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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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152/159

第152話 海の中での月見酒(三)

サトは暗い海の向こうを見た。


 黒い戦艦。


 海を覆う巨大な船体。


 遠く離れた場所から放たれる砲撃。


 ザラスの姿を思い出す。


「ザラスは、狂機としては炉心級の上位相当です」


「神蝕級じゃないのか?」


「純粋な規模と出力のみで分類すれば、炉心級上位です」


「じゃあ、どうして神蝕級って呼んだんだ?」


「ザラスは神蝕汚染に由来する狂機でした。その場合、危険度は通常より一段階高く判断されます」


「なるほど」


「加えて、海上から一方的な長距離攻撃を連続して行うことが可能でした」


「こっちは近づくことすらできなかったからな」


「はい。現在の文明水準にある人類が、正面から対処できる問題ではありませんでした」


「確かに、あれはちょっとやそっと人類が頑張ったからって、倒せる相手にはみえなかった」


 ツキハは静かに頷いた。


「…まだ分からないことがある」


「何でしょうか」


「ザラスは、どうして月竹を狙ったんだ?」


 ツキハの盃を持つ手が止まった。


「俺たちが近づいたから攻撃した、ってわけじゃないよな。あいつは明らかに月竹を認識していた」


「そう…ですね」


 ツキハは盃の中へ目を落とした。


「ザラスは月竹を、敵性対象として認識していた可能性があります」


「月竹そのものを?」


「あるいは、月に属するものを」


 サトは眉を寄せた。


「月に属するもの……」


「当時に、月が地球や神蝕戦争に干渉した記録はありません。侵食戦争時にはルナは完成していなかった。何故、攻撃されたのか。何故完成しなかったのか。私の記憶には残されていません。」


