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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第28話 観測院への報告(一)

三( ˘ω˘ )スヤァ…

神威の修理が、ひと段落ついたころには、外はすっかり暗くなっていた。


工房の窓の向こうでは、村の灯りがぽつぽつと揺れている。


夕方まで騒いでいた子どもたちも、今はもう家に帰されたらしい。


ときおり遠くから笑い声が聞こえるだけで、工房の中は静かだった。


神威は作業台の横で伏せている。


右前脚には、新しい補強板が入った。


胸部装甲の割れも、ひとまず塞いだ。


尻尾の先はまだ焦げていたし、細かな調整は山ほど残っている。


けれど、少なくとも歩ける。


今夜いきなり崩れることはない。


「……よし」


サトは工具を置いた。


「ここまでだな」


神威が、床に顎をつけたまま小さく鳴いた。


「きゅうん」


「まだ完全じゃないぞ。明日も見る。だから今日は動くな」


「わぅ」


「返事だけはいいんだよな、お前」


サトは苦笑して、神威の頭を軽く撫でた。


金属の額は、ほんの少し温かい。


さっきまで高くなっていた駆動音も、今は落ち着いている。


背中の小さな芽は、修理のあいだも折れずに残っていた。


むしろ、窓から入る月明かりを受けて、かすかに光っているようにも見える。


サトはそれを見て、何とも言えない顔になった。


「……本当に、何なんだろうな」


ツキハは、作業台の端に座っていた。


サトが用意した古い上着を肩に掛け、静かに神威を見ている。


途中からずっとそうだった。


口を挟まず、必要なときだけ神威の反応を伝える。


痛みが強い。


不安がある。


今は落ち着いている。


神威が言葉を話せない分、ツキハの観測はかなり助かった。


「ツキハも、もう休め」


サトはそう言った。


「お前、昨日からほとんど寝てないだろ」


「サトも、同様です」


「俺は慣れてる」


「慣れていても、疲労は蓄積します」


「正論を言うな」


「正論です」


サトは工具箱の蓋を閉めた。


その指先が、自分でも分かるほど震えている。


神威の修理中は気が張っていた。


だが、一度手を止めると、体の重さが一気に押し寄せてくる。


肩が痛い。


腰も痛い。


まぶたが重い。


北外れの村での夜。


観測塔での緊張。


半日の帰路。


そして、帰ってからの修理。


考えてみれば、限界を超えていた。


「ロッカは?」


「先ほど帰りました」


「あいつ、ちゃんと帰ったのか」


「はい。『明日の報告、絶対面白いことになるから寝坊するなよ』と言っていました」


「余計なことを……」


サトはため息をついた。


明日は観測院へ行かなければならない。


北外れの村からの依頼の顛末。


裂爪級の出現。


観測塔周辺の精霊流の異常。


古い上位精霊らしきもの。


月の光を浴びた竹に似た舟。


そして、ツキハのこと。


報告することが多すぎる。


できれば何も考えず眠りたい。


けれど、明日に回せないこともある。


「ツキハ」


「はい」


「明日、観測院に行く」


「観測院」


「ああ。この村の中心みたいな場所だ。遺跡や森から出た古い遺物を調べたり、引き取ったり、森都キョウの商人に売ったりしてる」


ツキハは静かに瞬きをした。


「発掘調査、引取、販売を兼ねた機関ですか」


「そう。俺の村は、畑だけで食ってるわけじゃない。むしろ、古い遺物を掘って、調べて、売るのが大きな収入源の一つだ。俺の親父も、もともとは観測院に出入りしてた」


「サトも、観測院に所属しているのですか」


「所属ってほど立派なもんじゃない。修理屋見習い兼、発掘の手伝い兼、雑用だな」


「多機能です」


「便利使いとも言う」


サトは椅子に座った。


座った瞬間、体が沈んだ。


もう立ち上がりたくない。


このまま床でもいいから眠りたい。


「村長が、観測院の長も兼ねてる。明日はその人に報告する」


「村の長であり、観測院の長でもある」


「ああ。うちみたいな小さい村だと、だいたい何役も兼ねるんだよ。村長、観測院長、商人との交渉役、揉め事の仲裁役、たまに子どもの説教役」


