第59話 龍の卵(二)
◇
都市の門に着くころには、陽は少し傾き始めていた。
山の影が、白いシェルター外殻の上に長く伸びている。
朝から歩き続けた足は重かった。
神威の脚も、見た目にはしっかりしているが、補助ブレースの継ぎ目がときどき小さく軋んでいた。
都市の門は、山腹の大きなシェルター口を利用して作られていた。
厚い外殻に、後世の木組みと石垣が継ぎ足されている。
門の左右には、人が立っていた。
ただの門番ではない。
槍を持つ者。
古い観測端末を腰に下げた者。
精霊札を吊るした者。
そして、金属の腕を持つ者。
サトは思わずその腕を見た。
旧世界の義肢だろうか。
それとも機械化した適応人類なのか。
判断できない。
門番の一人が神威を見て、眉を上げた。
「……機械狼」
サトは少し身構えた。
「旧世代の観測・警戒機です。危険なものではありません」
神威が、わぉん、と鳴いた。
「鳴くのか」
「鳴きます」
神威は何を思ったのか、少し得意そうに胸を張った。
門番はしばらく神威を見ていた。
「まあ、暴れそうには見えねえな。中で火を噴くなよ」
サトはすぐに神威を見た。
「火は噴くなって」
「わぅ」
「誇るな」
門番が通行札を渡した。
「旅人か」
「はい。森都キョウ方面から来ました」
「キョウからか。遠かったろう」
「かなり」
「宿を探すなら、龍骨市場を抜けた先の外殻宿が空いてるはずだ。観測院に用があるなら、中央殻の下だが……」
門番は一度、都市の奥を見た。
ほんのわずかに、顔を曇らせる。
「今日は遅い。用が急ぎでないなら、明日の朝にしろ」
「何かあったんですか」
「観測院はいつも忙しい」
門番はそう言っただけだった。
サトはそれ以上聞かなかった。
疲れていたし、初めての都市で夜に動き回るのも不安だった。
「ありがとうございます。まず宿を取ります」
「それがいい」
門をくぐった瞬間、音が変わった。
山の風ではない。
人の声。
金属を叩く音。
水車の回る音。
蒸気の抜ける音。
遠くで鳴る鐘。
動物の鳴き声。
機械の低い唸り。
それらが混ざり、都市の腹の中に反響していた。
サトは立ち止まりそうになった。
だが、後ろから人が入ってくるので慌てて進む。
「すごいな……」
思わず声が漏れた。
ツキハは周囲を見回していた。
「情報量が非常に多いです」
「だろうな」
「視覚、聴覚、精霊流、機械反応、人間の移動、匂い、温度差。すべてが重なっています」
「俺は匂いだけでもう限界に近い」
市場からは、焼いた肉の匂い、油の匂い、薬草の匂い、金属を焼く匂いが漂ってきた。
神威は鼻先を上げた。
いろいろ気になるらしい。
ただし、あまりにも匂いが多すぎるのか、途中でくしゃみをした。
「わふっ」
「大丈夫か」
「わぅ……」
「都会は刺激が強いな」
神威は少しだけサトの足に寄った。
サトはその頭を軽く撫でる。
神威の背中の芽が、小さく揺れた。
◇
龍骨市場は、その名の通り、巨大な骨の中に作られたような市場だった。
実際には、旧世代の高架構造物の下を利用しているのだろう。
頭上には太い梁が何本も走り、龍の肋骨のように見える。
その下に、屋台や店がずらりと並んでいた。
野菜。
干し肉。
布。
薬草。
精霊札。
旧世代のねじ。
壊れた端末。
義肢の部品。
歯車。
古い電池。
見たことのない鉱石。
そして、用途の分からない機械の山。
サトは足を止めた。
「……おい」
目の前の店先に、神威の脚部補助ブレースに使えそうな部品があった。
曲面を持つ軽量合金。
古いがまだ生きている関節軸。