「全部、分からないのか」


「はい」


 ツキハは小さく答えた。


「そうか」


 サトは盃に残っていた火酒を、ぐいっと飲み干した。


「だったら、調べよう」


「……調べる?」


「分からないままにしておく必要はないだろ。地上に記録が残ってるかもしれない」


「それに、幸いなことに俺たちは生きてる。ニギミタマ様が助けてくれた」


「はい」


 ツキハは徳利を持ち上げた。


「サトも、どうぞ」


「お、っとっと。ありがとう」


 ツキハがサトの盃へ火酒を注ぐ。


 少し勢いがよく、縁ぎりぎりまで入った。


「いっぱい入れたな」


「少なかったでしょうか」


「逆だ。多い」


「次は調整します」


「もう次も飲むつもりなのか」


「まだ徳利に残っています」


「まあ、いいけど」


 サトはこぼさないよう、盃へ口をつけた。


「確かに、人間じゃ勝てない相手だった」


「はい」


「でもしかしだ」


「でも、しかし?」


 ツキハが、こてんと首を傾げた。


 白い髪が顔へ少しかかる。


 いつもと同じ動きのはずなのに、今夜はどこか幼くみえた。


 もしかしたら、少し酔いが回ったのかもしれない。


「白石島の集落の人たちがいた」


「ミナセさんたちですか」


「ああ」


 サトは盃を置いた。


「ミナセさんや、集落の皆が、何世代にもわたってニギミタマ様を大切にしてきた」


「はい」


「祀って、祈って、勾玉を守って。一緒に暮らしてきたんだ」


「記録にも残されていました」


「だからこそ、集落が危機に陥った時、ニギミタマ様は助けてくれたんじゃないかな」


 ツキハは答えず、サトを見る。


「ニギミタマ様がザラスを倒した。それは神様の力だ」


「はい」


「でも、ニギミタマ様をあそこまでつないだのは、人間たちだろ」


「つないだ」


「人間が大切にして、祈り続けたから、ニギミタマ様は今の時代まで残った」


 もし誰にも顧みられず、忘れ去られていたら。


 ただの古い遺物として海へ沈んでいたかもしれない。


 ニギミタマ様が顕現することもなかった。


 ザラスを止めることもできなかった。


「ということは、だ」


「はい」


「人間の行動が神を動かして、その力がザラスに通じたとも考えられないか?」


 ツキハは数秒、考え込んだ。


 やがて、口元を少し緩める。


「ふふふ」


「なんだよ」


「少し強引な気もしますが、サトの言いたいことは分かります」


「やっぱり強引か」


「いいえ」


 ツキハは小さく首を横へ振った。


「そうですね。世代を越えて大切にしてきたものが、少しだけ恩返しをしてくれたのかもしれません」


「少しどころじゃないけどな」


「ザラスを撃破しました」


「ものすごい恩返しだ」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


 白石島での戦いは、決して笑えるものではなかった。


 一歩間違えれば、集落ごと消えていた。


 自分たちも、海の底に沈んでいたかもしれない。


 だが、今は生きている。


「ああ。俺たちは、そのおこぼれで助けてもらったのかもな」


「ラッキーでしたね」


 ツキハが真顔で言った。


 サトは一瞬黙り、それから笑い声を上げた。


「ははは。ツキハも言うようになったな」


「不適切でしたか」


「いや。その通りだ。ラッキーだった」


「はい」


「今からでも間に合うなら、ニギミタマ様に全力で感謝しよう」


「はい。適切です」


 サトは盃を掲げた。


 どこにいるかも分からない神へ向けて。


 ツキハも、少し遅れて盃を持ち上げる。


「ニギミタマ様に」


「感謝を」


 二人は盃を合わせた。


 小さな音が、静かな船内に響いた。


     ◇


 夜も更けた。


 徳利を傾けても、もう一滴も出ない。


「空になったな」


「はい」


 ツキハは徳利の中を覗き込んだ。


 少し名残惜しそうにみえる。


「気に入ったのか?」


「温かくなります」


「神威ウォーマーじゃだめか」


「お酒とは違います」


「そうか」


「それに、サトと話しながら飲むのは、楽しかったです」


 サトは空になった盃を見た。


「俺もだよ」


 立ち上がる。


 少しだけ身体が重い。


 酔って動けないほどではないが、普段より足元が柔らかく感じる。


「そろそろ寝るか」


「はい」


 サトが食器を片づけようとすると、ツキハが徳利と盃を持った。


「私も手伝います」


「ありがとう」


 二人で皿と盃をまとめる。


 その途中で、ツキハがサトを呼んだ。


「サト」


「ん? どうした」


「旅が終わったら、一緒に白石島の集落へ行きましょう」


「白石島へ?」


「はい」


 ツキハは空の徳利を抱えたまま言った。


「たくさんの手土産を持って」


 ミナセたち。


 白石島の人々。


 海の底で眠っていたニギミタマ様。


 もう一度、会いに行く。


 今度は何かに追われる旅の途中ではなく。


 危険を知らせるためでもなく。


 ただ、無事に旅を終えたことを伝えるために。


「そうだな」


 サトは頷いた。


「一緒に行こう」


「はい」


 一緒に。


 その言葉が、ツキハの胸の中へ静かに落ちていく。


 火酒を飲んだ時とは違う。


 けれど、よく似た温かさが広がった。


 ツキハは少しだけ笑った。


 この時、サトもツキハも気づかなかった。


 部屋の片隅。


 白い腹を上へ向け、無防備に眠っている機械狼もまた。


 何百年もの長い時間。


 数多の精霊や獣、人々を助け。


 そのたびに、感謝や祈りを受け取ってきた存在であることを。


 神威の白い装甲に刻まれた、淡い模様。


 葉脈。


 水の流れ。


 獣の足跡。


 鳥の羽。


 それらは今も、ほんのわずかに光っている。


 白い装甲の奥。


 二人の声を聞きながら、眠った神威の心臓に波紋が広がる。


 神威は何も知らないまま、幸せそうに尾を揺らした。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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