第22話 精霊反応(二)
「推定としては、適切です」
「適切か」
「ただし、注意が必要です」
「何に」
「この変化は、通常の機械修理ではありません。修理のたびに、神威は変わっていくと考えられます」
サトの手が止まった。
修理のたびに。
その言葉は、少しだけ重かった。
「悪いことなのか?」
「不明です」
「そこは分からないのか」
「はい。ただ、悪い反応ではありません。神威の中の精霊反応は、不安定ですが、濁っていません」
「濁ってない?」
「はい。明るいです」
神威の耳がぴくりと動いた。
「わぉん?」
「お前、明るいらしいぞ」
「わぉん!」
「だから光るな」
背中のLEDが、今度こそ少しだけ光った。
サトは慌てて手で覆った。
「こら。外にいるやつに気づかれるだろ」
「きゅうん」
ツキハは、その様子を見ていた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
笑った、のかもしれない。
サトは気づいたが、何も言わなかった。
言えば、ツキハはまた「適切ですか」と聞くだろう。
今は、そのままでいい。
外の爪音が、また遠ざかった。
裂爪級は、この小さな補助観測室を破ることを諦めたわけではない。
ただ、獲物が出てくるのを待っている。
そういう静けさだった。
サトは工具袋を引き寄せた。
「よし。話はあとだ。神威、脚を見るぞ」
「わぅ」
「返事はいい。動くな」
神威はぴたりと動きを止めた。
サトは右前脚の補助フレームを確認する。
応急溶接は、ぎりぎり持っている。
導線もつながっている。
ただし、強く走ればすぐに切れるだろう。
跳ぶなど論外だ。
戦うなど、もっと論外だった。
「歩くだけだな」
「歩行可能ですか」
ツキハが尋ねる。
「たぶん。走るのは無理。戦うのも無理。神威が言うことを聞くなら、歩ける」
「神威は、言うことを聞きますか」
サトは神威を見た。
神威は目を逸らした。
「聞かないことが多い」
「わぅ」
「今、抗議するところじゃない」
サトは最後の固定具を締めた。
金属が、ぎち、と鳴る。
完全な修理ではない。
だが、動くだけなら。
ここから逃げるだけなら。
「応急措置はこれで終わりだ」
サトは息を吐いた。
それから、神威の首元を軽く叩いた。
「神威、歩けるか?」
「わおん」
神威は、ゆっくりと前脚に力を入れた。
ぎし。
ぎぎ。
嫌な音がする。
サトは思わず手を伸ばした。
「無理するな。ゆっくりだ」
神威は、慎重に体を起こした。
右前脚が少し沈む。
だが、崩れない。
尻尾でバランスを取り、左脚に荷重を逃がす。
一歩。
ほんの半歩。
それでも、歩いた。
「……よし」
サトの胸から、詰めていた息が抜けた。
「歩けるな」
「わぉん」
「歩けるだけだ。走るな。跳ぶな。戦うな。噛みつくな。突っ込むな。光るな」
「きゅうん」
「項目が多いのは、お前の普段の行いのせいだ」
ツキハが、少し首を傾げた。
「神威は、突っ込むのですか」
「突っ込む」
「危険でも?」
「危険なほど突っ込む」
「非効率です」
「俺もそう思う」
「わぅ!」
「抗議するな。事実だ」
サトは立ち上がり、扉の方を見た。
応急修理は済んだ。
隙間も塞いだ。
だが、それだけだ。
ここにいれば、いずれ扉は破られる。
裂爪級が飽きて去る可能性は、低い。
ツキハを狙っているなら、なおさらだ。
「さて」
サトはピッケルを握り直した。
「いよいよ、逃げ出す方法について考えないとな」
補助観測室の中を見回す。
正面扉は使えるかもしれない。
だが、外に裂爪級がいる。
窓は小さい。
神威どころか、ツキハを通すのも難しい。
奥にある裏口は、半分土に埋もれている。
元は観測塔の整備員が使っていた通用口なのだろう。
そこから出られれば、観測塔本体とは逆側の斜面へ逃げられるかもしれない。
だが、外の状況が分からない。
下手に出れば、裂爪級の爪の前に飛び出すことになる。
