第73話 大切な人(四)
神威の腹だけでなく足が直るかもしれない。
山道で軋まない足。
倒れずに走れる足。
誰かを助けに行ける足。
その可能性が、目の前にある。
「やるぞ」
「はい」
「わぉん」
「お前は動くな。患者だ」
「きゅうん」
◇
修理には数日かかった。
一日目は、ラプトル型の分解だけで終わった。
頭部は完全に潰れていたが、胴体の駆動部は驚くほど状態がよかった。
旧世代の素材は、やはり丈夫だ。
長い年月を経てなお、昨日まで動いていた機械。
サトはその内部構造を見ながら、何度も感心した。
「怖いくらい、いい部品だな」
「怖い、とは」
ツキハが聞く。
「昨日まで俺たちを襲ってきた機械の部品だからな。便利だけど、少し複雑だ」
「不適切ですか」
「いや。たぶん適切に複雑なんだと思う」
神威は作業台のそばで伏せていた。
動くなと言われているので、一応じっとしている。
ただし、尻尾だけはときどき動いた。
サトが良さそうな部品を見つけるたびに揺れる。
「お前、分かってるのか」
「わぅ」
「分かってる顔だな」
ツキハが淡々と言う。
「神威は、修理される予兆を好意として認識しています」
「予兆だけで喜ぶのか」
「はい」
「かわいいやつだ」
神威の尻尾が大きく揺れた。
作業台の工具が落ちた。
「かわいいけど、動くな」
「きゅうん」
二日目は、神威の右前脚補助ブレースを外した。
最初に村で取り付けた古い補助パーツ。
北の村で得た部品。
旅の間、何度も調整してきたものだ。
サトはそれを外すとき、少しだけ手を止めた。
「世話になったな」
古いブレースに向かって、そう言う。
ツキハが見ていた。
「部品に礼を言うのですか」
「言うだろ」
「一般的ですか」
「俺の中では一般的だ」
「分かりました」
ツキハは外されたブレースを見る。
「お疲れさまでした」
サトは思わず笑った。
「いいな、それ」
「適切ですか」
「かなり」
三日目。
ラプトル型の脚部関節を加工し、神威用に組み替えた。
そのままでは形が合わない。
ラプトル型は二足歩行。
神威は四足歩行。
負荷のかかり方も、制御信号も違う。
サトはピッケルで接続し、ツキハは精霊流の乱れを見る。
神威は緊張した顔で伏せていた。
「痛くない」
サトが言う。
「きゅうん」
「たぶんじゃなくて、今回は痛くない」
「わぅ」
「信用しろ」
新しい補助ブレースが、神威の右前脚へ取り付けられていく。
軽量合金の外枠。
衝撃吸収器。
柔らかく動く関節軸。
古い部品と新しい部品と、ラプトル型からもらった部品。
それらが、サトの手で一つにまとまっていく。
ツキハは横で、月光糸を細く伸ばしていた。
金属同士の隙間。
精霊流の引っかかり。
神威の芽に近すぎる箇所。
それらを、そっと整える。
「そこ、少し引っかかってるか?」
「はい。精霊反応が乱れています」
「こっちの角を削る」
「適切です」
「次」
「固定が強すぎます」
「緩める」
「適切です」
「ツキハがいると、調整がかなり楽だな」
ツキハは少しだけ瞬きした。
「役に立っていますか」
「かなり」
「そうですか」
ツキハの声はいつも通りだった。
だが、月衣の袖口がほんの少し揺れた。
嬉しいのかもしれない。
サトはそう思ったが、口には出さなかった。
◇
四日目の朝、神威は立った。
ゆっくりと。
右前脚を床につける。
一度、体重をかける。
沈む。
戻る。
衝撃吸収器が自然に動く。
関節軸が軋まない。
補助ブレースが神威の動きに合わせて、滑らかに追従する。
サトはしゃがみ込んだまま、息を止めて見ていた。
「一歩」
神威が歩く。
かつん。
右前脚。
かつん。
左前脚。
後ろ脚。
もう一歩。
転ばない。
軋まない。
神威は目を丸くしたような顔をした。
自分の足が思った通りに動いていることに、驚いているらしい。
「どうだ」
「わぅ」
「痛くないか」
「わぉん!」
「違和感は?」
神威はその場で足踏みした。
かつん、かつん、かつん。
それから、急に小さく跳ねた。
ほんの少し。
床から、四本の足がわずかに浮いた。
サトは目を見開いた。
「おい」
神威は着地した。
転ばなかった。
尻尾が、ぶん、と揺れる。
「今、跳んだな」
「わぉん!」
「跳べたな」
「わぉん!」
