第75話 断片の中の月(二)
耳は丸く、尾もない。
肌も、目も、体格も、ひどく均一に見える。
まるで、どこか頼りない。
「昔の人類は、こんな形だったのか」
サトは思わず自分の耳に触れた。
彼の耳は、旧人類のものより少し長く、縁に柔らかな毛がある。
森都キョウ周辺では珍しくもない。
他の村人も、耳の形や目の色、肌の強さ、病への耐性に多少の違いがある。
尻尾が生えているものもいる。
見たことはないが他の国には翼が生えているものもいると聞いた。
だが、それが当たり前だった。
「そういえば、村でもあまり流行り病なんて聞かなかったな」
「疾病抵抗性が高いのでしょう」
ツキハが言った。
「昔の人類は、そんなに病に弱かったのか」
「記録を見る限り、環境変化、感染症、栄養不全、精神負荷に対して、かなり脆弱だったようです」
「人は、脆弱だったんだな」
サトは記録板を見つめた。
地下に逃げ、空を失い、毒を避け、病に怯えた人類。
そして精霊圏を手に入れたあと、自らを作り変えた人類。
「だから、自分たちをアップデートした」
「アップデート」
ツキハがその言葉を反復する。
「機械の更新に近い表現です」
「人間も似たようなことをしたんだろ。自分たちの体を、次の世界に合うように変えた」
「はい。適切な表現です」
サトはふと、ツキハを見た。
ツキハは記録板の光を受けて、静かに立っている。
丸い耳。
細い体。
白い肌。
サトたちのような適応の痕跡が、ほとんど見えない。
月から来た少女。
けれど、その姿だけを見るなら、むしろ記録板の中にいる旧人類に近い。
「……ツキハは、昔の人類に近いな」
「……なんですか」
ツキハは、じっと見ていたサトを少し抗議するような目で見た。
「いや、悪い意味じゃない」
「観測対象として見ていますか」
「少し」
「不適切です」
「すまん」
サトは慌てて視線を戻した。
ツキハはしばらくサトを見ていたが、やがて記録板へ目を戻した。
「私は、旧人類そのものではありません」
「分かってる」
「ですが、地上の適応人類とは異なります」
「ああ」
「その差異は、今後の行動に影響する可能性があります」
「体力とか、病気とかか」
「はい。環境耐性、免疫、精霊流への適応。いくつか確認が必要です」
サトは少しだけ不安になった。
「今まで大丈夫だったよな」
「現時点では大きな問題はありません」
「現時点では、か」
「はい」
ツキハは淡々と言った。
「ですが、私は自分の身体についても、完全には把握していません」
その言葉に、サトは何も言えなくなった。
ツキハは月から落ちてきた。
知識はある。
観測もできる。
けれど、自分自身のことさえ、まだ分からない部分がある。
サトは記録板を閉じた。
「じゃあ、それも調べよう」
「何をですか」
「ツキハのこと。月竹のことも、ルナ・リレーのことも大事だけど、ツキハ自身が倒れたら意味がない」
ツキハは少しだけ瞬きした。
「私の状態確認も、目的に含めるのですか」
「当たり前だろ」
「……適切です」
ツキハは小さく言った。
◇
三日目、六柱の人造神に関する資料へ進んだ。
ここは、一般教養としてかなり整っていた。
昔の教育機関の教科書などにも記載があるようだ。
人類は精霊圏の力を安定利用するため、六つの大陸にそれぞれ巨大な管理中枢を置いた。
それが、六柱の人造神。
サトは記録板に映る古い図を見つめた。
六つの大陸。
六つの光点。
六つの名。
ユーラシア大陸。
鉄地母。
文明、大地、鉄道網、都市、鉱山を司る神。
アフリカ大陸。
生命王。
生命、祖霊、大移動、進化、循環を司る神。
北アメリカ大陸。
雷網神。
