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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第27話 帰ってきた機械狼(三)

「少しは休めたか」


「はい。水と温度のある空間は、有用です」


「風呂って言うんだ」


「風呂。有用です」


「気に入ったならよかった」


ツキハは神威の方を見た。


「神威は?」


「これから修理する。脚からだ」


「手伝えることはありますか」


「今は座っててくれ。必要になったら頼む」


「了解しました」


ツキハは作業台の端に腰を下ろした。


無理に前へ出ようとはしない。


ただ、神威の様子を静かに見ている。


興味はある。


心配もしている。


けれど、それ以上に、今は自分もこの場所に受け入れられているのかを測っているようだった。


サトは工具を手に取った。


右前脚の応急固定を外す。


フレームを押さえる。


歪んだ部分に工具を当てる。


神威が小さく震えた。


「痛いか」


「きゅうん」


「少し我慢しろ。すぐ楽にする」


ツキハが、その鳴き声を聞いて小さく言った。


「痛みと、不安があります」


サトは手を止めずに言った。


「分かるのか」


「少しだけ。神威の声と、光り方が変わります」


「そうか」


神威はサトを見ていた。


青い目が、弱く光っている。


サトは少しだけ照れくさくなり、わざと工具箱を探るふりをした。


「大丈夫だ。ちゃんと直す」


そのとき、外からまた足音が近づいた。


軽い足音。


遠慮のない足音。


サトは顔を上げる前から誰か分かった。


「サト!」


ロッカだった。


観測院の仲間で、やたらと目ざとく、やたらと口が軽い男である。


ロッカは工房の入口に立ち、まず神威を見た。


次に、背中の芽を見た。


それから、ツキハを見た。


最後に、サトを見た。


顔が、見るからに面白がっていた。


「……何だよ」


サトが低い声で言う。


ロッカは真顔を作った。


「俺、観測することが仕事だから」


「やかましい。遺物を観測しろ」


「これは遺物より珍しいだろ」


「珍しくない」


「ぼろぼろの神威。背中の芽。見たこともない綺麗な娘。帰ってきたサト。十分に観測対象だ」


「観測するな」


「記録は?」


「取るな」


「記憶は?」


「忘れろ」


「無理だな」


ロッカは楽しそうに笑い、ツキハに頭を下げた。


「はじめまして。俺はロッカ。サトの友人で、観測院の者です」


「ツキハです」


「ツキハさん」


ロッカは一瞬だけまじめな顔になった。


「北外れの村から話は少し聞きました。大変だったみたいですね」


「はい」


「無事で何よりです」


その言い方は、意外と丁寧だった。


サトは少しだけ驚く。


だが、ロッカの真面目さは長く続かなかった。


彼はすぐにサトの方へ寄り、小声のつもりで大きく言った。


「それでサト」


「何だ」


「その娘も拾ってきたのか?」


「拾ってない!」


「神威も拾っただろ」


「神威は……拾ったけど」


「じゃあ、だいたい拾ってるな」


「違う!」


ツキハが静かに言った。


「私は落下しました」


ロッカはサトを見た。


「落ちてたらしいぞ」


「言い方!」


「サトは落ちているものに弱いからな」


「お前、本当に黙れ」


ロッカはにやにやしながら、さらに続けた。


「それに、いままで女の影すらなかったサトがなあ」


「余計なお世話だ」


「牛飼いのとこのティッカちゃん。悲しむだろうな~」


「ティッカは関係ないだろ!」


外で聞いていた子どもたちが「ティッカ姉ちゃん?」とざわついた。


サトは慌てて叫ぶ。


「お前ら、変なことを広めるなよ!」


「はーい!」


返事だけは立派だった。


ロッカが笑う。


「もう遅いな」


「お前のせいだ」


「観測結果を共有しただけだ」


「観測するなって言っただろ」


外から、別の子どもの声がした。


「神威、草になったって本当?」


「なってない!」


「冬虫夏草なの?」


「違う!」


「じゃあ、何?」


「俺が聞きたい!」


ロッカが腹を抱えて笑った。


ツキハも、少しだけ目を瞬かせている。


「冬虫夏草とは何ですか」


「あとで説明する。いや、説明しなくていいかもしれない」


「神威に関係しますか」


「たぶん関係しない」


「では、後回しにします」


「そうしてくれ」


ロッカは棚の方へ歩きながら言った。


「で、手伝う。何をすればいい」


サトはため息をついた。


だが、人手は欲しかった。


「右の棚から細い導線。あと油。布も追加でいる」


「了解」


