第30話 観測院への報告(三)
淡い光が、ぱっ、ぱっ、と木の洞へ向けて照射されている。
サトは目を細めた。
木の洞に、小さなリスがいた。
リスは逃げるどころか、光を浴びながら、目を細めている。
妙に気持ちよさそうだった。
「……何してるんだ、あいつ」
ロッカが感心したように言った。
「小動物向け癒やし照射?」
「そんな機能、俺は知らない」
ツキハが観測するように見つめた。
「低出力の指向性精霊調整パルスです。忌避ではなく、動物が好む信号を照射しています。緊張緩和に近い反応が出ています」
「神威、お前、そんなこともできたのか」
「わぉん?」
神威はリスから目を離さずに返事した。
リスは、木の洞の中で前足を丸め、すっかりくつろいでいる。
周囲にいた村人たちも足を止めた。
「神威、リスまで世話してるぞ」
「草が生えたと思ったら、今度は森の医者かい」
「神威、すごいなあ」
神威の尻尾が、ばたばたと揺れ始めた。
「神威!」
サトは叫んだ。
「おいていくぞ!」
神威の耳がぴんと立った。
「わぉん!」
パネルを素早く収納し、神威は尻尾を振りながら戻ってきた。
右前脚をかばってはいるが、戻る速度が少し速い。
「走るな!」
「きゅうん」
「今のは小走りだ。禁止だ」
「わぅ……」
ロッカが笑いをこらえている。
ツキハは真面目に神威を見た。
「神威は、村の小動物にも好意を示しています」
「好意が多すぎるんだよ、こいつは」
「重要な性質です」
「修理する側としては、もう少し自分を大事にしてほしい」
サトは神威の頭を軽く叩いた。
神威は嬉しそうに目を細めた。
その様子を見ていたロッカが、奥へ向かって声をかける。
「村長、来ました!」
観測院の奥から、低い声が返ってきた。
「入れ」
中へ入ると、空気が少し変わった。
観測院の内部は、外よりひんやりしている。
壁には古い遺物の棚。
床には番号のついた箱。
中央には大きな作業机。
机の上には、石板、紙の記録帳、古い測定器が並んでいる。
その奥に、村長が座っていた。
白髪を後ろで束ねた、痩せた老人だった。
目は鋭い。
だが、怖いだけではない。
村人の財布事情から、森の危険、商人との値切り合いまで、全部見てきた目だ。
村では皆、彼を村長と呼ぶ。
観測院では、院長と呼ぶ。
同じ人物だが、その場によって少しだけ空気が変わる。
「サト」
「はい」
「よく戻った」
村長の声は静かだった。
それだけで、サトは少し背筋を伸ばした。
「ご心配をおかけしました」
「心配はした。だが、戻ったならそれでよい」
村長の視線が神威へ移る。
「神威も、よく戻った」
「わぅ」
「無理をした顔だな」
「きゅうん」
「その顔は、無理をした顔だ」
神威が目を逸らした。
サトは思わず言った。
「村長、神威の顔が分かるんですか」
「これだけ表情が豊かな機械ならば、誰でも分かるわい」
「機械なのにですか」
「機械なのに、だ。耳は動く。目は泳ぐ。尻尾は正直。胸を張ろうとして叱られれば、しょげる。これで分からぬ方が難しい」
神威が、なんとなく褒められたと思ったのか、少しだけ耳を立てた。
「わぅ」
「ほれ、今も分かりやすい」
「たしかに」
サトは否定できなかった。
次に、村長はツキハを見た。
ツキハは静かに会釈する。
「ツキハです」
「村長のエンザだ。この村では村長をしておる。観測院では院長をしておる」
「役割の兼任を確認しました」
「変わった言い方をする娘だ」
「よく言われます」
「もう言われたのか」
「はい」
村長、エンザはわずかに笑った。
それから、すぐに表情を戻した。
「さて。報告を聞こう」
サトは一度だけ息を吸った。
ツキハの方を見る。
ツキハは頷いた。
神威は伏せようとして、床の上の古い部品に鼻を近づけた。
「神威、触るな」
「わぅ」
「報告中はじっとしてろ」
「きゅうん」
ロッカが記録帳を開く。
サトは話し始めた。
