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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第147話 機械狼の中にあるもの(一)

白尾村を離れて、三日が経った。


 月竹は、北の海を静かに進んでいた。


 海面近くを進むこともあれば、深い海へ潜ることもある。


 今は、外の光もほとんど届かない海の中だった。


 白い船体の周囲を、青い精霊光が流れている。


 外部映像には、ときおり巨大な魚の影が映った。


 だが、船内は穏やかだった。


 波の音もない。


 揺れもほとんどない。


 聞こえるのは、工具の触れ合う音だけだった。


「神威。もう少し右に寄れ」


「わぅ」


「右だ。そっちは左」


「わぉん」


「分かってるなら、最初からやれ」


 月竹の格納部。


 白尾村でもらった食料や荷物が積まれた一角に、サトは簡易の整備場所を作っていた。


 床には厚い布を敷き、その上に工具箱と部品箱を並べている。


 神威は布の中央で、腹を見せるように横になっていた。


 右前脚には、白尾村で取り付けた新しい補強具がある。


 腹部の共鳴パネルも修理済みだ。


 だが、それは白尾村での応急処置に近い。


 ハクの修理。


 侵食獣への備え。


 村の復旧。


 白尾村では、神威だけに時間を使う余裕がなかった。


 旅を再開できる状態には戻した。


 けれど、サトはそれで十分だとは思っていなかった。


「帰ったら絶対に診るって言ったからな」


「わぅ」


「白尾村を出たから、帰ったことになるのかは微妙だけど」


「言葉の意味としては、少し不適切です」


 ツキハが横から言った。


 月片を手に、神威の精霊反応を観測している。


「分かってるよ。今まで落ち着いて診られなかったって話だ」


「はい。それなら適切です」


「よし。神威、しばらく動くなよ」


「わぉん」


「尻尾もだぞ」


 神威の尻尾が、ぴたりと止まった。


 止まる直前、床に置いてあった小さな留め具を一つ弾き飛ばした。


「あっ」


 留め具が白い床を転がっていく。


 ツキハが足元まで来たそれを拾い上げ、サトへ差し出した。


「こちらです」


「ありがとう」


 サトは留め具を受け取ると、神威の鼻先に見せた。


「動くなって言われた直後に、物を飛ばすな」


「きゅうん」


「反省してるか?」


「わぅ」


「してないな」


 神威の腹部装甲を固定していた留め具を、一つずつ外していく。


 修理された共鳴パネル。


 補助動力系。


 古い配線。


 エーテル流体を循環させる管。


 見慣れたものから、サトにもよく分からないものまで、神威の内部には数多くの機構が詰まっている。


 その多くは、旧世界の技術だ。


 サトが神威を拾ってから何度も修理してきたとはいえ、全てを理解できているわけではない。


 壊れた部分を調べる。


 似た部品を探す。


 規格が合わなければ加工する。


 動かなければ、また別の方法を試す。


 それを何度も繰り返してきた。


「ツキハ。少し光を強くしてくれ」


「はい」


 月片から白い光が伸び、神威の内部を照らした。


 装甲の奥。


 何重にも重なった機構の中心に、それはあった。


 神威の心臓。


 旧世代エーテルコアエンジン。


 サトも、ここまで深く神威の中枢を開くのは久しぶりだった。


 以前に見た時は、青白い光を放っていた。


 その奥に、ほんのわずかに緑色の揺らぎが混ざっていた。


 だが今は違う。


「……おい」


 サトは、思わず手を止めた。


 エーテルコアエンジンは、鮮やかなエメラルドグリーンに輝いていた。


 青白い光は、もうほとんど残っていない。


 深い森の葉。


 透き通った湖。


 朝露に濡れた若草。


 その全てを溶かし、澄ませたような緑色だった。


「色、変わってるよな」


 ツキハも、エーテルコアを見つめていた。


「以前は違ったのですか」


「ここまで緑じゃなかった。最初に見た時は青白かったんだ。その奥に、ちょっとだけ緑が混じってた」


「私は、神威のエーテルコアエンジンを直接見るのは初めてです」


「そういえば、そうか」


 ツキハは神威の精霊反応を何度も観測してきた。


 だが、中枢を開いて、エーテルコアそのものを覗いたことはなかった。


 ツキハは月片を近づける。


 白い光が、エメラルドグリーンのコアと重なった。


「精霊反応があります」


「それは前から言ってたな」


「はい。ですが、外部から観測した時よりも、はるかに密度が高いです」


「危ないものか?」


「いいえ」


 ツキハはすぐに答えた。


「神蝕汚染や侵食反応は確認できません。精霊流も非常に澄んでいます」


「じゃあ、大丈夫そうか」


「大丈夫、という表現がどこまで適切かは分かりません」


「そこは分からないのか」


「はい。私の記録に、類似する存在がありません」


 ツキハはエーテルコアを見つめたまま続ける。


「通常の機械に生じる精霊反応とも違います。精霊獣の核とも違います。機霊の中枢とも一致しません」


「つまり?」