「あと、子どもたちを中に入れるな。神威が動く」


「それは重要だな」


ロッカは入口に向かって言った。


「見学は外から! 中に入ったら観測院での反省文を書かせるぞ!」


「えー!」


「反省文やだ!」


「じゃあ外!」


子どもたちは少し離れた。


それでも、窓の下や戸の隙間から何度も覗いてくる。


神威が鳴くたびに「がんばれ」と声がする。


工具が鳴るたびに「痛い?」と聞いてくる。


背中の芽が揺れるたびに「伸びた?」と騒ぐ。


サトはそのたびに「静かに」と言い、神威はそのたびに嬉しそうに耳を動かした。


「耳も動かすな」


「きゅうん」


「嬉しいのは分かるけど、今は修理中だ」


ツキハが言った。


「神威は、子どもたちの声を聞くと、少し落ち着くようです」


「そうか」


「痛みへの反応が、弱くなりました」


「それはいいな」


サトは神威の右前脚に補強材を当てた。


古い合金板を切り出し、父のピッケルから伸ばした端子で簡易的に接合面を確認する。


焼けた導線を外し、新しい導線を通す。


ロッカが油を差す。


ツキハは座ったまま、必要なときだけ神威の反応を伝える。


外では子どもたちが、声を潜めて応援している。


それは奇妙な修理だった。


戦いのあとの、ぼろぼろの機械狼。


月から来たらしい少女。


観測院の口の軽い友人。


何度追い払っても戻ってくる子どもたち。


サトは工具を動かしながら、ふと思った。


帰ってきたのだ。


観測塔のことも、裂爪級の爪も、誰にも届かなかった孤独な声も、まだ終わってはいない。


分からないことは山ほどある。


ツキハのこと。


月竹のこと。


神威の背中に芽が出たこと。


古い精霊が月竹を運んでいったこと。


それでも今は、ここにいる。


自分の修理小屋で、神威を直している。


それだけで、少しだけ息ができた。


「神威」


「わぅ」


「もう少しだ。脚は何とかなる」


「わぉん」


「だから動くな」


「きゅうん」


ロッカが棚の向こうから言った。


「神威、ほんとにサトの言うことだけは聞くよな」


「聞かないときも多い」


「でも戻ってくる」


サトは手を止めなかった。


「まあな」


「サトも、神威が壊れるたびに直す」


「当たり前だろ」


ロッカは少しだけ笑った。


「いい相棒だな」


サトは返事をしなかった。


代わりに、神威の脚の固定具を締めた。


ぎち、と金属が鳴る。


今度の音は、さっきまでよりずっと安定していた。


「よし」


サトは息を吐いた。


「立てるかどうかはあとで試す。今は休め」


「わぅ」


神威は素直に頭を床につけた。


その背中の芽が、窓から差し込む午後の光を受けて揺れる。


ツキハが静かに言った。


「記録します」


「何を?」


サトが尋ねる。


「神威は、壊れても、恐れられません」


外から子どもたちの声がした。


「神威、寝た?」


「寝てるなら静かにしよう」


「でも芽、見たい」


「あとでだって」


ツキハは続けた。


「神威は、変化しても、受け入れられています」


「この村が変なだけかもしれないぞ」


「それでも、重要です」


ツキハは神威を見た。


「地上には、孤独でない機械がいるのですね」


サトは、少しだけ手を止めた。


その言葉に、月の話が重なった。


誰にも聞こえない声。


誰にも届かない声。


とても孤独で、寂しい声。


神威は、孤独ではない。


そう言われたのだと、サトは思った。


神威は、目を閉じかけていた。


疲れきっている。


けれど、外の子どもたちの声が聞こえるたび、耳の部品がほんの少し動く。


それを見て、サトは小さく笑った。


「まあ、こいつが孤独になる暇はないな」


「はい」


そのとき、外から誰かが走ってくる音がした。


子どもたちが一斉にざわつく。


「ティッカ姉ちゃんだ!」


サトは固まった。


ロッカが、実に楽しそうにこちらを見た。


ツキハは首を傾げた。


「ティッカとは、誰ですか」


サトは工具を握ったまま、天井を見上げた。


「……牛飼いのとこの娘だ」


「サトと関係がありますか」


「ない」


ロッカが即座に言った。


「昔、サトに弁当を渡していた」


「ロッカ!」


「観測事実だ」


「遺物を観測しろ!」


修理小屋の外が、どっと笑いに包まれた。


サトは深く息を吐いた。


裂爪級より、村人の方が手ごわいかもしれない。


神威は、目を閉じたまま小さく鳴いた。


「わぅ」


それは、痛みよりも、安心の方が少しだけ多い声だった。


もし、少しでも続きが気になる人がいたら、評価ポッチしてもらえると崇めます。

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