表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/77

第6話 北の畑の青い光(一)

神威が立った。


正確には、立とうとして、三度ほど転びかけたあと、なんとか立った。


サトの工房の床に、ぎぎ、がいん、きゅいん、という不安な音が響く。


「……よし。立ててはいるな」


サトは神威の前脚を見ながら、額の汗を拭った。


昨夜からほとんど寝ていない。


神威の右前脚には、昨日分解した新作の槍から取った補助回路が組み込まれている。左後脚には、倉庫の隅にあった古い関節軸を削って作った仮部品。胴体の下には、ありあわせの金具で固定した補助フレーム。


そして尻尾の位置には、細い金属棒と革紐を組み合わせた仮パーツがついていた。


見た目は、正直あまり格好よくない。


「とりあえず、バランスを取るだけならこれでいけるはずだ」


神威はゆっくりと一歩踏み出した。


がいん。


右前脚が少し遅れる。


きゅいん。


左後脚が変な音を立てる。


かたん。


仮の尻尾が、不安そうに揺れた。


「……無理するなよ。走るな。跳ぶな。突っ込むな。分かったな?」


「わぉん」


「返事だけはいいな」


神威は誇らしげに胸を張った。


その瞬間、右前脚が少し沈み、体が斜めに傾く。


「ほら言った!」


サトは慌てて神威の肩を支えた。


大型狼ほどの機械を支えられるほど、サトは力持ちではない。だが、神威も倒れまいとして踏ん張ったため、なんとか体勢を戻すことができた。


神威の瞼がしゅんと下がる。


「怒ってるんじゃない。ただ、まだ仮修理なんだ。お前が本気で動いたら、俺の修理が追いつかない」


「きゅうん」


「分かればいい」


サトは工具箱を閉め、ピッケルを肩にかけた。


今日は、村長から受けた依頼に向かう。


北の畑の奥で、夜になると青白い光が動く。柵が壊され、地面には焦げ跡が残っている。村人たちは侵食獣ではないかと怯えている。


戦うことではない。


サトの仕事は、それを観測し、危険かどうかを判断すること。


少なくとも、サトはそのつもりだった。


「行くぞ、神威。危なかったら逃げる。いいな?」


「わぉん」


「だから、その返事を信用していいのかが問題なんだよな」


工房の扉を開けると、朝の光が差し込んだ。


神威は眩しそうに瞼を細める。


背中の太陽光超効率収集装甲板が、かすかに反応して淡く光った。


「充電しながら歩けるのか。便利だな」


「わおん」


「嬉しそうだな」


神威の仮尻尾が、かたん、かたんと揺れた。


サトはそれを見て、少し笑った。


「ちゃんと直ったら、本物の尻尾も作ってやりたいところだけどな」


その言葉に、神威がぴたりと止まった。


「……何だ?」


神威はサトを見た。


それから、自分の仮尻尾を振ろうとして、かたん、と頼りない音を立てた。


「いや、今のは約束っていうか、希望というか……」


「わぉん」


「分かった。探す。いつか探すから。今は仕事だ」


神威は満足したのか、ぎこちない足取りで歩き始めた。


村の通りに出ると、何人かの村人がこちらを見て固まった。


「うわ、本当に動いてる」


「あれ、昨日のゴミ山のか?」


「噛まないのか?」


「たぶん」


「たぶんって何だ」


サトは苦笑しながら、神威の首元を軽く叩いた。


「大丈夫です。今のところ、俺より聞き分けがいいです」


「お前よりって、基準が低くないか?」


井戸端の老婆がそう言うと、周囲から小さく笑いが起きた。


神威は笑われている意味が分からないらしく、瞼をぱちぱちと開閉した。


その仕草を見て、近くにいた子どもが一歩近づく。


「ねえ、触っていい?」


「まだだめ。仮修理だから、変なところに触ると外れる」


「外れるの?」


「外れる」


子どもは目を輝かせた。


「外れるところ見たい!」


「見せない」


神威は子どもの方を向いた。


背中の一部がかしゃりと開き、動物忌避用のLEDが、なぜか淡く点滅し始める。


「神威、光るな。怖がらせる」


「わぉん?」


「嬉しいのは分かるけど、いま光ると逆効果なんだ」