北外れの村からの依頼で、観測塔周辺の調査に向かったこと。
当初は精霊流の乱れと、遺物反応の確認が目的だったこと。
観測塔の近くで、月の光を浴びた竹にそっくりな舟のような遺物を発見したこと。
そのそばで、ツキハが倒れていたこと。
そして、裂爪級の侵食獣に遭遇したこと。
エンザは途中で口を挟まなかった。
ただ、手元の古い測定器を指で叩きながら聞いていた。
ロッカの筆が、紙の上を走る。
「裂爪級は、北外れの村の戦力で対処できるものではありませんでした」
「そうだろうな」
「俺たちは観測塔の補助室へ逃げ込みました。そこで神威を応急修理しながら、朝まで持たせようとしました」
「神威の損傷は、そのときのものか」
「はい。俺たちを逃がすために、かなり無茶をしました」
「神威」
エンザが呼ぶ。
神威は耳を倒した。
「きゅうん」
「村民を救ってくれて感謝する。だが、自分の体も大事にしろ。この時勢、潤沢に部品が手に入るわけではないぞ。」
「わぅ……」
サトは少しだけ目を見開いた。
「村長」
「何だ」
「今の、俺が言ってもあまり聞かないんですが」
「おぬしが言うと、神威は褒められていると勘違いするのだろう」
「なぜですか」
「おぬしの顔が甘い」
「そんなことはありません」
ロッカが記録しながら小声で言った。
「観測事実としては、あります」
「記録するな」
「してない。心に刻んだだけ」
「刻むな」
エンザは軽く咳払いした。
サトは話を戻した。
「その後、裂爪級は何かに追われて観測塔周辺から離れました」
「何か」
「古い精霊のようなものです。巨大で、水辺の生き物に似た影でした。俺には詳しく分かりません」
エンザの目が細くなった。
「ツキハ」
「はい」
「おぬしには、どう見えた」
ツキハは少し考えてから答えた。
「上位精霊、あるいは古い自然神の端末反応に近いものです。完全な顕現ではありません。土地に残っていた守護反応が、侵食獣の活動によって目覚めた可能性があります」
ロッカの筆が一瞬止まった。
エンザも沈黙した。
観測院の空気が、少し重くなる。
「古い自然神、か」
エンザは低く言った。
「その言葉を、簡単に使う者は少ない」
「私の記録では、その分類が近いです」
「記録」
エンザはそれ以上、すぐには聞かなかった。
サトは少しだけ身構えた。
ツキハがどこまで話すか。
エンザが何を尋ねるか。
その境目が、まだ分からない。
だが、エンザはサトに視線を戻した。
「続けろ」
「はい」
サトは、月の光を浴びた竹にそっくりな舟のことを話した。
落下地点にあった白い竹のような遺物。
竹に見えるが、中は舟のようでもあったこと。
そこから精霊流が漏れていたこと。
古い精霊らしきものが、それを咥えて森の奥へ運んでいったこと。
噛み砕いたのではなく、運んだように見えたこと。
「月の光を浴びた竹にそっくりな舟、か」
「はい。その……見た目が、本当にそうだったので」
「ふむ」
エンザは少し考えた。
それからツキハを見る。
「おぬしのものか」
「はい。私が地上へ来る際に用いた舟です」
ロッカの筆が、また止まった。
サトも、少しだけ息を止めた。
地上へ来る。
舟。
その言い方は、あまりにも普通ではない。
エンザは静かに尋ねた。
「どこから来た」
ツキハは答えた。
「月です」
観測院の中が、完全に静かになった。
外の井戸端で誰かが桶を置く音だけが聞こえた。
ロッカが、サトを見た。
サトは目で「俺に聞くな」と返した。
エンザは、長いこと黙っていた。
それから言った。
「サト」
「はい」
「おぬしは、この話をどう受け止めている」
「正直に言うと、分かりません」
「そうか」
「でも、ツキハは俺たちを助けてくれました。観測塔で、精霊流や侵食獣の動きを読んでくれました。神威の修理でも、反応を見てくれました」
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