情報網、電力網、衛星兵器、雷、軍事AIを司る神。
南アメリカ大陸。
森骸母。
森、菌類、昆虫、腐敗、再生、侵食を司る神。
オーストラリア大陸。
夢時神。
夢、記憶、歌、時間の層を司る神。
南極大陸。
氷記神。
記録、封印、保存、遺伝子情報、終末管理を司る神。
「六柱」
サトは呟いた。
「ここまでは、かなり詳しいな」
「はい」
ツキハは記録板を見つめていた。
「地上側にとって、六柱は完成した人造神だったのでしょう」
「完成した?」
「はい」
サトはツキハを見た。
ツキハの表情は変わらない。
だが、声がほんの少しだけ低かった。
「月は、七番目でした。けれど、完成していません」
サトは次の棚を探した。
六柱の記録は豊富だった。
管理記録、運用記録、記念記事、教育資料、信仰じみた賛歌まで残っている。
だが、七番目の記録は急に薄くなった。
棚の隅。
焼け焦げた紙束。
ひび割れた記録板。
新聞記事の切れ端。
ヨルドが言った通りだった。
記録はある。
だが、答えではない。
◇
四日目、サトは一枚の古い新聞記事を見つけた。
端は焼け、下半分は失われている。
それでも、見出しだけは読めた。
――月面に第七の神を。
――メィロン財団、第七人造神建造計画を発表。
サトは思わずツキハを呼んだ。
「ツキハ、これ」
ツキハはすぐに近づいてきた。
新聞記事を見つめる。
その瞳が、ほんの少し揺れた。
「大富豪マスク・メィロン」
サトは記事を読んだ。
「精霊科学文明の成熟期、月面における第七人造神建造計画を発表。地球圏外精霊流の安定化、月資源管理、なによ…地……神………調……を目的とし……」
そこから先は焼けていた。
読めない。
続きはない。
「メィロン財団」
ツキハが小さく呟いた。
「知ってるのか」
「名前は、知識の中にあります」
「七番目は、ルナか」
ツキハは少し黙った。
「おそらく」
「おそらく?」
「私の中の知識では、ルナは未完成です。この地上の記録でも、計画として扱われています。完成記録がありません」
「封印記録か?」
「あるいは、記録される前に世界が壊れた」
サトは新聞記事の焼け跡を見た。
記事の下半分がない。
完成したのか。
失敗したのか。
途中で止まったのか。
誰かが隠したのか。
何も分からない。
ただ、「月面に第七の神を」という見出しだけが、古い時代からこちらを見ていた。
◇
同じ棚の奥に、月竹の記事があった。
こちらも完全ではない。
だが、見出しと一部の本文は読めた。
――燃料なき月航路へ。
――テスタメント月面航行部門、精霊流航行舟《月竹》を公開。
サトは息を呑んだ。
「月竹」
ツキハが、記事へ手を伸ばしかけて止めた。
記録に直接触れてはいけない。
そう言われている。
彼女は手を下ろし、目だけで記事を追った。
月竹。
精霊科学文明成熟期に開発された、地球・月往復用の小型航行舟。
超大型エーテルコアエンジンを搭載し、精霊流から航行エネルギーを創出。
従来の燃料を一切用いず、地球圏と月面施設の往復を可能にする。地球圏での航行も可能。
最大乗員数六名。
一度の航行後には、一定期間の再充填を必要とする。
開発主体は、テスタメント社月面航行部門。
協力企業として、リトルエム、フィフィ、ディアーノの名がかろうじて残っていた。
ただし、記事の端が欠けている。
正確な配備数。
最終試験の結果。
量産されたのか。
計画だけで終わったのか。
そこは読めなかった。
「テスタメント」
サトは言った。
「メィロン氏の企業か?」
「はい。おそらく、月面開発を主導していた企業群の一つです」
えっ「マスク・メィロン」の元ネタ?
もちろん果物のマスクメロンですよ(;´・ω・)




