第67話 信号(二)
少しの沈黙。
サトは神威を見た。
神威もサトを見た。
答えは、ほとんど決まっていた。
「俺と神威で行きます」
ドーラが眉を寄せる。
「危ないよ」
「一メートルなら、神威とくっついて動けるのは俺が一番やりやすいです。それに、奥で機械か崩落に対応するなら、俺のピッケルがいる」
「私も行きます」
ツキハが言った。
「だめだ」
サトは即答した。
「一人ずつ連れ帰るにしても神威の範囲に三人は入れない」
「ですが」
「ツキハはここで見てくれ。大型狂機の反応を観測して、危険なら知らせてほしい」
ツキハは黙った。
納得していない顔だった。
だが、反論もしなかった。
「……適切ではあります」
「不満そうだな」
「不満です」
「正直でよろしい」
神威が、わぅ、と鳴いた。
サトはその頭に手を置く。
「行くぞ。絶対に離れるな」
「わぉん」
「俺も離れない。だからお前も急に走るな」
「わぅ」
「信用していいんだな?」
「わぉん」
「声が大きい」
◇
封印扉から中に進む。
神威は体を低くし、サトはその背に手を置く。
ほとんどくっつくようにして、二人は新区画へ入った。
空気が変わった。
古い区画の匂い。
長く閉じ込められていた空気。
焼けた金属。
砕けた壁材。
そして、巨大な狂機の熱。
サトは息を浅くした。
ラプトル型は姿が見えない。
細い通路を辿って別区画に巡回にでたのだろうか。
大型狂機は、少し離れた場所にいた。
想像よりも大きい。
頭だけでサトの体ほどある。
太い脚。
巨大な顎。
短い前肢。
背中には、折れた槍の先が刺さっている。
先端からたまに火花が走る。
だが、大型狂機はそれを気にする様子もない。
赤い目が、ゆっくりこちらへ向いた。
サトの心臓が跳ねた。
神威の背に置いた手に、力が入る。
動くな。
走るな。
息を止めるな。
神威の腹部パネルの縁が、かすかに光っている。
ラプトル型から拾った、味方の信号。
大型狂機の赤い目が、サトと神威を捉える。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起きない。
大型狂機は、ゆっくりと首を戻した。
サトはようやく息を吐いた。
「……通った」
小さく呟く。
外から、ツキハの声が聞こえた。
「敵対反応はありません。ただし、信号は不安定です。神威から離れないでください」
「分かってる」
サトは神威の首に腕を添える。
神威も、サトに体を寄せるように歩いた。
ゆっくり。
ゆっくり。
大型狂機の足元から離れすぎず、近づきすぎず。
床には瓦礫が散らばっている。
折れた机。
割れた端末。
砕けた天井材。
壁には、旧世代の文字。
大型生体機械試験区画。
危険。
立入制限。
サトは読むだけで嫌な汗が出た。
やがて、区画の奥に窪みが見えた。
崩れた壁の陰。
そこに、人影が三つあった。
一人が倒れている。
一人は壁にもたれ、腕を押さえている。
もう一人は、折れた脚を引きずるように座り込んでいた。
全員、生きている。
「いた」
サトは囁いた。
神威が、わぅ、と返しそうになったので、サトは慌てて口元に手を当てる。
「鳴くな」
神威は小さく頷いた。
サトと神威が近づくと、軽傷の男が目を見開いた。
「誰だ……」
「救助だ。声を抑えて」
サトは小声で言った。
「大型狂機は、神威の近くならこっちを見逃す。だが範囲は狭い。一人ずつ運ぶ」
男は信じられないという顔をした。
だが、神威を見て、何かを飲み込むように頷いた。
「ナギが……下敷きに……」
崩落した壁材の下に、一人が挟まれていた。
顔色が悪い。
呼吸は浅い。
片脚が瓦礫の下に埋まっている。
危険な状態だ。
