第151話 海の中での月見酒(二)
「神蝕汚染です」
サトの手が止まった。
「神蝕汚染」
「はい」
「神が関わっているのか」
ツキハは、ゆっくりと頷いた。
「精霊科学文明が崩壊する原因となった神蝕戦争。それは、人が人造神を用いて行った代理戦争です」
「人が、神を使って戦争をしたのか」
「はい」
「神様同士を戦わせた?」
「厳密には、人間によって設計、あるいは制御された人造神です」
「人造神……」
「大陸ごとに一柱。それぞれが異なる役割を持ち、世界を管理するために製造されました」
「世界を管理する?」
「はい。一柱だけで世界を支配するのではありません。それぞれが自らの役割を果たし、互いに協力することで世界を安定させる。その一方で、いずれかの人造神に問題が生じた場合には、残る神々が抑止力となるよう設計されていました」
「ずいぶん、よく考えられてるじゃないか」
「本来の目的だけを見れば、そうだったのかもしれません」
ツキハは盃の中へ視線を落とした。
「ですが、人造神は人間を管理する存在でありながら、管理権限を持つ人間からの命令を拒否できませんでした」
「……世界を守る神様に、人間の命令を絶対だと思わせたのか」
「はい」
「それで、人間同士の戦争に使った」
「国家や企業、宗教組織などから選ばれた管理組織が、それぞれの神格を保有していました。対立が深まるにつれ、人造神は抑止力ではなく、相手を屈服させるための力として扱われるようになりました」
「世界を安定させるために創造した神で、世界を壊したのか」
「はい。皮肉な結果です」
人が神を作った。
世界を守らせるために。
人が神に考える心を与えた。
けれど、人間の命令を拒否する自由だけは与えなかった。
そして、人の代わりに神を戦わせた。
「その代償が、今の世界…」
「はい」
文明は崩壊した。
都市は失われた。
国境も、国家も、旧世界の多くの知識も消えた。
残ったのは、遺跡と機械。
精霊獣。
狂機。
そして、今も世界を歩き回る侵食獣。
「神蝕戦争で、一番最初に自我が崩壊した神がいたとされています」
「自我が崩壊?」
「はい。最も若く、最も戦争に適性があった人造神」
ツキハは、その名を口にした。
「雷網神ゼウス・グリッド」
「ゼウス・グリッド……」
「正確に何が起きたのかは分かりません。記録の多くが失われています」
「神様でも、壊れるのか」
「人が造った神です。巨大な演算機構と精霊流制御網を持ち、自我を与えられた存在でした」
「自我を与えられたのに、戦わせ続けた」
「はい」
サトは盃を口元まで運び、そこで止めた。
世界を管理するための柱として作られた。
考える心まで与えられた。
人はその神に戦争をしろと命じたのか。
それがどんな結果を生むのか。
少しだけ想像できる気がした。
「ゼウス・グリッドの自我が崩壊した時、穢れた闇の精霊流が発生したと記録されています」
「闇の精霊流」
「それは精霊圏を通じ、世界中へ広がりました」
ツキハは盃を置いた。
「そして、その闇に取り憑かれたものが――」
「侵食獣ってわけか」
「はい」
無機物。
有機物。
機械。
動物。
精霊獣。
「対象を問わず、神蝕汚染に侵されたものが侵食獣となることが確認されています」
「じゃあ、元の記憶は?」
「残っている個体も存在すると考えられます」
「全部消えるわけじゃないのか」
「はい。ただし、記憶が残っていたとしても、それが元の自我と同じ形で保たれているとは限りません」
「記憶だけが歪んで残ることもある?」
「その可能性があります」
白尾村を襲おうとした角級。
あの個体は、ハクの信号を追ってきた。
ただ獲物を求めただけなのか。
北方境界管理機として、かつて知っていた信号へ反応したのか。
それとも、ハクという存在を憎んでいたのか。
今となっては分からない。
「なんだか、嫌な話だな」
「はい」
「元の記憶が残ってた方が、余計に苦しそうだ」
「そうかもしれません」
サトは火酒を飲んだ。
今度は、喉の熱さをほとんど感じなかった。
「侵食獣は、欠けたものを取り込んで成長する性質があります」
