第33話 ツキハと神威がいる日常(一)
ツキハがサトの家に来てから、数週間が過ぎた。
神威の修理は、ようやく一段落していた。
もちろん、完全に直ったわけではない。
右前脚の補助具はまだ外せないし、胸部装甲の継ぎ目には新しい補強板が入っている。尻尾の先も調整中だ。
それでも、ゆっくり歩く程度なら問題ない。
神威は、それだけで十分うれしいらしい。
修理小屋の中を数歩歩いては、サトの方を振り返る。
「わぉん」
「はいはい。歩けてる」
「わぉん」
「見てるって」
神威は満足そうに耳を動かした。
ただし、調子に乗って走り出すほどではない。
そこはサトも、かなり念を押した。
数日のあいだには、妙なこともあった。
井戸のそばに住みついているリスが、また神威の低出力パルスを浴びに来たのだ。
神威は腹の横から薄いパネルを展開し、淡い光を木の洞へ向けて照射した。
リスは逃げるどころか、目を細めて丸くなった。
それを見た子どもたちは大騒ぎした。
「神威、リス治してる!」
「治してない。くつろいでるだけだ」
「じゃあ、神威くつろぎ所?」
「何だそれは」
そこから村の一部で、神威診療所だの、神威くつろぎ所だの、勝手な名前が増えた。
サトは頭を抱えたが、神威は少し誇らしげだった。
ツキハは、その光景を近くで見ていた。
神威の背中には、例の小さな芽がある。
金属の隙間から出た、小さな緑。
最初に見つけたときより、ほんの少しだけ葉先が開いたようにも見える。
ツキハは、ときおりその芽を見つめていた。
熱心に、けれど触れすぎない距離で。
「精霊反応は安定しています」
「それ、いいことなのか?」
サトが尋ねると、ツキハは少し考えた。
「少なくとも、不適切ではありません」
「不適切ではない、か」
「はい。現時点では、適切に見守るべき状態です」
「適切に見守るって、つまり放っておくってことか?」
「放置とは異なります。観察し、異常があれば対応します」
「なるほど。ツキハらしいな」
ツキハは首を傾げた。
「適切ですか?」
「ああ。たぶん適切」
「了解しました」
そんなやり取りにも、サトは少しずつ慣れてきた。
その日の昼前。
修理小屋の外から、聞き慣れた声がした。
「おーい、サト!」
ロッカだった。
返事をする前に、戸が開く。
「入るぞ」
「入ってから言うな」
「声はかけた」
「かけた直後に開けるな」
ロッカは笑いながら、丸めた書類を掲げた。
そのまま神威のそばへ寄り、耳の部品を軽くつつく。
神威は少しだけ耳を揺らした。
「お、反応した」
「遊ぶな」
「確認だよ、確認」
「手で確認するな」
サトはため息をつきながら、手を拭いた。
「で、何だ?」
「村長が、森都キョウの中央観測院に送る報告書の最終チェックをしろってさ」
ロッカは書類を差し出した。
「ガラさんが下書きをまとめて、村長が手を入れたらしい」
「ああ、なるほど」
サトは受け取った。
ガラは、村のベテラン観測者だ。
年は村長より少し若いが、遺物調査の経験は長い。
サトが子どものころから、ゴミ山や森の調査に何度も出ていた。
サトの父のことも知っている。
だからだろう。
ガラは昔から、何かとサトを気にかけてくれていた。
そのガラが下書きをし、村長が最終的に整えた報告書。
ならば、おかしな書き方にはなっていないはずだ。
サトは作業台の端を空け、報告書を広げた。
内容は簡潔だった。
北外れの観測塔周辺で、異常な精霊流の乱れを確認。
侵食獣の出現あり。
周辺の立ち入りには注意が必要。
落下遺物付近で、記憶に混濁が見られる少女を保護。
この辺りの者ではないが、危険な者ではないことを確認。
現在、村内で保護中。
神威のことは、ほとんど書かれていなかった。
せいぜい「同行した機械獣に損傷あり。現在修理中」とある程度だ。
サトは小さく息を吐いた。
うまい。
必要なことは残している。
けれど、余計な好奇心を呼びすぎない。
