第15話 白い森(二)
「神威、痛いか?」
「わぉん」
「それは痛くないのか、我慢してるのか、どっちだ」
「……きゅうん」
「我慢してる方か」
サトは足を止め、神威の右前脚を見た。
補助フレームの継ぎ目が開きかけている。
このまま歩けば、落下地点に着く前に壊れる。
「少しだけ直す」
サトは膝をつき、工具袋を開いた。
だが、ピッケルを使う前に、神威が尻尾を差し出した。
二股に分かれた先端が、控えめに開く。
「……尻尾のプラズマ熱を使えって?」
「わぉん」
「お前、いつの間にか自分の尻尾を工具扱いするようになったな」
神威の尻尾が、ほんの少し誇らしげに揺れた。
「揺らすな。溶接中は揺らすな」
「きゅうん」
サトは神威の尻尾を慎重に持ち、先端の熱を最小に絞った。
青白い熱が細く灯る。
折れかけたフレームの継ぎ目を、ほんの少しだけ焼いて仮止めする。
完全な修理ではない。
歩くためだけの応急処置だ。
「これで、少しはもつ。走るなよ」
「わぉん」
「さっきからそればっかりだな」
サトは立ち上がった。
そして、白い霧の中心を見た。
そこに、竹があった。
森の地面に、斜めに突き刺さっている。
太さは、人が七人で抱えても足りないほど。
長さは分からない。
上部は倒れた木々に隠れ、下部は地中深くへ食い込んでいる。
表面には節があり、確かに竹に見える。
だが、竹ではない。
節の隙間からは白い光が漏れ、皮の下では細い回路のような線が脈打っている。
裂けた部分からは、植物の繊維と、旧世界機械の配線に似たものが同時に覗いていた。
植物。
機械。
精霊装置。
そのどれでもあり、どれでもない。
「……月竹」
サトは、自然にその名を口にしていた。
知っていたわけではない。
ただ、そう呼ぶしかないと思った。
神威が月竹に近づこうとする。
「待て」
サトは神威の首元を掴んだ。
「不用意に触るな。弾かれる」
「わぅ」
「分かる。気になるのは分かる。でも今は駄目だ」
月竹の周囲では、白い霧が渦を巻いていた。
それは侵入者を拒む壁であり、同時に内部の何かを守る繭でもある。
たぶん、墜落で壊れている。
守るための機構が暴走し、周囲すべてを傷つけている。
サトはピッケルを抜いた。
何度も使ってきた道具だ。
父の遺した一点物。
旧文明の声を拾い、機械の口を探し、壊れたものにまだ息があるか確かめるための道具。
今さら祈るように借りるものではない。
これは、サトの手の延長のようなものだ。
「口を探す」
サトは月竹の外殻を見回した。
普通の竹なら、端子などあるはずがない。
だが、これは月面航行端末だ。
必ず外部救助用の接続部がある。
節のひとつに、微妙に光の流れが乱れている場所があった。
「ここか」
サトはピッケルの接続針を伸ばした。
針を差し込む。
瞬間、白い光がピッケルの柄を走った。
「っ!」
強いノイズ。
意味不明な文字列。
月側の規格は、地上の旧世界端末と似ているが、完全には一致しない。
サトは読み取れる単語だけを拾った。
『警告』
『月面航行端末』
『ルナ・リレー応答なし』
『進路喪失』
『乗員保護継続』
『生命反応あり』
『生命維持低下』
「中だな」
サトは月竹の節に手を伸ばした。
霧が痛い。
手の甲から血が滲む。
神威が一歩前に出ようとする。
「出るな」
「わぅ」
「大丈夫だ。今は俺の仕事だ」
サトはピッケルの柄を握り直した。
「外部救助。生命維持低下。手動開放」
ピッケルの画面に、構造図らしきものが浮かんだ。
外殻。
緩衝層。
保護室。
生命維持核。
保護室の中に、弱い反応がひとつ。
人の形。
サトは息を呑んだ。
そのとき、南側の霧が黒く削れた。
神威が振り返る。
白い霧の向こうで、裂爪級の観測レンズが赤く光っていた。
「まずい」
まだ距離はある。
だが、気づかれた。
月竹の開放信号に反応したのだ。
裂爪級が、ゆっくりこちらへ向かってくる。
霧を食い荒らしながら。
「神威、時間を稼げるか。ただし、近づくな」
「わぉん」
「近づくなって言ったぞ」
神威は前に出た。
だが、突っ込まなかった。
白い霧の縁を回り込み、倒木の影に身を低くする。
背中のパネルからLEDが、最小出力で点滅した。
侵食獣へ向けてではない。
周囲の小さな精霊虫へ向けた、微弱な刺激。
霧の中に潜んでいた銀色の虫たちが、ゆっくり飛び立った。
月光を浴びた羽が、粉雪のように舞う。
裂爪級の観測レンズが、わずかに揺れた。
視界を乱されたのだ。
「上手い」
サトは月竹に向き直った。
「そのまま頼む」
「わぉん」
ピッケルの画面に、赤い文字が点滅する。
『外部救助を許可』
『手動開放、節三』
『開放時、保護室圧低下』
『乗員を速やかに搬出せよ』
「節三……ここだな」
サトはピッケルの先端を、指定された節の隙間に差し込んだ。
力を込める。
びくともしない。
「古い扉と同じで、素直に開かないか」
サトは歯を食いしばった。
ピッケルの加熱機能を入れる。
先端が赤く光る。
月竹の外殻は、金属でも木でもない。熱に対する反応も読みにくい。
だが、節のロック部分だけは、確かに旧世界機械に近かった。
「開け……!」
重い音がした。
竹の節が、ゆっくりと割れる。
植物の繊維が裂ける音と、機械のロックが外れる音が重なった。
白い霧が、内側からあふれ出す。
サトは腕で顔を庇った。
中は、白かった。
月光を閉じ込めたような保護室。
その奥に、少女がいた。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




