第69話 信号(四)
「下がれ!」
ドーラが叫んだ。
全員が横道へ飛び込む。
次の瞬間、扉の中央が崩れ落ちた。
赤く溶けた金属が、床に流れ、白い煙を上げる。
その穴から、大型狂機の鼻先がゆっくりと出てきた。
巨大な顎の先。
赤く光るセンサー。
熱を帯びた息。
サトは息を止めた。
終わった、と思った。
だが、大型狂機はそれ以上出てこなかった。
体が大きすぎるのだ。
封印扉は破れても、その先の通路が細すぎる。
鼻先だけを出したまま、大型狂機はしばらく低く唸っていた。
ぐるるるる。
熱い鼻息のような音が、坑道に響く。
神威が低く鳴いた。
ドーラはハンマーを構えたまま、動かない。
ツキハは壁にもたれ、月片を握っている。
サトは背中の冷たい汗を感じながら、その赤い目を見ていた。
やがて、大型狂機は鼻先を引っ込めた。
重い足音が遠ざかる。
ぐおん。
ぐおん。
ぐおん。
奥へ戻っていく。
しばらくして、音は遠くなった。
完全に消えたわけではない。
だが、少なくとも今すぐ追ってくることはない。
誰もすぐには動かなかった。
やがて、ドーラが大きく息を吐いた。
「……やれやれ」
ハンマーを肩に担ぎ直す。
「全員生きてるのは、奇跡だね」
イリカが、三人の救助者を確認している。
「ナギ、呼吸あり。出血管理中。ジオ、意識あり。メル、歩行可能。全員、生存しています」
サトはその言葉を聞いて、ようやく膝の力が抜けそうになった。
神威が、きゅうん、と鳴いた。
腹部パネルには、石の当たった痕がある。
焦げてもいない。
大きく壊れてもいない。
だが、制御が乱れたのは確かだ。
「あとで直す」
サトは神威の頭を撫でた。
「絶対直す」
「わぅ」
神威は弱く尻尾を振った。
ツキハがふらついた。
サトは慌てて支える。
「ツキハ!」
「問題ありません」
「問題ある顔だぞ」
「月光糸の負荷が、想定以上でした」
「無茶したな」
「はい」
ツキハは珍しく、素直に認めた。
「ですが、適切でした」
サトは何も言えなくなった。
ドーラが坑道の奥を見た。
溶けた扉。
赤く焼けた床。
まだ熱を持つ金属。
「このあたりの空気も心配だ。長居はできない」
「封鎖は」
ミネが悔しそうに言う。
「一時封鎖にもなっていません。扉は焼き抜かれました」
「それは後で考える」
ドーラは即答した。
「今は人を連れて帰る。記録も、封鎖も、討伐も、その後だ」
サトは頷いた。
神威も、わぅ、と鳴く。
ドーラは全員を見回した。
「引き上げるよ。急ぎな」
◇
帰り道は、来た時よりも長く感じた。
ナギはイリカとミネが即席担架で運んだ。
ジオはサトの肩を借りて歩いた。
メルは自力で歩いていたが、ときどき震えていた。
神威はそのそばを歩き、腹部パネルを少しだけ開いていた。
調整パルスは弱い。
だが、確かに効いている。
誰も泣き叫ばない。
誰も足を止めない。
ドーラは最後尾を歩いた。
ハンマーを担ぎ、何度も後ろを振り返りながら。
ツキハはサトの隣にいた。
無言だった。
だが、月片を握る手には、まだ力が入っている。
大型狂機の咆哮は、もう聞こえない。
それでもサトには、あの赤い目がまぶたの裏に残っていた。
倒せない敵。
触れてはいけない旧世界の残骸。
それが、龍都カツザンの地下には眠っている。
ようやく大きな都市に着いたと思った。
仕事を探し、路銀を稼ぎ、神威の部品を買おうと思った。
だが、初めて受けた依頼は、そんな気楽なものではなかった。
それでも。
サトは前を見た。
第三班は、全員戻る。
全員助けることができた。
なら、それでいい。
今はそれで十分だ。
神威がサトを見上げた。
サトはその頭を軽く撫でる。
「帰ったら、本当に整備だな」
「わぅ」
「買いたかった部品、やっぱり必要かもしれない」
神威の尻尾が少しだけ揺れた。
「まだ買えるとは言ってない」
尻尾が止まった。
ツキハが小さく言った。
「依頼料が出ます」
「そうだな」
「記録庫への閲覧許可も、交渉可能です」
「そうだな」
サトは少しだけ笑った。
「まずは全員で帰ってからだ」
ツキハも頷いた
「はい。適切です」
竜骨坑道の出口へ向かって、救助隊は進んだ。
こうして、龍都カツザンでの初めての依頼は終わった。
勝ったわけではない。
狂機を倒したわけでもない。
封鎖も、不完全だった。
それでも、誰も置き去りにはしなかった。




