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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第66話 信号(一)



 封印扉の向こうで、大型狂機が動いていた。


 暗い区画の奥。


 赤い二つの光。


 地面を震わせるほどの足音。


 壊れた獣のような咆哮。


 サトは、喉が渇くのを感じた。


 大型狂機は、扉をくぐれない。


 それは分かっている。


 だが、だから安全だとは、とても思えなかった。


 あの扉一枚の向こう側に、力ではどうにもならないものがいる。


 その事実だけで、膝が少し固くなる。


「イリカ」


 ドーラが低く言った。


「カシムを診な」


「はい」


 イリカは、救出した若い観測士の横に膝をついた。


 カシムは意識こそあったが、顔色は悪い。


 片脚はひどく腫れている。


 足首の角度もおかしい。


 痛みで呼吸が浅くなっていた。


 神威がそばへ寄り、腹部パネルを少しだけ開く。


 淡い光が広がった。


 威嚇ではない。


 救護室で使っていた、柔らかな調整パルス。


 カシムの震える手が、少しだけ落ち着く。


「助かります」


 イリカは短く言った。


 それから手早く布を裂き、添え木を当て、固定した。


「骨折。出血はありますが、致命傷ではありません。ですが、このまま奥へは連れていけません」


「戻せるかい」


 ドーラが尋ねる。


「カドさんが支えれば、なんとか」


 カドはすぐに頷いた。


「行けます。ここまでの道は把握しています」


 カシムはうっすら目を開けた。


「奥に……三人……」


「分かってる」


 ドーラが言う。


「アンタは戻りな。十分やった」


「でも……」


「戻るのも仕事だ。生きて証言しな」


 カシムは唇を噛んだ。


 それから、小さく頷いた。


 カドがカシムの肩を担ぐ。


「院長、戻ったらすぐ第二封鎖線を開けておきます」


「頼むよ。ディエンに、こっちは奥へ進むと伝えな」


「はい」


 神威が、わぅ、と小さく鳴いた。


 カシムが神威を見る。


「……ありがとな」


 神威は胸を張ろうとして、サトに尻尾を押さえられた。


「今は調子に乗るな」


「わぅ」


 カドとカシムが、来た道を戻っていく。


 足音が遠ざかる。


 残ったのは、ドーラ、サト、ツキハ、ミネ、イリカ。


 そして神威。


 六人と一機だった救助隊は、五人と一機になった。


 封印扉の奥では、また低い音が響いた。


 ぐおん。


 ぐおん。


 ぐおん。


 大型狂機が歩いている。


 いや、歩いているというより、狭い区画の中を巡っているのだろう。


 出られない檻の中で、まだ獲物を探している。


 サトは扉の隙間から、その姿の一部を見た。


 太い脚。


 長い尾。


 鋼のような外皮。


 そして背中に、何かが刺さっている。


「……あれ」


 サトは目を細めた。


「背中に刺さってるの、槍の先か?」


 ドーラも見た。


 顔が険しくなる。


「あの護衛の姐さんの槍さね」


 折れた大槍。


 赤い虎耳の女。


 額から血を流しながら、それでも立とうとしていた戦士。


 彼女が、あの狂機に一撃を入れていた。


 それでも倒せなかった。


 背中に槍の先を残したまま、大型狂機は動いている。


「倒せる相手じゃないな」


 サトは呟いた。


「だから言ったろう」


 ドーラはハンマーを握り直す。


「力押しは無理だ。やるなら、連れて帰ることだけ考える」


 ドーラは地図を確認した。


 封印扉の向こうに、新区画。


 その奥に、崩落地点。


 生存者はおそらく、区画奥の窪みか作業通路に隠れている。


 だが、その間を大型狂機が徘徊している。


 普通に入れば、見つかる。


 見つかれば終わる。


「どう抜ける」


 ドーラが言う。


 サトは扉の隙間から、奥を見た。


 大型狂機の足音。


 赤い目。


 床に散らばる瓦礫。


 壁に残る古い機械。


 そして、その足元を通り過ぎていく小さな影。


「ラプトル型までいる」


