第54話 詠われる大地(三)
「可食部が外部から判別しにくいです」
「割るんだよ」
サトが殻を割ってやる。
白い身が出る。
ツキハはそれをじっと見たあと、口に運んだ。
少し沈黙する。
「……適切です」
ツキハは目を輝かせた。
「かなり気に入っただろ」
「味覚情報が複雑です。塩味、甘味、うま味。記録量が多いです」
「気に入ったんだな」
「はい」
サトもカニを食べた。
甘い。
塩気がある。
身が柔らかい。
こんなものを旅の途中で食べられるとは思っていなかった。
「ガラさんに、もう一回感謝だな」
「はい。ガラの支援は味覚情報にも影響しています」
「そういう言い方になるのか」
ツキハは次に、白い米を口にした。
そして、目を少しだけ見開いた。
「この白い粒は、保存食のパンより柔らかいです」
「そりゃそうだ」
「毎日これを食べる土地ですか」
「そういう土地もある」
ツキハは真剣に言った。
「地上は、情報量が多すぎます」
「食べ物の話でそれを言うのか」
乾かし場の方から、神威がわぅ、と鳴いた。
食べられないくせに、こちらの楽しそうな空気は分かるらしい。
女将は笑って、神威の近くに水と、金属部品を磨くための古布を置いてくれた。
「食べられないなら、せめて磨いてもらいな」
神威は嬉しそうに鳴いた。
◇
翌朝、三人は宿の女将に教えられた建物へ向かった。
通りを上がった先に、それはすぐ見つかった。
大きな風車のある建物だった。
村の観測院と同じくらいの大きさがある。
外には石碑が並び、中庭には歌碑が立っている。
風車はゆっくり回り、建物の奥からは紙をめくる音や、石を削る音が聞こえてきた。
何人かが働いている。
紙に記録を書き写す者。
石碑の文字を磨く者。
古い端末を分解している者。
三人が入ると、中年の男が顔を上げた。
髪には白いものが混じっているが、目は鋭い。
「客人なんて珍しいな。この記録院を管理しているウォズ・タスという者だ」
サトは頭を下げた。
「サトです。こっちはツキハと神威。宿の風呂で見た石碑について聞きたくて来ました」
ウォズは眉を上げた。
「湯の石碑か。あれを気にする旅人は少ない」
ツキハが言った。
「白き流れ。鉄の骨。山の眠り。精霊流と機械遺跡の観測記録である可能性があります」
ウォズは少し驚き、それから楽しそうに笑った。
「なるほど。観測士のお嬢さんかな。この地では昔から、事象や記録を歌にして残すんだ」
「歌を記録として?」
サトが聞き返す。
ウォズは微笑みながら奥に歩きだした。
「数字は消える。端末は壊れる。だが、歌は人が覚える。だからここではずっと昔からあったことを歌で記録してきた」
ツキハが反応した。
「詠われる大地……記録媒体として興味深いです。人から人へ伝播し、破損しても復元可能性があります」
ウォズは満足げに頷いた。
「読めぬ者には歌。読める者には記録。そういうものだ」
ウォズは三人を案内した。
歌碑。
観測詩。
古い石板。
水位と精霊流の変化を歌にしたもの。
山の機械遺跡の異音を残したもの。
季節ごとの精霊流の変化を、花や鳥の名に置き換えて記録したもの。
サトは半ば呆れ、半ば感心していた。
「分かるやつには分かるってことか」
「そういうことだ」
神威は歌碑の間を歩きながら、鼻先を近づけていた。
「読むのか?」
「わぅ?」
「いや、読めないだろうけど」
神威は少し不満そうに耳を伏せた。
ツキハは石碑に刻まれた古い文字を、ひとつずつ目で追っていた。
やがて、彼女はウォズに尋ねた。
「アルファベット家についての記録はありますか」
サトは驚いた。
「ツキハ?」
ウォズの表情が変わった。
「アルファベット家?」
ウォズはじっとサトを見る。
「歌は様々な解釈が可能だ。それ故に真実が歪むこともある。だが、世界中に刻まれた歪みようのない真実もまた存在する」
サトは黙った。
ウォズは奥の記録室へ三人を案内した。
そこには、石碑ではなく、紙の記録と古い端末が保管されていた。
精霊科学文明初期の記録だという。
ウォズは棚の奥から、古い記録を取り出した。
紙は黄ばみ、端は補修されている。
だが、文字はまだ読めた。
「アルファベット家は、旧世界末期の情報技術系巨大企業群の一つに連なる名だ」
ウォズは静かに言った。
