第44話 峠の古道(二)
「それが最短ですか」
「たぶん最短だ」
「では、その経路が適切ではありませんか」
「普通ならな」
サトは地図の北側を指でなぞった。
「けど、鈴音鹿都へ向かう道は安全で人通りが多い。森都キョウの商人も通る。観測院の者も通る。噂も集まりやすい」
「私が目立つからですか」
ツキハは真面目な顔で尋ねた。
サトは一瞬だけ黙った。
「目立つ」
「外套を着ています」
「外套で隠せる目立ち方じゃない」
「不適切ですか」
「外套は適切だ。でも、それ以前の問題だ」
「それ以前」
「月から落ちてきた時点で、目立たない方が無理だ」
神威が、わぅ、と鳴いた。
完全に同意しているようだった。
ツキハは少し考え込んだ。
「では、目立たない努力をします」
そう言うと、ツキハは外套の襟を整えた。
動きは丁寧だった。
姿勢もよい。
髪に残る淡い光も、月片の気配も、薄い衣のきらめきも、かえって整って見えた。
神秘性が増した。
サトはため息をついた。
「努力の方向が違う」
「不適切でしたか」
「かなり」
「改善します」
「改善しようとすると、たぶんもっと目立つから一旦そのままでいい」
ツキハは真剣に頷いた。
「了解しました。そのまま目立ちます」
「そういう意味じゃない」
神威が口を開けて笑った。
その拍子に、背中の芽が揺れた。
こっちはこっちで目立つ。
サトは地図を見下ろしながら、少し遠い目をした。
「最短は北。でも今回は東へ回る」
サトは地図の上で指を動かした。
「峠を越えて、大陸沼の東岸に出る。そこから沼沿いに北へ進む。少し遠回りになるけど、人目は避けやすい」
「危険はありますか」
「ある」
サトは正直に言った。
「大陸沼の東岸は、道が安定してない。沈んだ旧都市もあるし、湿地の精霊獣も多い。けど、人に追われるよりはましだ」
「人に追われる方が危険ですか」
「場合による。でも今は、そう考えた方がいい」
ツキハは地図を見つめた。
その横顔に、迷いはなかった。
「了解しました。」
「選択するのは俺だけじゃない。お前も、神威も一緒だ」
ツキハが顔を上げる。
「私は、その経路に同意します」
「わぅ」
神威も鳴いた。
「お前も同意か」
「わぅ」
「じゃあ決まりだ」
サトは地図を畳んだ。
風が吹いた。
峠の上から、森の匂いが流れてくる。
その匂いは、昨日までの森とは少し違っていた。
湿り気が少ない。
石と苔と遠い水の匂いが混ざっている。
この先に、大陸沼がある。
かつて湖だった巨大な湿地。
サトも話には聞いたことがある。
だが、実際に行ったことはない。
「……本当に、外へ出るんだな」
言葉は、思わず漏れた。
ツキハがサトを見る。
「外、ですか」
「ああ。俺にとってはな」
「サトは、森都キョウの外へ出たことが少ないのですか」
「観測の仕事で近くの村や遺跡までは行く。でも、大陸沼を東回りに越えて、カツザンまで行くのは初めてだ」
「不安ですか」
ツキハはまっすぐ尋ねた。
サトは少しだけ笑った。
「不安じゃないと言ったら嘘になる」
「正直です」
「できない約束はしない方が信頼に値するんだろ」
ツキハは一瞬、目を瞬かせた。
それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「はい。適切です」
サトは地図を荷袋にしまった。
「行こう。日が落ちる前に峠の上まで出たい」
◇
峠の上に着いたのは、夕方近くだった。
道の最後は、ほとんど崖に近い斜面だった。
サトは何度も神威を止め、補助ブレースを確認しながら登った。
ツキハは精霊流の乱れを見て、崩れやすい場所を避ける。
神威は荷物を背負いながら、文句を言いたげに何度も「わぅ」と鳴いた。
それでも、誰も大きな怪我はしなかった。
峠の上には、古い観測塔の残骸があった。
塔と呼ぶには、もう低すぎる。
上部は崩れ、残っているのは土台と、折れた支柱だけだ。
だが、そこからの眺めは広かった。
西には、森都キョウの方角。
木々の海が、夕陽に沈んでいる。
どこかに、サトの村がある。
もう見えない。
だが、あの森の向こうにある。
東には、まだ遠いが、広い低地が見えた。
夕暮れの光を受けて、ところどころ白く光っている。
水だ。
大陸沼の端だろう。
「見えたな」
サトは呟いた。
「大陸沼ですか」
「たぶん。明日にはもっと近づける」
神威が前に出ようとした。
サトはすぐに首のあたりを掴んだ。
「行くな。崖だ」
「わぅ」
「興味だけで落ちるな」