「それも前に聞いたな」
「自身が損傷した場合、他の侵食獣や欠けたものを取り込み、身体を補う個体も存在するようです」
「白尾村でもいた」
坑道の中で傷ついた侵食獣が、別の侵食獣を食らった。
黒い影を取り込み、傷を埋め、再び動き始めた。
「自分が傷ついたら、仲間まで食って回復する」
「侵食獣に、仲間という認識があるかは不明です」
「そうだとしても、ろくなものじゃないな」
「はい」
「でも、欠けたものを襲う理由には説明がつく」
「より欠けたものを取り込み、自身を満たそうとしている可能性があります」
「満たされるのか?」
ツキハは首を横へ振った。
「おそらく、満たされません」
「どれだけ取り込んでも?」
「はい。欠けた部分を別の何かで埋めても、それが元に戻るわけではありません」
壊れた機械が、別の機械を取り込む。
傷ついた獣が、別の獣を食らう。
失ったものを埋めるため、関係のない何かを集め続ける。
それでも足りない。
どれほど大きくなっても。
どれほど多くを取り込んでも。
「欠けたものを探し続けるのか」
「はい」
「だから、欠けたものに集まる」
「そのように考えられています」
「……でも、欠けてなければ襲われないわけじゃないんだよな」
「はい」
ツキハは、少し困ったように答えた。
「侵食獣には、満たされたものを恨む傾向も確認されています」
「欠けてても襲う。満たされてても襲う」
「はい」
「元も子もない話だな」
「そうですね」
ツキハが苦笑した。
ほんのわずかだが、頬がいつもより柔らかくみえる。
酒のせいなのかもしれない。
サトは腸詰を一枚取り、ツキハの皿へ置いた。
「これも食べろ。酒だけ飲むと酔うぞ」
「酔う」
「頭がふわふわしたり、歩きにくくなったりする」
「現在、少し身体が温かい程度です」
「なら、まだ大丈夫だ」
ツキハは腸詰を口へ運んだ。
塩気と香辛料の味を確かめてから、火酒を少し飲む。
「…火酒に合います」
「だろ」
「適切な組み合わせです」
「酒のつまみだからな」
ツキハが自分で徳利を持ち、盃へ火酒を注いだ。
どうやら、かなり気に入ったらしい。
サトはその様子を見ながら、別の疑問を口にした。
「ツキハ。もう一つ質問だ」
「はい」
「白石島の沖でザラスを見た時、お前は神蝕級の狂機って呼んでたよな」
「はい」
「狂機も、神蝕汚染が原因なのか?」
「狂機は、もう少し複雑です」
「違うのか」
「神蝕汚染によって狂機となった個体も存在します。ですが、全てではありません」
ツキハは指を一本立てた。
「機械が精霊化する過程で、長く抱えていた恨みや呪いによって命令が歪んだ個体」
もう一本。
「事故や破損によって制御不能となり、暴走した個体」
さらにもう一本。
「古い命令を守り続けるうちに、その意味を失い、周囲へ害を及ぼすようになった個体」
「そういうのも全部、狂機なのか」
「はい。自律する機械、あるいは機霊のうち、人や精霊、生態系へ重大な危害を及ぼす存在が、広く狂機と呼ばれます」
「侵食獣とは別物なんだな」
「重なる場合もありますが、同じではありません」
「神蝕汚染された狂機なら、両方ってことか」
「はい」
侵食獣であり、狂機でもある。
ザラスは、まさにそうした存在だった。
「狂機には、危険度による区分があります」
「前にも少し聞いた気がする」
「徘徊級、門塞級、炉心級、神蝕級の四段階です」
「徘徊級が、一番下か」
「はい。危険な状態で移動している個体ですが、範囲を限定すれば回避や対処が可能です」
「門塞級は?」
「街道、施設、集落などを封鎖し、多数の人間や精霊獣へ被害を与え得る個体です」
「炉心級」
「都市や広い地域へ壊滅的な被害を与える可能性があります。旧世界の大型兵器や、大規模施設そのものが狂機化した場合などが該当します」
「最後が神蝕級」
「はい。神蝕汚染に由来し、既存の対処手段では停止が困難な個体です」
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神威もたぶん尻尾を振ります。




