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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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153/159

第153話 サトの休日(一)

翌朝。


 月竹は、穏やかな海の中を進んでいた。


 昨夜まで海上を覆っていた嵐は、すでに遠ざかっている。


 外部観測映像には、雲の切れ間から差し込む光が映っていた。


 海中へ落ちた光の柱を、小さな魚の群れが横切っていく。


 北米大陸までは、まだしばらくかかる。


 周囲に侵食獣の反応はない。


 狂機の信号もない。


 月竹の航行状態も安定していた。


「本日は、特に予定がありません」


 朝食を終えたあと、ツキハがそう告げた。


「予定がない?」


「はい。航路上に、確認を必要とする異常はありません。月竹の点検も完了しています」


「神威の整備も昨日やったしな」


「サトの身体にも、大きな異常はありません」


「それはよかった」


「したがって、本日は休息に充てることを推奨します」


 休息。


 久しぶりに聞いた気がする言葉だった。


 白尾村にいた間も、怪我が治るまでは身体を休めていた。


 だが、あれは療養であって、休日ではない。


 歩けるようになってからはハクを修理し、侵食獣への備えを進め、戦いが終われば村の復旧を手伝った。


 その前には海を渡り、遺跡へ入り、狂機に追われていた。


「休日か」


「はい」


 サトは腕を組んだ。


 何をしてもよい一日。


 何もしなくてもよい一日。


 少し考えたあと、サトは立ち上がった。


「よし」


「何をするのですか」


「休む」


「はい。適切です」


「バイクを直しながら」


「……休息になっていません」


「好きなことをして過ごすんだから、休日だろ」


 ツキハは数秒、サトを見つめた。


「サトにとって、修理は休息に含まれるのですか」


「壊れ方によるな」


「壊れ方」


「ハクさんや神威みたいに、直さなきゃ動けない、下手をすれば死ぬかもしれないって修理は休みにならない」


「はい」


「でも、あのバイクは急いで直す必要がない。失敗しても、誰かが痛がるわけでもない。時間をかけて、好きなだけ部品を触れる」


 サトは少し笑った。


「そういう修理は、楽しいんだよ」


「では今日は、サトが機械と話す日なのですね」


「話すっていうか、直すんだけどな」


「サトにとっては、同じことではありませんか」


 サトは少し考えた。


「そうかもしれない」


 床に伏せていた神威が顔を上げた。


「わぅ?」


「お前を直すのが嫌って話じゃないぞ」


「わぉん」


「ただ、お前は修理中に尻尾を振って工具を落とすし、痛いと鳴くし、勝手に新しい機能を増やすからな」


「きゅうん」


「最後のは反省しても直せないだろうけど」


「神威が意図的に機能を追加しているかは不明です」


「分かってるよ」


 サトは格納部へ向かった。


 神威も立ち上がり、当然のようについてくる。


 ツキハも少し遅れて、その後を追った。


     ◇


 月竹の格納部。


 荷物の奥に、サイドカー付きのバイクが置かれていた。


 旧世界のものだ。


 白尾村の奥社。


 その地下に眠っていた、旧日本宇宙航空開発機構北星海道発射場の隣接倉庫。


 そこで、長い年月を越えて残っていた。


 外装の大部分は赤茶色の錆に覆われている。


 タイヤは空気が抜け、表面には細かな亀裂。


 配管は硬くなり、燃料タンクの内部にも汚れがこびりついていた。


 だが、骨格は生きている。


 車体を支えるフレームに、大きな歪みはない。


 サイドカーの接続部も、表面ほど傷んではいなかった。


 何より、エンジンの主要部品が残っている。


 サトはバイクの前にしゃがみ込んだ。


「さて」


 工具箱を開く。


 布を広げる。


 交換部品を並べる。


 白尾村で分けてもらった油脂類、燃料管、留め具、金属板。


 倉庫から一緒に回収した純正部品らしきものもあった。


 どこまで使えるかは、開けてみなければ分からない。


「今日は、とことん付き合ってもらうぞ」


 バイクは答えない。


「返事がないのも気楽でいいな」


「わぅ」


「お前じゃない」


 神威はバイクの横へ回り込み、サイドカーの中を覗いた。


 白尾村で見つけた時から、妙に気に入っている。


「まだ乗れないぞ」


「わぉん」


「直っても、お前は自分で走った方が速いだろ」


 神威は前脚をサイドカーへ入れようとした。


「待て。今は外すから乗るな」


 サトが止める。


 神威は名残惜しそうに前脚を戻した。


「きゅうん」


「直したあとなら考える」


「神威が乗車した場合、サイドカーの許容荷重を超える可能性があります」


「聞こえなかったことにしてやってくれ」


「わぅ……」


 サトはまず、外装を外していった。


 錆びた留め具へ浸透油を垂らす。


 少し待ち、工具へゆっくりと力をかける。


 無理に回せば頭が潰れる。


 急げば折れる。


 相手の状態を確かめながら、少しずつ力を伝える。


 固着していた留め具が、乾いた音を立てて動いた。


「よし」


 一つ。


 また一つ。


 外した部品は、取り付けられていた順番に並べていく。


 ツキハはその様子を隣で見ていた。


「記録しますか」


「頼む。外す前の位置も残しておいてくれ」


「はい」


 月片から淡い光が伸びる。


 バイクの形状が記録され、外した部品の位置が一つずつ保存されていった。


「便利だな」


「サトも、取り外す前に記録する習慣を身につけるべきです」


「やってるよ」


「以前、神威の脚部を分解した際、留め具が一つ余りました」


「あれは予備だった」


「分解前には存在しなかった予備です」


「結果的に動いたから問題ない」


「不適切です」


「今日は余らせないよ」


 外装を外すと、内部の状態がみえてきた。


 燃料タンクから伸びる管は硬化し、ところどころに細い亀裂がある。


 燃料供給器の内部には、古い沈殿物。


 空気を取り込む部分には、細かな砂や埃が詰まっていた。


「よくこれで、主要部が腐らず残ってたな」


「倉庫内の温度と湿度が、長期間安定していたためだと思われます」


「宇宙施設様々だな」


「完全な保存状態ではありません」


「これだけ残ってれば十分だよ」


 サトは燃料系を分解した。


 古い管を外し、詰まりを取り除き、燃料タンクの内側を何度もすすぐ。


 最初は黒に近かった洗浄液が、繰り返すうちに少しずつ透明になっていった。


「ツキハ。そこの細い燃料管を取ってくれ」


「こちらですか」


「ああ。長さは……もう少し短い方」


「こちら」


「ありがとう」


 ツキハから受け取った管を、古いものに重ねる。


 同じ長さに切って接続部へ取り付け、漏れがないか確かめる。


 続いて駆動系を開き、古い油と金属粉にまみれた部品を洗って、新しい油を差した。


 手を動かすたび、長く眠っていた機械が少しずつ形を取り戻していく。


 静かな時間だった。


 工具が金属へ触れる音。


 布で汚れを拭う音。


 ときおり、神威の尾が床を叩く音。


 誰かに急かされることもない。


 失敗すれば、戻って考え直せばよい。


 分からなければ、部品を眺めながら悩めばよい。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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