第50話 沼辺の夜と記憶の靄(二)
50話まできた☺
ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます!
「今日もかなり使ったな」
「はい」
「疲れてるんじゃないか」
「……少し状態に疲労があります」
「それを先に言え」
「報告が遅れました。不適切でした」
「責めてるんじゃない。ちゃんと休めって言ってる」
ツキハは少しだけ瞬きをした。
「了解しました」
言いながらも、まだ姿勢は崩さない。
休むのが下手だ。
サトはそう思った。
次に、ツキハは自分の衣の端を摘んだ。
泥で汚れているが、月光を受けると薄く光る。
「これは月衣です」
「防具なのか」
「防御力は高くありません」
「そうなのか」
「はい。温度変化や、精霊流の乱れから身を守るものです。薄い結界のような役割もありますが、強い攻撃は防げません」
「見た目ほど無敵じゃないんだな」
「はい。見た目ほど無敵ではありません」
ツキハは真面目に繰り返した。
サトは少し笑いそうになったが、やめた。
本人は本気だ。
「あと、目」
「目?」
ツキハは水面を見た。
月が揺れている。
「精霊の流れや、その揺らめきを見ることができます。その質と量、色を分析することで対象の状態や危険度を推定することが可能です。ただし、すべてが分かるわけではありません」
「今日の足場は助かった」
「見えたからです」
「見えなかったら?」
「落ちていました」
「怖いことをさらっと言うな」
「事実です」
神威が、きゅうん、と小さく鳴いた。
たぶん今日の足場を思い出したのだろう。
サトも思い出した。
浮遊材が沈んだ瞬間。
ナマズの波。
神威が工具袋を守ろうとして落ちかけたこと。
まだ胸が冷える。
「月由来の知識もあります」
ツキハは続けた。
「旧世界、人造神、精霊圏に関する知識です。ただし、古く、欠けています」
「だから、知ってることと知らないことの差が大きいのか」
「はい。一般的な地上の生活については、むしろ不足しています」
「枝が湿ってるかどうかとか」
「はい。旅は汚れることも、最近記録しました」
「そこは順調に増えてるな」
「はい」
ツキハは少しだけ頷いた。
その表情は、ほんのわずかに柔らかかった。
サトは少し安心した。
「それと」
ツキハが言いかけて、止まった。
「まだあるのか」
「はい。もうひとつ、私自身の能力があります」
「能力」
「観測固定、と呼ぶのが近いと思います」
初めて聞く言葉だった。
サトは身を乗り出した。
「どういうものだ」
「観測した精霊流や反応の揺らぎを、短時間だけ留めます」
「留める?」
「はい。ほどけかけた月光糸の結び目を、少しだけ保つ。乱れかけた精霊流を、一瞬だけ安定させる。神威の異常反応が広がる前に、観測できた範囲で押しとどめる。その程度です」
「足場そのものを固めるわけじゃないのか」
「はい。物体を直接固定する力ではありません。足場を支えるのは月光糸です。観測固定は、その糸や精霊流の状態を少しだけ保つ補助です」
サトは目を細めた。
「それでも、かなり大事な能力じゃないか」
「使用条件が厳しいです」
「条件?」
「私が正確に観測できていること。対象が完全に崩壊していないこと。固定できる時間が短いこと。そして、私の負荷が大きいこと」
「つまり、万能じゃない」
「はい。万能ではありません。間違って観測すれば、間違った揺らぎを留めます」
サトは少しぞっとした。
乱れかけたものを、乱れた形で留めてしまう。
ほどけかけたものを、ほどける寸前のまま保ってしまう。
そういう危険もあるのだろう。
「今まで使ったことは?」
「無意識に使った可能性があります」
「無意識に?」
「はい。観測塔での脱出時。月竹の結界内。神威の異常反応を見たとき。断片的ですが、記録があります」
「それは……」
サトは言葉を探した。
「無理に使うなよ」
「必要な場面では使います」
「だから、それが怖いんだよ」
ツキハは少し首を傾げた。
「不適切ですか」
「お前も神威も、すぐ無茶をする」
「神威と同分類ですか」
「かなり近い」
「それは……」
ツキハは珍しく、言葉を詰まらせた。
神威が得意げに胸を張る。
「褒めてないぞ」
「わぅ?」
「二人ともだ」
神威は不思議そうに首を傾げた。
ツキハは少しだけ目を伏せた。
「あともう一つあるのですが、それはまた機会があれば説明します」
「まだあるのか」
「はい」




