第56話 白き流れは、記憶を運ぶ(二)
サトは荷袋から、ウォズの歌を書いた紙を取り出した。
山の影、鉄の骨鳴り、唸る森
白き流れは、記憶を運ぶ
「……鉄の骨鳴り、唸る森」
サトが呟く。
ツキハは静かに答えた。
「記述と一致しています」
神威が、わぅ、と鳴いた。
小さな声だった。
サトはすぐに神威を見る。
「お前、吠えるなよ」
神威は口を閉じた。
今回は素直だった。
だが、その直後、神威の胸元が淡く光り始めた。
胸の小さな芽が、風もないのに揺れる。
腹部パネルが、勝手に少し開きかけた。
「神威?」
「きゅうん」
神威は自分でも戸惑っているようだった。
サトはすぐに膝をつき、腹部パネルの縁に手を添えた。
「勝手に開くな。強く出すな。反応を絞れ」
「わぉん……」
「反応してるのか?」
ツキハの目が、北の森へ向く。
「精霊反応…何か来ます」
その声は、いつもより少し硬かった。
サトは立ち上がった。
森の奥が白く光っている。
最初は霧に見えた。
山道を流れる、朝霧の残り。
だが違う。
霧にしては、流れ方が整いすぎている。
風とは逆向きに動いている。
白い光が、木々の間を滑るように進んでくる。
その中に、窓のようなものが見えた。
四角い光。
いくつも並んでいる。
長い胴体。
揺れる輪郭。
音がした。
車輪の音ではない。
風の音でもない。
精霊流が脈打つような、低い響き。
白い流れが、山道へ現れた。
それは、列車のようだった。
だが、ほとんど機械の形を残していない。
車体らしき輪郭はある。
窓のような光もある。
しかし、その輪郭は常に揺れ、白い精霊流の帯のようにほどけている。
かつて列車だったなにか。
長い年月の果てに精霊化し、今はほとんど白い流れそのものになった存在。
サトは息を呑んだ。
「……なんだ、あれ」
ツキハもすぐには答えなかった。
やがて、慎重に言う。
「旧世代の移動機械。ですが、機械部分はほとんど残っていません。精霊獣化しています」
「精霊獣……機霊か」
白い列車のような精霊獣は、三人の周囲をゆっくり回り始めた。
線路の上を走っているわけではない。
地面から少し浮いている。
だが、そこに見えない軌道でもあるかのように、一定の円を描いていた。
攻撃ではない。
だが、近い。
白い流れが近づくたび、サトの視界にノイズのようなものが走った。
笑い声。
誰かの話し声。
古い案内音。
扉が閉まる音。
知らない言葉の警告。
それから、観測ログの断片。
観測開始。
乗車率。
精霊圏反応。
第一接触。
単語だけが、ばらばらに耳の奥へ流れ込んでくる。
「っ……」
サトは思わず頭を押さえた。
ツキハがすぐに言う。
「近づきすぎないでください。記憶の残響です。精霊流が乱れています」
「こっちを襲う気は?」
「敵意は不明です。ただ、攻撃目的ではないように見えます」
「じゃあ、何なんだ」
「困惑しています」
「困惑?」
「はい」
ツキハは神威を見た。
「神威に反応しています」
神威は、きゅうん、と鳴いた。
白い列車の精霊獣は、サトたちを含めた広い輪を描いて回る。
そのたびに、神威の胸元が光る。
腹部パネルが開きかける。
旧世代エーテルコアが、何かに応えている。
サトは理解した。
完全ではない。
だが、何となく分かった。
神威も、あの列車も、旧世代の機械だった。
人のために作られ、人の暮らしのそばにあり、長い時間の中で壊れ、忘れられ、精霊に触れて変わってしまったものたち。
神威は歩く案山子として、境界を守っていた。
あの列車は、かつて人々を運んでいたのだろう。
「……道に迷ってるのか」
サトは呟いた。
ツキハが目を細めた。
「白い流れの中心に、古い路線記録があります。ですが、壊れています。周回経路を失っています」
「やっぱりそうか」
「かつての線路を探しているようにも見えます」
神威が一歩前に出た。
「待て」
サトが止める。
神威は振り返った。
その顔は、不思議といつもの無茶をする顔ではなかった。
困っているものを見つけた顔だった。
サトは小さく息を吐いた。
「分かった。でも、危険なことは無しだ」
「わぉん」
「威嚇じゃない。壊すな。乱すな。前にナマズのときにやっただろ」




