第53話 詠われる大地(二)
◇
宿は、サトが普段泊まるような安宿より、かなり立派だった。
木造の大きな建物で、入口には古い歌が刻まれた板が掲げられている。
中からは湯気と、煮物の匂いが漂ってきた。
サトは料金を聞いて、少し顔を引きつらせた。
「……たぶん不適切だ。でも今日は必要経費だ」
荷袋の中の路銀を確かめる。
「ガラさんに感謝だな」
「ガラの支援がなければ、不適切でしたか」
「かなり不適切だった」
「記録します」
「そこは記録しなくていい」
宿の女将は、神威を見て目を丸くした。
「その子、外に繋いでおくのかい?」
サトは困った。
「いや、できれば屋根のあるところに置かせてもらえると……雨に濡れると困るんです」
神威がしょんぼりと耳を伏せる。
その背中に、小さな野鳥が数羽止まっていた。また鳥が増えている。
女将はしばらく神威を見た。
それから、ふっと笑った。
「まあ、悪いモノじゃなさそうか」
神威が少し嬉しそうに耳を立てる。
「裏の乾かし場を使いな。火を噴いたりするんじゃないよ」
サトはすぐに神威を見た。
「火は出すなってさ」
「わぉん」
神威は乾かし場へ案内された。
屋根があり、風通しもよく、端には薪や古布が積まれている。
梁にはすでに野鳥が何羽か止まっていた。
神威がそこに座ると、背中の鳥たちは梁へ移ったり、また神威の背へ戻ったりした。
「鳥宿になってるな」
「わぅ」
「得意げになるな」
サトは神威の背を古布で拭き、腹部パネルの縁をもう一度確認した。
大きな異常はない。
ただ、明日もう一度防水処理をした方がいいだろう。
「神威、今日は休め」
「わぅ」
神威はそこで静かに横になった。日向ぼっこの態勢だ。
機械でも疲れるのだろうか。
◇
宿には温泉があった。
サトは男湯へ、ツキハは女将に案内されて女湯へ向かった。
サトの家で湯に浸かったことはある。
だが、ツキハにとって温泉は初めてだった。
女将は湯気の立つ戸を開けながら言った。
「この湯は山の下から湧いてるんだよ。普通の湯よりも体がよく温まる」
ツキハは湯気を見つめた。
「自然加熱された地下水ですか」
「まあ、そんなようなもんさ」
「目的は洗浄、加温、疲労回復」
「難しいこと言うねぇ。まあ、入れば分かるよ」
ツキハは湯に入った。
そして、しばらく固まった。
「状態に変化があります」
女将が心配そうに覗き込む。
「熱かったかい?」
「……適切です」
「そうかい」
「非常に、適切です」
女将は笑った。
露天風呂の岩場には、大きな石碑があった。
湯気の向こうに、古い文字が刻まれている。
ツキハは湯に浸かりながら、それを見た。
湯けむりに
白き流れの声を聞く
山まだ眠り
鉄の骨鳴る
「これは、歌ですか」
ツキハが尋ねると、女将は頷いた。
「そうだよ。このあたりは古い歌や記録が多くてね」
「白き流れ。鉄の骨。これは精霊流と機械遺跡の観測記録の可能性があります」
「さあねえ。知りたきゃ記憶守にでも聞くさね」
「記憶守」
「通りを上がった先に、風車のある大きな記録院って書いた建物がある。そこに行きな。目立つから迷わないだろうさ」
ツキハはその名を記録した。
湯の温度。
湯気の匂い。
石碑の歌。
そして、記録院。
地上は、また新しい情報を差し出してきた。
◇
夕食は、サトの予想を大きく超えていた。
女将が次々と器を並べていく。
蒸した卵。
煮物。
干物。
焼いた白身魚。
透き通るような生魚。
湯気を立てる白い米。
そして、赤く茹でられた大きなカニ。
「ささ、このあたりの特産を使ったカニ懐石だよ。味わってくんね」
サトは目を見開いた。
「壮観だな。こんな豪華な食事は初めてだ」
村にも、収穫祭のときには豪華な食事が出た。
村長宅の前にみんなで集まり、その年の収穫を祝う。
大鍋。
焼いた肉。
硬いパン。
甘い木の実。
あれはあれで、サトにとって大事なごちそうだった。
だが、目の前の料理はまるで違う。
器が並び、色が整えられ、湯気まで計算されているようだった。
洗練されている。
サトはそう思った。
ツキハは料理を見て、真剣に言った。
「カニ懐石……不適切です」
女将がきょとんとする。
サトも箸を止めた。
「何がだ?」
「なぜ『蒸し卵、煮物、干物、焼き白身魚、生魚、米、カニ懐石』ではないのですか。カニだけを示すと名称として不均衡です」
「ツキハ、蒸し卵好きだもんな」
「ち、違います。いえ、蒸し卵は好きですが、私は食材の平等性を伝えたかっただけです」
女将は一瞬ぽかんとしたあと、声を上げて笑った。
「おもしろいことを言う娘だねぇ。とりあえず、食べてみたら分かるさ」
ツキハはカニを前に固まった。
「これは、生物の外骨格ですか」
「食べ物だ」
外骨格食いてぃと思ったそこのあなた!6( 'ὢ' )ว
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