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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第38話 旅支度(一)

旅支度というものは、思ったよりも静かだった。


 もっと慌ただしいものだと思っていた。


 荷をまとめ、食料を詰め、工具を選び、服を畳む。


 それだけのことなのに、サトは何度も手を止めた。


 父のピッケル。


 壁に掛けた古い部品と工具箱。


 神威を最初に寝かせた床の布。


 ツキハが家で羽織っていた上着。


 それが今は、少し遠くに見える。


「サト。この部品は持っていきますか」


 ツキハが、作業台の上にある小さな熱変換板を指した。


「ああ、それは持っていく。神威のウォーマーが不安定になったら使える」


「了解しました」


 ツキハは布で包み、荷袋に入れた。


 動きに迷いがない。


 昨日、観測院で泣いた少女と同じ人物とは思えないほど、落ち着いていた。


 サトは少しだけ心配になった。


 不安ではないのか。


 怖くないのか。


 村を出ることも、知らない道へ向かうことも、きっと簡単ではないはずだ。


 だが、ツキハは黙々と手を動かしている。


 神威はその横で、荷袋の匂いを嗅いでいた。


「神威、それは食べ物じゃない」


「わぅ」


「分かってる顔じゃないな」


 神威は少し不満げに耳を倒した。


 その胸元では、小さな芽が揺れている。


 旅に出ると聞いてから、神威はずっと落ち着きがない。


 不安なのか。


 楽しみなのか。


 たぶん、両方だ。


 サトが工具を選んでいると、工房の戸が開いた。


「入るぞ」


 ロッカだった。


「入る前に言え」


「今言った」


「開けながら言うな」


 いつもの調子で言い返したが、ロッカは笑わなかった。


 手には小さな木箱を持っている。


「村長からだ」


「村長から?」


 ロッカは作業台に木箱を置いた。


 蓋を開けると、中には丸い筒状のものがいくつか並んでいた。


 黒い金属の外殻。


 古い文字。


 サトは眉を寄せた。


「……対侵食獣用のグレネードか」


サトが先日使ったものよりかなり性能がよさそうな物だった。


おそらく相当に高価な品である。


「ああ。護身用だ。旧式だけど、まだ動くはずだってよ」


「こんな貴重なものを?」


「貴重だから持っていけってさ」


 ロッカはそっけなく言った。


「使い方は分かるな?」


「起動栓を抜いて、三呼吸以内に投げる。長く持つな。熱を持ったら捨てる」


「よし」


「俺が使う場面なんか、ない方がいいけどな」


「そういうものだろ、護身用って」


 ロッカは箱の蓋を閉めた。


 それから、サトではなくツキハを見た。


「ツキハさん」


「はい」


「俺は、まだ納得してません」


 サトは手を止めた。


 ツキハも静かにロッカを見る。


 ロッカは、いつもの軽い顔をしていなかった。


「あなたが悪いわけじゃない。それは分かってます。むしろ、あなたのおかげで村は助かった。」


 ロッカは拳を握った。


「出ていかないといけないのは、やっぱり納得できない」


「ロッカ」


 サトが名前を呼ぶと、ロッカは少しだけ顔を歪めた。


「分かってる。村長の判断が正しいのも分かってる。ここにいたら危ない。噂はもう広がってる。村じゃ守りきれない」


 そこで一度、言葉が詰まった。


「でもさ。正しいからって、気持ちまで追いつくわけじゃないだろ」


 工房の中が静かになった。


 神威も鳴かなかった。


 ツキハは、ゆっくりと頭を下げた。


「ロッカ。ありがとうございます」


「礼を言われることじゃないです」


「それでも、ありがとうございます」


 ロッカは困ったように頭をかいた。


「……そういうところですよ」


「不適切でしたか?」


「いや。適切すぎて困ります」


 ツキハは少しだけ首を傾げた。


 サトは苦笑しかけて、やめた。


 笑うには、少し胸が痛かった。



「サト、あとこれももってけ」


 手には大きな包みを抱えている。


「すまない。パンを焼いてくれたのか?」


「親父がな。日持ちするやつだ。硬いけど、腹にはたまる。水で戻せば食べられる」


「助かります。でも、こんなに」


「ツキハちゃんもしっかり食べてな」


「はい」


「神威は食べられないだろうけどな」


「わぅ」


「ほら、返事だけは立派だ」


 ロッカは神威の頭を撫でようとして、途中で胸元の芽に気づき、手を止めた。


「……そのうち、巨大化とかできたりしてな。」


 神威は少し得意そうに耳を立てた。


「褒めてるかどうか分からないぞ」


「わぅ?」


 ロッカは小さく笑った。


「褒めてるよ。ちゃんと帰ってこいよ」


 その言葉に、サトはすぐ返事ができなかった。


 帰ってこい。


 あまりにも普通の言葉だった。


 けれど、今はその普通さが胸に刺さる。



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