第148話 機械狼の中にあるもの(二)
摩耗した軸受けを外す。
削れた留め具を交換する。
右前脚の補強具を一度取り外し、接続部の歪みを修正する。
白尾村での戦いだけではない。
カツザンまでの長い道。
霧の遺跡。
海底。
雪原。
長い旅の負担が、神威の身体には少しずつ積み重なっていた。
大きく壊れた場所は目立つ。
だが、本当に怖いのは、小さな摩耗を放っておくことだ。
わずかな軸のずれ。
細い亀裂。
削れた歯車。
古くなったグリス。
すぐには動かなくならない。
だからこそ、気づかないうちに広がっていく。
サトは汚れたグリスを布で拭い取った。
黒い油に、細かな金属粉が混ざっている。
「ずいぶん削れてるな」
「交換部品はありますか」
「白尾村でもらった部品の中に、近い規格のものがある」
サトは部品箱を探り、円形の軸受けを取り出した。
完全に同じものではない。
だが、少し削れば使える。
工具で外周を整え、厚みを合わせる。
何度か仮止めし、神威の右前脚を動かした。
「神威。ゆっくり曲げろ」
「わぅ」
「もう少し」
右前脚が、静かに曲がる。
以前のような軋みはない。
サトは接続部へ新しいグリスを塗った。
薄く。
だが、全体へ均等に行き渡るように。
「よし。次は腹部パネルだ」
修理した共鳴パネルの裏側には、まだ細い亀裂が残っていた。
白尾村では補強板を当てて固定しただけだ。
このまま使い続ければ、また同じ場所から割れる可能性がある。
「神威。尻尾をこっちへ」
「わぉん」
二股の尻尾が伸びる。
先端が開き、内部に青白い光が灯った。
短距離プラズマ熱。
本来は何に使う機能だったのか、サトは知らない。
だが、溶接にはとても便利だった。
「出力は最低で」
「わぅ」
「ツキハ。温度を見ててくれ」
「はい。現在、安定しています」
サトは神威の尻尾を両手で持った。
「動かすなよ。絶対だぞ」
「わぉん」
「尻尾を持たれてる状態で振ったら、俺が焼けるからな」
「きゅうん」
「不安そうにするな。お前が動かなければ大丈夫だ」
青白い熱が、補強板の縁をなぞる。
金属が赤くなり、ゆっくりと溶け合っていく。
サトは神威の尻尾を慎重に動かした。
細く。
一定の速度で。
最後まで溶接を終えると、出力を止める。
「よし」
サトは額の汗を拭った。
「久しぶりに使ったけど、相変わらず便利な尻尾だな」
「わぉん」
「褒めると振るから、まだ動かすな」
神威の尻尾が、わずかに震えた。
振りたいのを我慢しているらしい。
ツキハが真面目な顔で見ている。
「神威は、適切に我慢しています」
「そこまで尻尾を振りたいのか」
「わぅ……」
「分かった。あとで好きなだけ振れ」
「わぉん!」
「今、振るな!」
工具が二本、床へ落ちた。
◇
整備を続けるうちに、神威の装甲に付着していた油や汚れも落ちていった。
白い装甲。
修理跡。
細かな傷。
その間に、傷とは違うものがある。
サトは布を動かす手を止めた。
「前から、こんな模様あったか?」
胸元には、はっきりとした勾玉の印がある。
白石島で、ニギミタマ様から授かったものだ。
右耳には、小さな雪の紋章。
白尾村の小狐から授かった、水と風の流路を示す印。
その二つは、サトも知っている。
だが、それ以外にもあった。
装甲の表面に、ひどく淡い模様が浮かんでいる。
葉脈。
水の流れ。
小さな獣の足跡。
鳥の羽。
木の枝。
光の角度を変えなければみえないほど薄く、その多くは途中で消えている。
「ツキハ。これは?」
ツキハが月片を近づける。
「精霊流に触れた痕跡だと思われます」
「何か新しい機能か?」
「いいえ。明確な流路や権能は確認できません。胸の勾玉印や、右耳の雪紋とは異なります」
「ただの痕跡?」
「はい。あ、いえ、長い時間、様々な精霊流に触れたことで残ったものだと思われますが、蓄積されることで何かが発現するかもしれません」
サトは、淡い足跡のような模様を指でなぞった。
神威がどこで、何に触れた時に残ったのか。
サトには分からない。
自分が神威を拾うよりも前。
何百年もの間、神威は世界を歩き続けていた。
壊れて。
直して。
また壊れて。
それでも、どこかへ向かい続けていた。
「きっと、俺たちの知らないところで、色んな精霊や獣や人を助けたんだろうな」
「その可能性はあります」
「お前、覚えてるか?」
神威は、しばらくサトを見ていた。
やがて、小さく鳴く。
「わぅ」
覚えているのか。
覚えていないのか。
サトには分からなかった。
「まあ、いいか」
サトはもう一度、神威の装甲を布で拭いた。
「覚えてなくても、やったことまでなくなるわけじゃないからな」
神威の尾が、床を一度だけ軽く叩いた。
◇
大がかりな整備が終わった頃には、かなりの時間が経っていた。
だが、サトにはもう一つ確認しておきたいことがあった。
「せっかくだ。今使える機能を、一度全部書き出してみるか」
「神威の機能一覧ですか」
「ああ。最初に拾った頃より、明らかに増えてるからな」
サトは白尾村でもらった紙を取り出し、薄い記録板へ留めた。
炭筆を持ち、一番上に大きく書く。
――神威。現在の機能。
「まず全体からだな」
サトは神威を見ながら書いていく。
「旧世界製高密度合金ボディ」
「現在も十分な強度を保っています。ただし、複数箇所に修理歴があります」
「それは見れば分かる」
「記録には必要です」
「じゃあ、修理跡多数、と」
神威が不満そうに、きゅうん、と鳴く。
「事実だろ」
続けて書く。
「周辺を観測する各種センサー。光、音、熱、振動……他にもあるな」
「敵性反応、および精霊反応も、ある程度感知しています」
「それ、元のセンサーだけで感じてるのか?」
ツキハは少し考えた。
「現在は、通常のセンサーだけではない可能性があります」
「芽や根、あるいは精霊化の進行か」
「はい。周囲の精霊流をわずかに感じていると思われます」
「普通の目や耳と、精霊の感覚を一緒に使ってるのかもしれないな」
「可能性があります。ただし、どこまでが機械的な観測で、どこからが精霊反応なのかは分離できません」
「なるほど」
サトは紙へ書き足した。
――各種センサー。精霊流による感知を含む可能性あり。
「次。自立して考えられる人工知能」
「高度な学習能力と言語理解能力を有しています」
「返事はほとんど、わぉんだけどな」
「わぉん」
「ほら」
「発声機能と、言語理解能力は別です」
「分かってるよ」
サトは紙に、
――自律思考型AI。言葉は理解している。返事は主に鳴き声。
と書いた。
「その書き方は、正式な記録として不適切です」
「俺の記録だからいいんだ」
「では、続けてください」
「中枢。旧世代エーテルコアエンジン」
サトは一度、神威の胸元へ視線を向ける。
装甲は閉じた。
だが、その奥では、エメラルドグリーンの光が静かに揺れている。
「半分くらい精霊になってる可能性あり、と」
「割合は不明です」
「じゃあ、分類不能」
「それが適切です」
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




