第17話 月から落ちた少女(二)
「侵食。地上にも、まだ」
「今は感想も後!」
サトたちは白い霧の中を走った。
観測塔へ戻る道は使えない。
非常退避路は崩れている。
だから、サトは北側保守出口の近くに見えた別の構造物を目指した。
観測塔から延びていた古い外部観測用の小区画。
半分地中に埋もれた、補助観測室のような場所だ。
そこなら扉がある。
裂爪級を倒せなくても、少しの時間は稼げるかもしれない。
「神威、左の低い建物! 見えるか!」
「わぉん!」
「そこに入る!」
神威が先行する。
途中、倒木が進路を塞いでいた。
サトは神威の尻尾を見た。
「借りるぞ!」
「わぉん!」
神威が尻尾を伸ばす。
二股の先端が開き、短いプラズマ熱が灯った。
サトはツキハを片腕で支え、もう片方の手で神威の尻尾を握る。
「熱、最小! 倒木の根元だけ!」
青白い熱が倒木を焼く。
神威が肩で押す。
倒木がわずかにずれ、人ひとり通れる隙間ができた。
「通る!」
サトはツキハを抱えたまま隙間を抜けた。
神威も後に続く。
その直後、黒い爪が倒木を裂いた。
裂爪級が追いついている。
「速すぎるだろ!」
サトは補助観測室の扉に駆け寄った。
閉じている。
端末は死んでいる。
だが、古い手動ロックが残っていた。
「神威、押さえろ!」
神威が扉の横に体を入れ、外側から来る衝撃に備える。
サトはツキハを壁際に下ろし、ピッケルをロックに差し込んだ。
鍵ではない。
こじ開ける。
解析よりも、修理よりも、ずっと乱暴な使い方だ。
「壊れてるなら、壊れたまま開け!」
ロックが火花を散らす。
扉が半分だけ開いた。
「入れ!」
神威が先に滑り込む。
サトはツキハを抱え直し、補助観測室の中へ飛び込んだ。
直後、裂爪級が扉に激突した。
扉が大きく歪む。
サトは内側の手動レバーを倒した。
がしゃん、と古い閂が落ちる。
扉は閉じた。
完全ではない。
隙間から、白い霧が入り込んでいる。
それに混じって、裂爪級が削り取った精霊流の残滓が、ざらざらと床を這っていた。
色があるわけではない。
ただ、そこだけ空気が荒れている。
森の流れが乱され、何か大事なものを噛み砕かれたような、不快なざらつきがあった。
だが、裂爪級の体は通れない。
今は、それで十分だった。
サトはその場に座り込んだ。
肺が焼けるように痛い。
腕の中のツキハは冷たく、神威は床に伏せたまま火花を散らしている。
外では、裂爪級が扉を引っかいていた。
ぎぎ、と嫌な音がする。
「……生きてるな」
サトはどうにか笑った。
神威が床に伏せたまま、尻尾だけを小さく動かした。
「わぉん」
「お前は動くな。今度こそ本当に動くな」
「きゅうん」
「そういう顔をしても駄目だ。脚、完全にやってる」
ツキハが、神威を見た。
ゆっくりと手を伸ばす。
その指先が、神威の額に触れた。
神威の目が、わずかに大きくなる。
逃げはしなかった。
「この子は」
ツキハは小さく言った。
「冷たいのに、温かいです」
サトは何も返せなかった。
機械の体は冷たいはずだ。
神威の装甲は傷だらけで、内部の熱も安定していない。
それでもツキハは、温かいと言った。
神威の尻尾が、ほんの少しだけ揺れた。
「……ツキハ、だったな」
「はい」
「月から来たのか?」
ツキハは、少しだけ首を傾げた。
まるで、質問の意味を地上の言葉に変換しているようだった。
「月から、落ちました」
「そのままだな」
「不適切ですか」
「いや、たぶん合ってる」
外で、裂爪級がまた扉を叩いた。
補助観測室の天井から、細かい埃が落ちる。
サトは周囲を見回した。
古い観測机。
割れた表示板。
壁際に積まれた非常用の箱。
使えるものがあるかは分からない。
だが、ここは少なくとも壁がある。
扉がある。
夜が明けるまで持つかどうかは、分からない。
救援が来るかどうかも、分からない。
観測塔へ戻る通路は崩れている。
村へ戻る道には裂爪級がいる。
月竹は北の森で白い光を放ち続けている。
そしてこの狭い補助観測室には、サトと神威と、月から落ちた少女がいる。
サトはピッケルを握り直した。
柄には、月竹に接続したときの白いノイズが、まだ薄く残っている。
画面の端で、読めない月側の文字列がちらついていた。
それは光というより、消えきらない声のようだった。
「ツキハ」
「はい」
「詳しい話は後で聞く。今はまず、生き延びる」
ツキハはサトを見た。
神威を見た。
そして、静かに頷いた。
「了解しました。地上の生存行動に従います」
「言い方が硬いな」
「不適切ですか」
「いや、今はそれでいい」
神威が、床に伏せたまま小さく鳴いた。
「わぉん」
「お前も参加したいのは分かる。でもまず修理だ」
「きゅうん」
「そう。修理。あと、反省」
「わぉん」
「反省の返事が元気すぎる」
ツキハが、二人のやり取りをじっと見ていた。
その表情はまだ薄い。
けれど、ほんの少しだけ、目元が緩んだように見えた。
「あなたたちは、奇妙です」
「よく言われる」
「ですが」
ツキハは神威の額に触れたまま、静かに続けた。
「現在の状況評価に、わずかな安定が生じています」
サトは一瞬、意味を考えた。
「……それ、少し安心したって意味か?」
「不適切ですか」
「いや」
サトは小さく笑った。
「かなり適切だと思う」
サトは、外の扉を見た。
裂爪級の爪が、まだそこにある。
夜は長い。
救援は遠い。
それでも、サトは息を吸った。
観測士として。
修理屋として。
そして、たぶん、ただの放っておけない性分の人間として。
「さて」
サトは言った。
「ここから、どうやって生き延びるか考えよう」
神威が小さく尻尾を動かした。
ツキハが頷いた。
外で、裂爪級が扉を引っかく音がした。
ぎぎ、と、夜の底を削るような音だった。
ぽつぽつ読んでくれている人がいて嬉しい( ᐛ)
ボーイミッツガールするところまで毎日2話投稿でがんばりやす
もし、少しでも続きが気になる人がいたら、評価ポッチしてもらえると崇めます。