子どもは怖がるどころか、さらに目を輝かせた。


「光った!」


「光る狼だ!」


「もう一回!」


「だめだ。見世物じゃない」


サトは神威を引っ張るようにして、村の北へ向かった。


背後では子どもたちが手を振っている。


神威は何度も振り返り、そのたびに仮尻尾をかたんかたんと鳴らした。


「……お前、本当に犬みたいだな」


「わぉん」


「褒め言葉として受け取るな」


北の畑へ向かう道は、村の外れから緩やかに森へ続いている。


畑にはまだ朝露が残り、土の匂いが濃かった。柵の一部は壊され、焦げたような黒い跡が地面に残っている。


サトはしゃがみ込み、焦げ跡に指を近づけた。


「熱で焼けた跡じゃないな」


土の表面だけが浅く変色している。炭化ではない。何かの波が走ったような、薄い焦げ方だった。


「忌避パルスに近い……かな。獣を追い払うための旧世界機械の機能に似てる」


神威が鼻先を近づける。


「お前も何か分かるか?」


「……わぉん」


神威は畑の奥、森の方を見た。


金属の耳にあたる部品が、細かく動いている。


「やっぱり、森か」


サトは鞄から小型の記録板を取り出し、焦げ跡の位置を記録した。


「柵を壊した何かが森へ入った。青白い光もそっちで目撃されてる。よし、慎重に行くぞ」


さて、ここから北の森に入るわけだが――。


がいん、がいん、がいん。


「待て待て待て、神威! どこに行く!」


神威は突然、サトの横をすり抜けて森の奥へ進み始めた。


いや、走り出したというより、走ろうとしている、という方が正しい。まだ仮修理の脚部はぎこちなく、関節が動くたびに嫌な金属音を立てている。


「だからまだ全力で動くなって言っただろ!」


「わぉん!」


「返事だけはいいな!」


神威はサトの制止を聞かず、木々の間を抜けていく。


やがて、一本の大きな木の根元で足を止めた。


前脚で、落ち葉の積もったあたりをがさがさとかき分ける。


「何だ? 何かあるのか?」


サトが覗き込むと、木の根元のくぼみに小さなものが丸まっていた。


掌に乗りそうなほど小さい。


モモンガの赤子に似ていた。けれど、普通の獣ではない。薄い膜のような翼の縁が、ぼんやり青く光っている。尻尾の先にも、小さな星屑のような光がまたたいていた。


「精霊獣の赤子か?」


サトは息をひそめた。


赤子の光は、一定ではなかった。


強くなったり、弱くなったり、途切れそうになったりしている。


「発光が不規則だな……。体内の精霊が乱れで、体調を崩しているのか?」


サトがそう呟いた瞬間、神威の腹部がかしゃりと開いた。


「まっ、何して――」


神威の腹の両脇から、薄いパネル状の装置が展開される。


次の瞬間、淡い光の粒が、赤子に向けて降り注いだ。


きらきらとした、暖かな光だった。


「……うん?」


サトは身構えたまま、目を細める。


攻撃ではない。


熱もない。忌避信号でもない。むしろ、乱れた精霊反応が少しずつ整っていく。


「このパネル……精霊の調子を整えるパルスを照射できるのか?」


赤子の発光が、ゆっくりと落ち着いていく。


荒れていた呼吸も、少しずつ穏やかになった。


サトは神威を見た。


「神威……お前、ただの犬だと思ってたが、やるじゃないか」


「わおん」


神威は誇らしげにひと吠えした。


「いや、褒めてはいる。褒めてはいるんだが、これだけ小さな子だ。あまり近づきすぎると親が怒……って……」


サトは途中で言葉を止めた。


気配がした。


ゆっくりと顔を上げる。


木の上に、巨大な赤い目が二つ。


いや、二つではない。


枝の上、幹の裏、葉の隙間。


いくつもの赤い目が、こちらを見下ろしていた。


「……っ」


背筋に緊張が走る。


まずい。


逃げられる距離ではない。


好戦的な精霊獣でなくても、動物からの変異種は警戒心が高い。まして子どもに近づきすぎた相手を、黙って見逃すはずがない。


襲ってくる。


そう思った。


思ったのだが。


「……襲ってこないな」


木の上の巨大なモモンガたちは、目を細めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