「よく分かりません」


「ツキハが、はっきり分からないって言うのも珍しいな」


「不明なものを、分かったとは言えません」


「それはそうだ」


 サトはエーテルコアへ指を近づけた。


「触れますか」


「前は触れた」


「今は不明です」


「じゃあ、ちょっとだけ」


「慎重にお願いします」


 サトは人差し指の先で、エーテルコアを軽くつついた。


 硬い感触が返ってくると思っていた。


 だが、指先が触れた瞬間。


 エメラルドグリーンの光に、円い波紋が広がった。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 静かな水面へ小石を落としたように、光の輪がコア全体へ広がっていく。


 サトは指を引っ込めた。


「……何だ、今の」


「観測します」


 ツキハが月片をかざす。


 波紋はゆっくりと消えていった。


 エーテルコアの形そのものは変わっていない。


 液体になったわけでもない。


 だが、確かに光は水のように揺れた。


「機械なんだよな、これ」


「構造上は、エーテルコアエンジンです」


「構造上は」


「はい」


「その言い方、不安になるな」


「危険な反応はありません」


「なら、まあいいか」


 サトは神威の頭を見た。


 神威は横になったまま、サトたちの様子を見ている。


「お前、もう完全にただの機械じゃないよな」


「わぅ?」


「調整パルスを出し始めた辺りから、そんな機能あったっけって思ってたけど」


「わぉん」


「自分でも分かってない顔だな」


 神威の耳が、少しだけ傾いた。


 右耳に刻まれた雪の紋章が、淡く光っている。


 サトは、エーテルコアの周囲へ視線を戻した。


 そこで、もう一つ気づく。


「ツキハ。これ」


 エーテルコアの周囲に、細い根が伸びていた。


 金属の骨格に沿い、配線を避け、熱を持つ動力管には近づかず、何本もの根がコアへつながっている。


 以前から、神威の身体には芽や根が生えていた。


 背中。


 胸元。


 装甲の隙間。


 内部フレーム。


 尻尾の付け根。


 整備するたび、少しずつ増えていた。


 だが、ここまで明確にエーテルコアとつながっているのを見たのは初めてだった。


 サトは神威の背中を見る。


 装甲の隙間から、小さな芽がいくつも顔を出している。


 そのうちのいくつかには、まだ小さいが、柔らかな葉が開いていた。


「外の芽から、ここまで全部つながってるのか」


「その可能性が高いです」


 ツキハが月片の表示を追う。


「芽と葉の周囲で、精霊流の移動が確認できます」


「精霊流を吸ってるのか?」


「吸収しているようにはみえます。ただし、一方的ではありません」


「どういうことだ?」


「芽や葉から取り込まれた精霊流が、根を通じてエーテルコアへ流れています。その後、神威の内部を巡り、再び外部へ戻っているようです」


「戻ってる?」


「はい。取り込まれた時より、わずかに流れが安定しています」


 サトはしばらく考えた。


「呼吸みたいなものか?」


「近いかもしれません」


「精霊流を吸って、整えて、吐いてる?」


「仮説ですが」


「存在してるだけで、周りの精霊流を整えてるってことか」


「影響は微弱です。ですが、その可能性はあります」


 神威が、わぅ、と小さく鳴いた。


「お前、呼吸してたのか」


「わぉん」


「絶対分かってないだろ」


 サトは根の一本へ工具を近づけた。


 部品を外すには、その根が少しだけ邪魔だった。


「悪い。そこを通りたいんだけど」


 サトが呟いた直後。


 細い根が、わずかに動いた。


 工具の先を避けるように、ゆっくりと位置を変える。


 サトは動きを止めた。


 ツキハも目を瞬かせた。


「今、動いたな」


「はい」


「お前が動かしたのか?」


 神威は首だけを少し持ち上げた。


「わぅ?」


「違いそうだな」


 根はそれ以上動かなかった。


 ただ、サトが工具を入れるための隙間だけは、きれいに空いている。


「整備の邪魔にならないどころか、場所を空けてくれるのか」


「神威の身体構造と、サトの行動を認識している可能性があります」


「便利だな」


「未知の現象です」


「でも悪いものじゃないんだろ?」


「現在、悪影響は確認できません」


「なら、大丈夫だろ」


「判断が早いです」


「ツキハが悪いものじゃなさそうって言うなら、俺が考えても分からないからな」


 分からないものは、分からない。


 だからといって、全てを怖がっていては何もできない。


 神威は今まで、多くの精霊や機霊と触れてきた。


 そのたびに、少しずつ変わってきた。


 だが、神威が神威でなくなったことは一度もない。


「よし。こっちは後でまた観測するとして、先に機械の部分を直すぞ」


「はい」


「神威。まだ動くなよ」


「わぉん」


 サトは再び工具を手に取った。


     ◇

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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