もう一人は腕を押さえている。
骨折しているようだが、意識ははっきりしている。
最後の一人は軽傷。
血は出ているが、歩けそうだった。
「重いのから運ぶ」
サトは決めた。
「神威、こっち」
神威はナギのそばへ寄る。
サトはピッケルを使い、瓦礫の一部をずらした。
大きな音を立てないように。
ゆっくり。
慎重に。
瓦礫が少し動く。
ナギが苦しげにうめいた。
神威が腹部パネルを少しだけ開く。
淡い調整パルス。
ナギの呼吸がわずかに整う。
「よし」
サトはナギを背負った。
体が重い。
傷ついた人間の重さは、荷物とはまったく違った。
力を抜かれている分、背負いづらい。
それでも、落とすわけにはいかない。
「神威、くっつけ」
神威がサトの横にぴたりと寄る。
一メートル。
いや、もっと近い。
大型狂機の足音が、少し向こうで響いている。
ぐおん。
ぐおん。
赤い目が、一度こちらへ向いた。
サトは止まった。
神威も止まった。
信号が流れる。
味方。
味方。
敵ではない。
大型狂機は、また視線を外した。
「……よし」
サトは一歩ずつ戻った。
封印扉の外で、イリカが待っていた。
ミネも、ドーラも、ツキハも、息を詰めて見ている。
あと少し。
扉を越えた瞬間、イリカがナギを受け取った。
「こちらへ!」
ミネが毛布を広げる。
イリカはすぐに処置を始めた。
「呼吸あり! 出血あり! 脚部圧迫、急ぎます!」
サトは膝に手をついた。
息が荒い。
まだ一人目だ。
神威が、きゅうん、と鳴く。
「大丈夫だ」
サトは神威の頭を撫でた。
「次に行く」
◇
二往復目。
今度は骨折した男だった。
名前はジオ。
左腕を押さえている。
足は動くが、痛みで歩きは遅い。
サトは迷ったが、結局背負った。
歩かせるより、その方が範囲から外れにくい。
「すまない」
ジオがかすれた声で言った。
「謝るな。軽いってことにしておく」
「嘘だろ」
「嘘だ」
神威が横にぴたりと寄る。
大型狂機は、区画の中央をうろついていた。
背中の折れた槍先が、赤い光を受けて鈍く光っている。
ユプケの姐さんの槍。
あの人は本当に、あれに正面から挑んだのか。
サトは余計なことを考えそうになり、すぐに頭を振った。
今は足元を見る。
神威から離れない。
音を立てない。
呼吸を乱さない。
大型狂機が一度、鼻先を上げた。
サトは止まる。
ジオの呼吸も止まる。
神威の光が少しだけ揺れる。
赤い目がこちらを見る。
だが、また外れる。
「……いける」
サトは進んだ。
二人目も、扉の外へ運び出すことに成功した。
ミネがジオを受け取り、イリカのそばへ寝かせる。
「骨折、意識あり!」
「固定します!」
イリカはナギの処置を続けながら、短く指示を出した。
ミネがそれに従う。
ドーラは封印扉の向こうを見ていた。
「あと一人」
ツキハが言った。
「信号が少し不安定になっています」
「神威か?」
「神威ではありません。区画内の精霊流が揺れています」
サトは大型狂機を見た。
確かに、動きがさっきより少し荒い。
何かを探しているようにも見える。
「急ぐ」
サトは言った。
「神威、もう一回だ」
「わぉん」
◇
三往復目。
最後の一人、メルは軽傷だった。
肩を切っていたが、歩ける。
だが、精神的には限界に近かった。
サトが近づくと、メルは泣きそうな顔で神威を見た。
「それ、本当に大丈夫なの」
「大丈夫にする」
「答えになってない」
「俺もそう思う」
神威が、わおん、と小さく鳴いた。
サトはすぐに口を押さえた。
「だから鳴くな」
メルが少しだけ笑った。
それで、張り詰めた空気がほんの少し緩む。
サトはメルを背負った。
「軽傷でも背負う。歩くと範囲から出る」
「分かった」