「裏口を開けるしかないか」
「問題ありません」
ツキハが言った。
あまりに平然とした声だったので、サトは振り返った。
「問題ない?」
「はい。どうやら救援が来たようです」
サトは一瞬、意味が分からなかった。
「救援?」
神威も耳を立てた。
「わぉん?」
「あの侵食獣は、この辺りでよほど暴れたのでしょう」
ツキハは、正面扉ではなく、壁の向こうを見ていた。
その先には、観測塔と、そして月竹が落ちているはずの場所がある。
「非常に大きな精霊反応が、こちらに向かって急速に近づいています」
「大きな精霊反応……?」
サトは耳を澄ませた。
最初は、何も聞こえなかった。
外の爪音。
古い建物の軋み。
神威の内部で回る、かすかな駆動音。
それだけだ。
だが、しばらくして。
低い音が聞こえた。
どぷん。
遠くの沼で、大きなものが水を打ったような音。
どぷん。
もう一度。
補助観測室の床に、湿った振動が走る。
「……何だ?」
サトは扉に近づこうとして、神威に尻尾で止められた。
「分かってる。近づかない」
「わぅ」
振動は、少しずつ強くなっていく。
どぷん。
ずるり。
どぷん。
外の裂爪級が、明らかに反応した。
爪音が止まる。
代わりに、低いうなり声が聞こえた。
獲物を待つ音ではない。
警戒する音だった。
「ツキハ」
「はい」
「どこの救援か分かるか?」
「判別中です」
「森都キョウか?」
「不明です」
「北外れの村の人たちか?」
「不明です」
「じゃあ何が分かるんだ」
ツキハは少しだけ目を細めた。
「古いです」
「古い?」
「とても古い精霊反応です。人ではありません。機械でもありません。ですが、地上に深く根を張っています」
サトの背筋に、冷たいものが走った。
人ではない。
機械でもない。
それでいて、救援。
「それ、本当に助けなのか?」
ツキハはすぐには答えなかった。
その沈黙が、答えのようだった。
「不明です」
「不明かよ」
「ですが、侵食獣に対して敵対反応を示しています」
「つまり、俺たちの味方かどうかは分からないけど、あいつの敵ではある」
「はい。現時点では、利用可能な状況です」
サトは苦い顔をした。
「月の人の判断、けっこう雑だな」
「生存優先です」
「そこは同意する」
神威が、扉の方を見て低く鳴いた。
「ぐる……」
「神威、戦うなよ」
「ぐるる……」
「だから戦うな。敵の敵が来たとしても、お前が突っ込んだら全部台無しだ」
神威は不満げに鼻を鳴らした。
そのときだった。
外で、裂爪級が吠えた。
初めて聞く声だった。
耳を裂くような甲高い音と、土の底から響くような低い音が混ざっている。
補助観測室の壁が震えた。
ツキハが胸元を押さえる。
神威が一歩前に出ようとする。
「神威!」
サトが叫ぶと、神威はぎりぎりで止まった。
直後。
どぷん、と大きな衝撃が走った。
建物全体が揺れる。
天井から粉塵が降った。
外で、何か巨大なものが動いたのだ。
裂爪級のうなり声が遠ざかる。
引きずられるような音。
湿った地面がめくれる音。
そして、木々がざわめく音。
「……何が起きてる」
サトは、壁の高い位置にある小さな換気窓を見上げた。
外はほとんど見えない。
だが、光が見えた。
朝の光ではない。
緑色の、柔らかな光だった。
森の奥で見た精霊虫の光に似ている。
けれど、規模がまるで違う。
まるで、森の水脈そのものが目を覚ましたような光。
換気窓の向こうを、ぬらりと巨大な影が横切った。
長い。
太い。
地面を這うように動きながら、どこか水の中を泳いでいるようでもある。
目のような光が、左右に離れて二つ浮かんだ。
生き物なのか、精霊なのか、サトには分からなかった。
ただ、それはこの土地に古くからいる何かだと、直感した。
ツキハが、静かに言った。
もし、少しでも続きが気になる人がいたら、評価ポッチしてもらえると崇めます。




