はい」
「でも、その前に……」
まだ資金はある。
だが、無限ではない。
宿代。
食費。
工具。
神威の部品。
記録の写し代。
これから旅を続けるなら、金はいくらあっても足りない。
「食べていかないとな」
「はい」
「宿代もかかる」
「はい」
「神威の部品も欲しい」
机の下で神威の尻尾が少し揺れた。
「寝てるのに反応するな」
「わぅ……」
神威は寝ぼけた声を出した。
ツキハは少しだけ目を細めた。
「依頼を受ける必要があります」
「ああ。ひとまず、観測院の仕事をこなしながら考えよう」
「適切です」
サトは地図を畳んだ。
月は遠い。
北アメリカも、オーストラリアも、南極も遠い。
ルナ・リレーは、さらに遠い空にある。
けれど、明日の宿代ならまだ近い。
そして、神威の足元には、まだ細かい調整が残っている。
「まずは、明日食べる飯からだな」
「はい」
「それから、行ける場所から行く」
「はい」
「月が遠くても」
サトは窓の外を見た。
龍都カツザンの空には、薄い月が浮かんでいた。
「きっと道がないわけじゃない」
ツキハも、その月を見上げた。
「道は、観測できますか」
「できるかもしれない」
「では、観測しましょう」
サトは笑った。
「そうだな」
神威が机の下で寝返りを打ち、新しい右前脚を伸ばした。
小さな芽が、淡く光った。
記録庫で得たものは、答えではなかった。
断片。
欠けた記事。
壊れた通信記録。
遠すぎる目撃情報。
けれど、その断片は確かに道を示していた。
どこへ続くか分からない。
どうやって進むかも分からない。
それでも、サトは地図を閉じながら思った。
それでもきっと、行くのだろう。
この月から落ちた少女と。
芽が出るへんな機械狼と一緒に。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




