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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第61話 龍の卵(四)

 荷物を置いたあと、サトは神威の足回りを確認した。


 右前脚の補助ブレースは、やはり少し緩んでいる。


 山道で無理をさせたせいだ。


 市場の部品が頭から離れない。


 あれがあれば、もっと安定する。


 山道でも、神威に無理をさせずに済む。


 だが今は買えない。


「稼いでからだな」


 サトが呟くと、神威がわぅ、と鳴いた。


「分かってる。忘れてない」


 神威は少し安心したように座った。


 ツキハは窓の外を見ている。


 外殻の隙間から、龍骨市場の明かりが見えた。


 都市の奥では、どこかの機械が低く鳴っている。


「ツキハ、疲れてないか」


「疲労はあります」


「だろうな」


「ですが、観測は継続しています」


「休みながら観測しろ」


「休みながら観測します」


「本当に休めてるのか、それ」


 ツキハは少し考えた。


「不明です」


「そこは明確にしよう」


 ツキハは窓の外へ視線を戻した。


「この都市のあたりには、大きな精霊流があるようです」


 サトの表情が変わった。


「分かるのか」


「明瞭ではありません。ですが、カツザンの機械遺跡の下を通っているものと推測されます」


「地下か」


「はい」


「明日、観測院で聞こう」


 サトは言った。


「今日は休む。情報を集めるにも、倒れたら意味がない」


 ツキハは少しだけ黙ってから、頷いた。


「適切です」


 夜、神威は作業場で丸くなった。


 サトはその横で、補助ブレースの緩みを直した。


 古布で脚部を拭き、腹部パネルの縁の埃を取り、胸元の芽を傷つけないように布を避ける。


 神威は目を細めていた。


 整備されるのが嬉しいらしい。


「お前、串焼きよりこっちの方が好きだろ」


「わぉん」


「そうか」


 サトは小さく笑った。


 外では、龍都カツザンの夜がまだざわめいている。


 金属音。


 人の声。


 遠くで鳴る鐘。


 そして、都市のどこか深い場所から響く、低い機械の呼吸。


 サトはその音を聞きながら、ようやく自分が大きな都市に来たのだと実感した。


     ◇


 翌朝。


 龍都カツザンの朝は、森の朝とも村の朝とも違っていた。


 鳥の声より先に、金属を叩く音がした。


 水路を流れる水の音に、蒸気の抜ける音が混じっている。


 外殻の隙間から差し込む光は、白い壁に反射し、部屋の中を柔らかく照らしていた。


 サトは荷物をまとめ、村長エンザから受け取った紹介状を確認した。


 封はまだきれいに残っている。


 村長の筆跡。


 それを見ると、少しだけ村が遠くなった気がした。


「行くぞ」


「はい」


「わぅ」


 神威もついてくる気満々だった。


 サトは諦めた。


「まあ、紹介状を出すなら神威も見せた方が早いか」


「神威は目立ちます」


「そこが問題なんだけどな」


     ◇


 龍都カツザンの観測院は、中央殻と呼ばれる巨大なシェルター外殻の下にあった。


 宿の主人に聞いた通り、龍骨市場を抜け、左の昇降路を上がる。


 昇降路といっても、完全な機械式ではない。


 古い昇降機の枠組みに、滑車と人力と、少しの機械動力が組み合わされている。


 がこん、と音を立てながら上がる足場の上で、神威は少し怖がっていた。


「大丈夫だ。落ちない」


「きゅうん」


「たぶん」


「わぉん!?」


「冗談だ」


 ツキハが真面目に足場の端を見た。


「安全率は不明です」


「今それを言うな」


 昇降路を上がると、観測院の前に出た。


 建物は大きかった。


 森都キョウの村の観測院とは比べものにならない。


 旧世代の施設を利用した、半円形の建物。


 外壁には龍の鱗のような補強板が重ねられ、入口の上には観測院の印が掲げられている。


 サトは少し緊張した。


「ここか」


「はい」


「紹介状を出して、仕事を探す。できれば簡単な遺物整理か、精霊流の測定くらいがいいな」


「神威の部品購入のためですか」


「それもある」


 神威が期待した顔をする。


「期待しすぎるな。まずは仕事があるかだ」


 サトは紹介状を握り、観測院の扉へ向かった。