「もう一回はだめだ。調整前だ」
「きゅうん」
「その顔をしてもだめだ」
ツキハが静かに言った。
「神威の歩行安定性が向上しています。軽度の跳躍も可能です」
「軽度な。軽度」
「はい。高所からの跳躍は不適切です」
「聞いたか、神威」
「わぅ」
「絶対聞いてないな」
神威は嬉しそうに作業場を歩いた。
右へ。
左へ。
小さく回る。
尻尾が揺れる。
背や胸元の芽も揺れる。
その芽の葉脈のような光が、前よりほんの少しだけ明るく見えた。
サトはそれを見つめる。
神威は強くなったのだろうか。
たしかに、足回りはよくなった。
少し跳べるようになった。
だが、それは敵を倒すためではない。
転ばずに歩くため。
怪我人のそばへ行くため。
サトにくっついて、危険な場所を進むため。
誰かを置き去りにしないため。
神威は、そういうふうに変わっていくのだ。
「よかったな」
サトは神威の頭を撫でた。
「ちゃんと歩ける」
「わぅ」
神威は目を細めた。
ツキハも、その様子を見ていた。
「サト」
「何だ」
「神威は、嬉しいのですね」
「ああ」
「私にも、少し分かります」
サトはツキハを見た。
ツキハは神威を見ている。
その表情は静かだった。
けれど、どこか柔らかい。
「それはよかった」
サトが言うと、ツキハは少しだけ頷いた。
「適切です」
◇
その日の夕方。
サトは作業場の片づけをしていた。
ラプトル型の残った部品は、丁寧に分類して箱に詰める。
使えるもの。
売れるもの。
危険なもの。
観測院へ返すべきもの。
まだよく分からないもの。
神威は新しい足で、作業場の端から端まで歩いている。
何度も。
何度も。
「気に入ったのは分かったから、そろそろ休め」
「わぅ」
「休む気ないな」
ツキハは窓際に座り、ドーラから渡された割符を見ていた。
記録庫への鍵。
月に関する記録。
ルナ・リレー。
月竹。
自分が何者なのか。
探すべきものは、いくつもある。
だが、ツキハは割符だけを見ていたわけではなかった。
大切な人。
その言葉が、まだ胸の奥に残っている。
サトは作業場の床に座り、神威の足をもう一度確認している。
工具を持つ手は器用だ。
けれど、ときどき止まる。
何かを考えているように。
自分の疲れには鈍い。
神威が壊れればすぐ気づくのに、自分の無理には気づかない。
ドーラの言葉を思い出す。
しっかり捕まえるんだよ。
ツキハは立ち上がった。
「サト」
「何だ」
「休息が必要です」
「あと少し」
「不適切です」
サトは顔を上げた。
ツキハは真剣な顔をしていた。
「今日は休息が必要です。神威の調整は明日も可能です。サトの疲労蓄積は、作業精度を低下させます」
「……そう言われると反論しづらいな」
「反論は不適切です」
「分かった。休む」
サトは工具を置いた。
神威が、わぅ、と鳴く。
その声は、どこか満足そうだった。
「お前までそう言うのか」
「わぅ」
「分かったって」
サトは立ち上がり、大きく伸びをした。
「明日は記録庫に行くか」
ツキハの手が、割符に触れる。
「はい」
「月の記録、見つかるといいな」
「はい」
ツキハは頷いた。
それから、少しだけ言葉を探すように沈黙した。
「サト」
「ん?」
「ありがとうございます」
「何が?」
「一緒に探してくれることです」
サトは少し照れたように笑った。
「今さらだろ」
「今さら、ですか」
「ああ。最初から、そのつもりだ」
ツキハはその言葉を、静かに受け取った。
観測ではなく。
記録でもなく。
ただ、自分の中に置くように。
「適切です」
小さく、そう言った。
神威が新しい足で、二人の間に歩いてきた。
そして、得意げに小さく跳ねた。
「だから跳ぶなって!」
「わぉん!」
ツキハは、ほんの少しだけ笑った。
龍都カツザンでの最初の依頼は終わった。
倒せない敵は、まだ地下にいる。
調べるべき記録も、山ほどある。
けれど、神威の足は少しだけ強くなった。
ツキハは、ひとつ言葉を覚えた。
大切な人。
その意味はまだ、完全には分からない。
けれど、間違いではない。
それだけは、分かった。
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神威もたぶん尻尾を振ります。