「検索。観測。情報整理。世界の可視化。彼らは、見える情報を集めるだけでは満足しなかった」
サトは記録を見る。
古い文字。
図。
端末の設計らしきもの。
「見えないもの」
ウォズは続ける。
「世界の裏側にある層。精霊圏。それを観測しようとした」
ツキハは黙って聞いていた。
神威も、なぜか静かだった。
「やがて、アルファベット家に連なる研究者たちは、人類で初めて精霊圏を観測する端末の開発に成功する。精霊科学文明は、そこから始まったと言われている」
サトは知らなかった。
いや、似た話を知識として聞いたことはあった。
精霊圏を最初に観測した者たち。
旧世界末期の巨大な情報企業。
世界を見えるようにした人々。
だが、それを自分の姓と結びつけて考えたことはなかった。
「……それが、世界を良くしたのか悪くしたのか」
サトは言った。
ツキハが静かに答える。
「観測は、善悪ではありません。見えなかったものを、見えるようにした。それだけです」
サトは少し苦く笑った。
「でも、見えるようになったせいで、人は使おうとした」
ツキハは考えた。
「適切です。そして、不適切です」
「どっちだよ」
「観測したことが罪なのではありません。しかし、観測したものをどう扱うかには責任があります」
サトは黙った。
その言葉は、サトにとっても、ツキハにとっても重かった。
精霊科学文明の果てに人類は一度滅びている。
そして、サトは、観測した者たちの末裔。
そのとき、神威が突然立ち止まった。
「神威?」
サトが振り向く。
神威は記録室の奥に置かれた古い観測端末を見ていた。
画面は割れ、外装は錆び、動力も残っていないはずだった。
だが、神威の胸元が淡く光っている。
旧世代エーテルコアが、端末の奥に眠る残響と共鳴しているようだった。
神威は端末に鼻先を寄せた。
その瞬間、割れた画面に一瞬だけ文字が浮かぶ。
ALPHABET OBSERVATION ARRAY
SPIRIT LAYER FIRST CONTACT
サトは読めてしまった。
読めてしまった。
だからこそ、胸の奥が重くなる。
「……アルファベット観測網」
ツキハが画面を見る。
「精霊圏、初回接触」
ウォズが息を呑んだ。
「まだ動くのか、その端末が」
神威は、きゅうん、と鳴いた。
自分でも何が起きたのか分かっていない。
サトは端末に触れようとして、途中で手を止めた。
自分の姓。
父の遺したピッケル。
観測士としての仕事。
そして、人類が最初に見てしまったもの。
そのすべてが、一本の細い線でつながったように感じた。
「俺は……ただの村の観測士なんだけどな」
小さく呟く。
ツキハが答えた。
「はい。サトは、サトです」
サトは少しだけ笑った。
「定義としては不明瞭だな」
「しかし、サトにとっては適切なのではありませんか」
サトは返事をしなかった。
ただ、壊れた端末を見つめる。
そこに浮かんだ文字は、もう消えていた。
けれど、一度読んでしまったものは、消えない。
◇
その後、月に関する情報も調べたが、特に目ぼしい情報を得ることはできなかった。
記録堂を出る前に、ウォズは一つの古い歌を教えてくれた。
万葉の大地から北へ抜ければ、古い山々の精霊流と機械遺跡が交差する山間都市、龍都カツザンへ近づく。
だが、その途中には、精霊流の乱れた旧道があるという。
ウォズは紙に歌を書きつけ、サトへ渡した。
山の影、鉄の骨鳴り、唸る森
白き流れは、記憶を運ぶ
サトは眉をひそめた。
「これも観測記録か?」
ウォズは笑った。
「かもしれんし、ただの古歌かもしれん。」
ツキハは静かに言った。
「記録として不完全です」
ウォズはまた笑う。
「だから、人が読むのだ」
神威が、わぅ、と鳴いた。
サトはその頭を軽く叩いた。
「お前が吠える話じゃないといいけどな」
神威は得意げに胸を張る。
「褒めてない」
三人は、その日も万葉の大地で一夜を明かすことにした。
腹を満たし、温泉で温まり、少しだけ休む。
けれど、サトの胸には、古い端末の文字が残っていた。
ALPHABET OBSERVATION ARRAY
SPIRIT LAYER FIRST CONTACT
見えなかったものを、見えるようにした者たち。
その末裔として、自分は何を見るのか。
サトはまだ答えを持たない。