「重要人物です」


「そうだな。だから、変なことは言うなよ」


「了解しました」


ツキハは素直に頷いた。


サトは少し安心した。


「報告は俺からする」


「了解しました。サト」


「聞かれたことにだけ答えてくれ。まだ俺も分かってないことが多い」


「分かりました」


「月のことも、全部は話さなくていい」


「全部は、私も説明できません」


「それならちょうどいい」


サトは苦笑した。


そのまま椅子の背にもたれる。


少しだけ目を閉じるつもりだった。


神威の駆動音が聞こえる。


ツキハの静かな呼吸が聞こえる。


修理小屋の木壁が、夜風で小さく鳴る。


どれも、危険な音ではなかった。


だからだろう。


一瞬だけ目を閉じたはずが、サトの意識はそのまま泥の中へ沈んでいった。


「サト」


ツキハの声が聞こえた気がした。


けれど、返事はできなかった。


体が動かない。


思考も動かない。


ただ、深く、深く、沈んでいく。


「……疲労、限界値」


ツキハは小さく呟いた。


椅子に座ったまま眠っているサトを、しばらく見ていた。


口元には油汚れがついている。


袖も焦げている。


手の甲には、小さな切り傷がいくつもある。


その手は、神威を修理しているあいだ、一度も止まらなかった。


ツキハは立ち上がり、サトの前にしゃがんだ。


顔を近づける。


眠っている。


呼吸は安定。


体温は少し高い。


外傷は軽微。


ただし、疲労が強い。


ツキハは、少しだけ首を傾げた。


「この状態で眠るのは、不適切です」


椅子に座ったままだと、首を痛める。


たぶん。


サトが自分に言ったことを思い出す。


休め。


倒れるぞ。


地上語はときどき曖昧だが、この場合の意味は分かる。


眠るなら、眠る場所へ。


ツキハは慎重にサトの腕を取った。


思ったより重い。


サトは細身に見えるが、発掘と修理で鍛えられている。


簡単には動かない。


「……重量、想定より大」


ツキハはもう一度体勢を整えた。


サトの腕を自分の肩に回し、半分引きずるようにして立たせる。


サトが少しだけうめいた。


「ん……神威……動くな……」


「神威は動いていません」


神威が床から顔を上げた。


「きゅうん?」


「問題ありません。サトを寝床へ移動します」


「わぅ」


「協力は不要です。神威は安静を維持してください」


「きゅうん」


神威は少し不満そうだったが、動かなかった。


ツキハはサトを支えながら、修理小屋の奥の部屋へ進んだ。


そこは小さな寝室だった。


古い寝台。


壁際の棚。


父のものらしき工具箱。


畳まれた布。


余計なものは少ないが、長く使われている場所の匂いがした。


ツキハはサトを寝台へ寝かせた。


少し雑になった。


サトの頭が枕からずれたので、直す。


布団をかける。


油汚れのついた袖を見て、少し迷う。


着替えさせるべきか。


しかし、衣服の構造と地上の礼儀が不明。


不適切な可能性がある。


ツキハはその判断を保留した。


代わりに、顔についた油を指先でそっと拭った。


取れなかった。


もう一度拭う。


少し取れた。


「……サト」


返事はない。


ツキハは、しばらくその顔を眺めた。


観測塔で見た顔とは違う。


緊張していない。


怒っていない。


神威を叱っているときの顔でもない。


ただ眠っている。


無防備だった。


ツキハは、それが少し不思議だった。


地上の人間は、危険が去ると、こんなにも力を抜くのか。


それとも、サトだけなのか。


胸元の欠けた月片が、かすかに光った。


ツキハはそれに手を添えた。


何かを記録しようとした。


けれど、うまく言葉にならなかった。


「地上の人間。サト。修理を行う。疲労しても、対象を優先する」


そこまでは言える。


だが、その先が分からない。


胸の奥が、少しだけ落ち着かない。


観測不能ではない。


ただ、分類できない。


神威の精霊反応を見たときと似ている。


分からないものが、そこにある。


ツキハは寝台の横に座った。



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