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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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155/159

第155話 サトの休日(三)

サトは始動装置を操作した。


 乾いた音がする。


 一度目。


 動かない。


 二度目。


 内部で何かが回り、すぐに止まった。


「反応はあります」


「分かってる。焦るな」


 サトは燃料の流れを調整した。


 空気の量を変える。


 もう一度。


 低い音が、格納部に響いた。


 エンジンが一瞬だけ動く。


 止まる。


「もう少しだ」


 サトは目を細めた。


 ハンドルへ手を置き、機械の振動を確かめる。


 燃料。


 空気。


 火花。


 全て届いている。


 だが、噛み合っていない。


 少しだけ点火の位置を調整する。


「これでどうだ」


 始動装置を押す。


 何度か乾いた音が続く。


 やがて。


 ドッ。


 ドドッ。


 低く不規則な音が生まれた。


 金属の塊が震える。


 止まりそうになりながら、再び回る。


 ドドドドドド――。


 エンジンが目を覚ました。


「動いた!」


「駆動状態、安定しています」


「わぉん!」


 神威が吠える。


 バイクの音に負けじと、背面パネルを光らせた。


「お前は静かにしてろ!」


 サトは笑っていた。


 大きな声で言わなければ、自分の声が聞こえない。


 それでも構わなかった。


 回転を少し上げる。


 後輪がゆっくりと回り始めた。


 異音はない。


 大きな振動もない。


 速度を上げても、駆動系は安定している。


 制動装置を使う。


 後輪が止まる。


 もう一度動かす。


 止める。


「よし。よし!」


 しばらく動かしたあと、サトはエンジンを止めた。


 格納部に静けさが戻る。


 耳の奥には、まだ低い振動が残っていた。


 焼けた油と金属の匂い。


 温まったエンジン。


 サトは手袋を外し、その外装を軽く叩いた。


「おかえり」


 バイクは答えなかった。


 だが、少し前まで冷たかった車体には、確かな熱が残っていた。


「修理、成功ですね」


「まだだ」


「動作しています」


「走らせてない」


 サトは格納部を見回した。


 月竹の中には、バイクを走らせられるほどの距離はない。


「動くのと、走れるのは別だ。真っすぐ走るか。曲がれるか。ちゃんと止まれるか。サイドカーをつけた状態で傾かないか」


「走行試験が必要です」


「ああ」


「北米大陸へ到着してから行いますか」


「それまで待つしかないか」


 サトは少し残念そうにバイクを見た。


 今すぐ外へ出して、走らせてみたい。


 エンジンの感触。


 制動装置。


 車体の癖。


 確かめたいことはいくらでもある。


 ツキハが月片を開いた。


「北米大陸へ到着する前に、走行試験が可能な場所があります」


「島か?」


「はい」


 月竹の進路図が空中へ浮かぶ。


 現在地。


 北米大陸。


 その間に広がる太平洋。


 ツキハが航路を南東へずらす。


「現在の進路から外れますが、この海域には大きな島嶼群があります」


「何て島だ?」


「旧世界では、ハワイと呼ばれていました」


「ハワイ?」


 サトは表示された島々を見る。


 大きな島。


 連なる小さな島。


 海中から伸びた火山の頂。


「聞いたことはあるな。旧世界の観光地だったか」


「はい。温暖な気候と海、火山景観で知られていました」


「今は?」


「不明です。神蝕戦争後の詳細な記録はありません」


「人が住んでる可能性は?」


「あります。ただし、長距離の通信信号は確認できません」


 ツキハは別の表示を開く。


「月竹の真水備蓄も、北米大陸到達前に一度補充することが望ましいです。ハワイ諸島に淡水源が残っていれば、補給できます」


「バイクの試運転もできる」


「はい」


「食料も探せるかもしれない」


「可能性があります」


 神威が二人の間へ顔を出した。


「わぉん?」


 サトは神威の右耳を見る。


 小さな雪の紋章。


 白尾村で得た、水と風の流路。


「そうだ。こいつの確認もあったな」


「神威ウォーターですか」


「ああ。雨を降らせられるようになったけど、あの水が飲めるのかは試してない」


「水質、塩分、精霊密度、生成可能量を確認する必要があります」


「それから、ハクさんが言ってた」


「水に強くなり、泳げる可能性がある」


「そう、それだ」


 神威は自信ありげに胸を張った。


「わぉん!」


「お前、泳いだことないだろ」


「わぉん」


「その自信はどこから来るんだ」


「神威自身も、機能を理解していない可能性があります」


「いきなり深い海に入れるのはなしだな」


「はい。段階的な試験が必要です」


 ツキハは指を折りながら挙げていく。


「まず、真水を少量かけ、装甲および芽への影響を確認します」


「ああ」


「次に、神威ウォーターによる降雨」


「うん」


「その後、浅瀬での歩行」


「そうだな」


「問題がなければ、浮遊および遊泳能力を確認します」


 神威の尾が激しく振られた。


「わぉん!」


「最後まで聞いてたか? 問題がなければ、だからな」


「わふ!」


「絶対、水遊びだと思ってるな」


「遊びながら確認することも可能です」


「ツキハが、遊びを認めた」


「必要な試験です」


「適切な理由のつけ方が上手くなったな」


「サトに教わりました」


「俺のせいか」


「はい」


 サトは航路図を見た。


 予定から少し外れる。


 北米への到着も、その分だけ遅くなる。


 だが、急ぐ旅ではない。


 補給も必要だ。


 試したいものもある。


 何より。


 直したばかりのバイクを、早く走らせたかった。


「行くか。ハワイ」


「航路を変更します」


 ツキハが月片へ触れる。


 月竹の進路を示す白い線が、ゆっくりと南へ曲がった。


 船体が静かに向きを変える。


 神威は、再びサイドカーへ前脚だけを入れた。


 今度は、バイクを倒さないよう慎重に。


「まだ島に着いてないぞ」


「わぉん」


「試運転では、そこから降りてもらうからな」


「きゅうん」


「いや、お前を乗せたまま最初の走行試験は怖い」


 神威は、サイドカーの中へ顎を載せた。


 どうしても乗りたいらしい。


 サトはしばらく考える。


「まずは荷重を確認して、補強してからだぞ」


「わぉん!」


「乗れると決まったわけじゃないからな」


「わふ!」


「分かってないだろ」


 ツキハが、バイクと神威を交互に見る。


「停車した状態で、記念記録を残すことを提案します」


「それならいいか」


 神威の背面パネルが、嬉しそうに明滅した。


 サトは整備を終えたバイクを見た。


 錆びている。


 傷だらけだ。


 交換した部品の色も揃っていない。


 旧世界に作られ、何百年も倉庫で眠り続けていた機械。


 それが今、もう一度走ろうとしている。


「楽しみだな」


「はい」


「わぉん」


 月竹は、太平洋を南東へ進んでいく。


 目指す先は、旧世界の島。


 ハワイ。


 サトの休日は、まだ少しだけ続くことになった。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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