ツキハについても、落下遺物についても、曖昧なところは曖昧なままにしてある。
村長らしい書き方だった。
「こういうところは、見習わないとな」
サトは最後のページに目を通し、署名欄に名を書いた。
サト・アルファベット。
普段はほとんど使わない家名だ。
この村では、ただのサトで通じる。
だが、森都キョウへ送る正式な報告書となれば、話は別だった。
「問題ない。これで送ってくれ」
「了解」
ロッカは報告書を丸め、革紐で留めた。
神威が興味深そうに鼻を近づける。
「食べ物じゃないぞ」
「わぅ」
「分かってる顔じゃないな」
ロッカは笑った。
「今日はいささか忙しいんだ。すぐ戻る」
「珍しいな。仕事してるのか」
「失礼だな。俺はいつも仕事してる」
「観測と称して面白がってるだけだろ」
「観測士として適切な態度だ」
その言い方に、ツキハが反応した。
「適切ですか?」
ロッカは一瞬黙った。
サトが即答する。
「半分くらい不適切」
「なるほど」
「ひどいなあ」
ロッカは笑い、それから思い出したように手を叩いた。
「あ、そうだ。明日、ゴミ山に遺物調査に行かね?」
「ゴミ山?」
「ああ。近場だし、ツキハちゃんはまだ行ったことないだろ」
ツキハが顔を上げる。
「ゴミ山」
「村の東にある古い廃棄場だ。壊れた機械や使えなくなった遺物が山ほどある」
サトが説明すると、ツキハは少しだけ目を細めた。
「廃棄された旧文明遺物の集積地ですか」
「言い方を立派にすれば、そうなるな」
「興味があります」
ロッカは満足そうに笑った。
「だろ? ツキハちゃんが見たら、面白いものが見つかるかもしれない」
「明日は緊急の依頼も入ってない。神威も歩く程度なら大丈夫だろ」
「わぉん」
神威がすぐに返事をした。
「まだ何も言ってない」
「わぅ」
「行く気だけは十分だな」
ツキハは静かに頷いた。
「同行します」
「体調は?」
「問題ありません。観測可能です」
「観測より体調優先で頼む」
「体調を維持しながら観測します」
「……それなら適切かな」
「了解しました」
ロッカは報告書を抱え直し、戸口へ向かった。
「じゃあ明日の朝な。サト、ツキハちゃん、神威。またな」
「またな」
「ではまた」
「わぉん」
ロッカは観測院の方へ走っていった。
その背中を見送ってから、ツキハがぽつりと言った。
「サト」
「ん?」
「先ほどの署名にあった、サト・アルファベット。アルファベットというのは?」
「ああ。俺の苗字だよ。言ってなかったっけ?」
「聞いていません」
「普段あまり使わないからな」
サトは神威の脇腹から伸びた診断ケーブルを外しながら言った。
「この村じゃ、サトで通じるし」
「サト・アルファベット」
ツキハは、確かめるように繰り返した。
「そう。サト・アルファベット」
「あ、おい神威。ケーブル踏むな」
「わぅ?」
「今、踏んだだろ。ほら、足上げろ」
サトは神威の前脚を軽く持ち上げ、ケーブルを引き抜いた。
神威は少し困った顔をしている。
その様子を見て、サトはまた小さくため息をついた。
「まったく……」
サトと神威が作業台の奥へ戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら、ツキハは一人、修理小屋の入口に立っていた。
「サト・アルファベット……」
銀色の瞳が、かすかに揺れる。
「マグニフィセント・セブンの、アルファベット家……まさか」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
*
翌朝。
ゴミ山は、いつも通りゴミ山だった。
村の東側。
古い森と、崩れた舗装路のあいだにある斜面。
そこに、何十年、何百年という時間を越えて、さまざまな残骸が積み重なっている。
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