小型の衝撃吸収器。
それに、神威の腹部パネルの制御に使えそうな古い調整器。
サトは思わずしゃがみ込む。
「これ、かなりいいな」
店主がすぐに声をかけてきた。
「お目が高いね、兄ちゃん。旧シェルター警備機の足回りだ。まだ使えるぜ」
「警備機?」
「たぶんな。こっちは小型作業獣用の関節。そっちの衝撃吸収器は、山道用だ」
サトは部品を手に取った。
軽い。
錆びも少ない。
神威の右前脚に合わせれば、かなり安定するかもしれない。
神威も横から覗き込む。
「わぅ?」
「お前に合いそうなんだよ」
神威の尻尾が揺れた。
「まだ買うとは言ってない」
尻尾が止まった。
店主は笑う。
「機械狼用なら、こいつもどうだ。背面補助の固定具もある」
それも良さそうだった。
サトは内心で思った。
この店主、分かっている。
サトは値段を聞いた。
そして、黙った。
「……高いな」
「安くはないねえ」
「これ全部だと?」
「兄ちゃんの旅袋より重くなるくらいの金がいるな」
サトは荷袋の中を思い出した。
ガラから受け取った路銀。
万葉の大地で泊まった宿。
食事。
通行料。
これから龍都にしばらく滞在するなら、宿代もかかる。
ここで部品を買えば、かなり心もとない。
神威は期待した顔でサトを見ていた。
その顔がつらい。
「……今回は我慢だ」
「きゅうん」
「そんな顔するな。買いたいのは俺も同じだ」
「わぅ……」
「路銀がなくなったら、野宿どころか飯も怪しくなる」
ツキハが横から言う。
「私は食事量を減らせます」
「だめ」
「なぜですか」
「だめだからだ」
「不適切ですか」
「かなり不適切だ」
ツキハは少しだけ黙った。
神威は部品を名残惜しそうに見ている。
サトは店主に頭を下げた。
「また来ます。残ってたら」
「早めにな。いい部品はすぐ売れちまうぜ」
「分かってます」
サトは立ち上がった。
神威も、しょんぼりとついてくる。
その背中があまりに分かりやすく落ち込んでいたので、ツキハが少し困ったように見た。
「神威。部品を買わないことは、神威を大切にしていないことではありません」
「わぅ?」
「サトは、神威の修理より宿泊と食事を優先したわけではなく、総合的な生存可能性を優先しました」
「言い方は堅いけど、その通りだ」
神威はサトを見た。
サトは神威の頭を撫でる。
「稼いでからだ。仕事を探そう」
「わぉん」
神威は少しだけ元気を取り戻した。
◇
市場の奥では、屋台が並んでいた。
焼き魚。
山菜餅。
鉄板で焼いた薄いパン。
見たことのない果物。
そして、串焼き。
香ばしい匂いがする。
サトの腹が鳴った。
ツキハが反応する。
「サトの腹部から音がしました」
「言わなくていい」
「空腹ですか」
「そうだな」
「私はまだ行動可能です」
「だから我慢しなくていい」
サトは屋台の前で足を止めた。
串焼きには、白い肉が刺さっていた。
脂が落ち、火に触れて煙が上がる。
屋台の親父が声を張る。
「龍脈兎の串焼きだよ! 今日はよく肥えてる!」
サトは聞き返した。
「龍脈兎?」
「山の精霊流を食って育つ兎だ。癖はあるが、うまいぞ」
ツキハが固まった。
「精霊獣ですか」
親父は笑った。
「獣だよ。ちょいと精霊が濃いだけだ」
「精霊獣は、食用可能なのですか」
「食えるやつは食える。食えないやつは食えん。そんだけだ」
あまりに雑な答えだった。
サトも少し驚いた。
「精霊獣って、食えるんだ……」
ツキハは真剣に考え込む。
「機霊は不可食です」
「それはそうだろうな。白い列車を食べようとは思わない」