 ミネが低く言った。


 大型狂機の足元近くを、一体のラプトル型が走っていた。


 だが、大型狂機は反応しない。


 踏み潰すこともない。


 噛みつくこともない。


 まるで、そこにいないものとして扱っている。


 ツキハの目が細くなる。


「敵対判定に法則がある可能性があります」


「どういうことだい」


 ドーラが聞いた。


「大型狂機は、ラプトル型を攻撃していません。同じ狂機であるためか、同じ恐竜形状を持つためか、あるいは信号上の味方判定を共有しているためか」


「つまり、仲間だと思ってる?」


「可能性があります」


「サト」


 ツキハはサトを見る。


「ラプトル型の信号を解析できますか」


「壊したやつなら、まだ残ってるかもしれない」


 サトは振り返った。


 さっき倒したラプトル型の残骸が、少し後ろの通路に転がっている。


 黒く焦げた外装。


 赤く光っていたセンサーは、もう消えていた。


 だが、完全に死んでいるかどうかは分からない。


「ミネ、手伝ってくれ」


「はい」


 二人は残骸のそばにしゃがんだ。


 サトはピッケルを抜き、探査針を伸ばす。


 ラプトル型の頭部近くに差し込む。


 すぐに、嫌なノイズが返ってきた。


 壊れた命令。


 短い識別信号。


 位置補正。


 獲物判定。


 そして、仲間識別らしき周期信号。


「ある」


 サトは息を詰めた。


「信号が残ってる」


「読めますか」


 ツキハが近づく。


「完全には無理だ。でも、外に漏れている信号なら拾える」


 ピッケルのモニターに細い文字列が走った。


 旧世代のコード。


 ところどころ壊れ、意味をなさない記号。


 しかし、一定の周期だけは分かる。


 脈のように繰り返されている。


「こいつら、同じ識別信号を出してるだ。たぶん、大型もこれを味方として見てる」


「偽装できるかい」


 ドーラが聞く。


「普通の端末では無理です。出力が足りないし、精霊流が混じってる」


「神威なら?」


 ツキハが言った。


 神威が、わぉん、と鳴いた。


 自分の名前が出たことだけは分かったらしい。


 サトは神威を見た。


 胸元の芽。


 腹部パネル。


 旧世代エーテルコア。


 精霊流にも、機械信号にも反応する変な機械狼。


「……やれるかもしれない」


 サトは神威の横に膝をついた。


「神威、少し繋ぐぞ」


「わぅ」


「痛くない。たぶん」


「きゅうん」


「そこは信用しろ」


 サトは神威の側面パネルを開き、細い端子を差し込んだ。


 ピッケルと神威が、短いケーブルで繋がる。


 神威の背中の芽が淡く揺れた。


 ツキハがその反応を見る。


「神威の精霊反応が、信号に追従しています」


「危ないか?」


「現時点では、濁りはありません」


「よし」


 サトはラプトル型から拾った識別信号を、神威へ流した。


 神威が一瞬、耳を伏せる。


「無理か?」


「わぅ……」


「嫌な感じか」


「きゅうん」


「分かった。弱める」


 信号の波形を削る。


 壊れた命令部分を外し、識別に関係しそうな周期だけを残す。


 ピッケルの処理では足りない部分を、神威のエーテルコアが補っていく。


 サトには、神威が何をしているのか完全には分からない。


 だが、神威は理解しているようだった。


 音ではなく、においを覚えるように。


 声ではなく、気配をまねるように。


 機械信号を、体の中で丸めている。


 やがて、神威の腹部パネルの縁に、淡い赤い光が走った。


 すぐに消える。


「できた、のか?」


「わぅ」


 神威が頷いた。


 かなり自信ありげだった。


「信用していいのか不安だな」


「範囲は狭いです」


 ツキハが言った。


「神威の周囲、およそ一メートル。そこを外れると、信号が途切れます」


「一メートルか」


 ドーラは低く唸った。


「全員で行くのは無理だね」


「はい」


 ツキハが頷く。


「まず確認が必要です。大型狂機に敵対判定されないか」


「さて、誰が行くさね」


 



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