 そのとき、内側から怒号が聞こえた。


「担架をこっちへ!」


「止血布が足りない!」


「ただの傷じゃない! 水をかけるな、悪化する!」


 サトは足を止めた。


 扉が乱暴に開いた。


 中から、二人の男が担架を運び出してくる。


 担架の上には、腕を布で巻かれた若い観測士がいた。


 布の隙間から、黒く焦げたような痕が見える。


 ただの火傷ではない。


 サトは直感した。


 かなりの高温によって焼かれた痕だ。


 まるで溶岩に触れたような。


 続いて、別の担架が運び込まれる。


 足を引きずる者。


 顔を青くした者。


 古い機械片を抱えたまま震えている者。


 そして、入口の脇には、ひときわ目立つ人物が座り込んでいた。


 赤い虎耳を持つ、大柄な女だった。


 額から血を流し、片腕を布で吊っている。


 それでも背筋は折れていない。


 肩幅は広く、腕は太く、足元には折れた大槍が置かれていた。


 ただ座っているだけで、周囲の空気を押すような迫力がある。


 サトは思わず見てしまった。


 赤い虎耳。


 太い尾。


 傷だらけの体。


 あの種族は、たしか山岳戦に強い適応種だったはずだ。


 名前は出てこない。


 だが、かなり強い戦闘力を持つことで知られている。


 その彼女が、顔を歪めて座り込んでいた。


「……機械の犬」


 声は低く、かすれていた。


 だが弱っている者の声ではない。


 まだ噛みつく力を残している声だった。


 サトは返事に迷った。


 しかし、その前に別の職員が叫んだ。


「ユプケの姐さんを奥へ! まだ立たせるな!」


「立てる」


 赤い虎耳の女が言う。


「立ててません!」


「うるさい」


「うるさくても寝てください!」


 数人がかりで、彼女は奥へ運ばれていった。


 サトはその背中を見送る。


 ユプケ族。


 ようやく名前が出てきた。


 戦闘向きの適応種として、観測院の古い記録で読んだことがある。


 そのユプケ族が、あの状態。


 サトの喉が乾く。


 観測院の入口は、怪我人と怒号で混乱していた。


 神威が低く鳴いた。


 警戒ではなく、不安の声だった。


 ツキハの表情も変わっていた。


「サト」


「ああ」


 サトは紹介状を握りしめたまま、観測院の中を見た。


 奥から聞こえる誰かの叫び。


「第三班が戻ってない! まだ龍骨坑道の中だ!」


 サトは息を呑んだ。


 龍骨坑道。


 その名だけは、市場でも宿でも耳にしていた。


 都市の地下深くへ続く、旧世界の大坑道。


 正確には、旧世代シェルターの地下住民区画、研究区画、企業区画へつながる入口の一つ。


 状態のよい遺物が見つかることもある。


 だが、狂機や精霊獣が出ることもある。


 だから観測院が管理しているのだ、と。


 その龍骨坑道で、何かが起きている。


 そう理解するのに、時間はかからなかった。


 職員の一人が、血のついた記録板を抱えて駆け込んでくる。


「新しい区画の封印扉を開けた班がやられた! 奥に大型狂機!」


「型は!」


「分からん! ただ、あれは……」


 職員は息を呑み、震える声で言った。


「旧世界の記録で見た恐竜というやつだと思う」


 周囲が一瞬、静かになった。


 すぐに、怒号が戻る。


「扉は閉めたのか!」


「閉まらない! ただ、本体がでかすぎて通路から出られない! 今は区画奥で止まってる!」


「くそっ」


 職員は慌てて去っていく。


 サトは紹介状を握る手に力を込めた。


 路銀を稼ぐための仕事。


 神威の部品を買うための仕事。


 そのつもりで来た。


 神威が、低く、短く鳴いた。


 サトはその頭に手を置いた。


「……来たばかりなんだけどな」


 ツキハが静かに言う。


「不適切な状況です」


「ああ」


 サトは、山の上から見たカツザンの姿を思い出した。


 山腹に身を巻き、白い卵を抱く巨大な龍。


 遠くからは、その卵は静かに眠っているように見えた。


 だが、白い殻の内側にあったのは、穏やかな暮らしだけではない。


 そのさらに下。


 龍の腹の奥で、何かが目を覚ましている。


 どうやら龍都カツザンは、最初から三人を休ませるつもりなどないらしい。

えっ普通の人類?とっくの昔に滅んでます(´・ω・`)

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