第145話 白尾の贈り物(二)
奥社の内部調査は、白尾村総出の作業になった。
危険な場所も多かったため、最初に入ったのはサト、ツキハ、神威、小さなハク、そして雪幌都から残っていた技術者たちだった。
入口を抜けると、空気が変わった。
社の外は雪と木と炉の匂いがする。
だが奥は、古い金属と乾いた塵と、眠り続けた機械の匂いがした。
壁面には、かすれた案内表示が残っている。
矢印。
番号。
読めなくなった注意書き。
非常灯の跡。
ところどころに、凍りついた配管が走っていた。
ツキハは月片の光を壁に走らせながら進んだ。
「施設構造、部分的に生存しています」
「生存って言い方でいいのか」
「適切です」
ツキハは迷いなく答えた。
「施設も、長い時間を経た機械です。完全な死物ではありません」
神威が壁の匂いを嗅ぐように鼻先を近づける。
「わふ」
「食べ物じゃないぞ」
「わぅ」
「分かってる顔じゃないな」
小さなハクは、レタラサラに抱かれず、床を歩いていた。
歩幅は小さい。
だが、不思議なことに、暗い施設の中では存在感があった。
青白い光学センサーが、迷いなく通路を見渡している。
「右ダ」
「分かるんですか」
「昔、歩イタ」
ハクは短く答えた。
「大キカッタ頃ダ」
「言い方が切ない」
「事実ダ」
進んだ先には、巨大な空間があった。
天井は高く、半分は崩れ、山の岩盤がむき出しになっている。
だが、中心にはまだ何かが残っていた。
円筒形の巨大な構造物。
錆び、凍り、土砂に埋もれながらも、確かにそこに立っている。
ロケットだった。
人が宙を駆けるための機械。
今はもう飛ぶことはない。
だが、その姿には、空を目指した者たちの意志が残っていた。
サトは見上げた。
「でかいな」
「低軌道輸送用としては小型です」
「これで小型なのか」
「はい」
「旧世界、やっぱりおかしい」
「同意します」
ツキハはロケットの基部へ近づき、手を当てた。
しばらく目を閉じる。
月片が淡く光る。
「使えます」
ぽつりと、彼女は言った。
「全部ではありません。ですが、姿勢制御系の一部、耐熱材、信号変換器、推進補助の制御部材。それに、月竹の外殻修復に転用できる素材があります」
サトは笑った。
疲労が残る顔だった。
それでも、久しぶりに心から嬉しそうだった。
「よし。解体だ」
「丁寧にお願いします」
「もちろん」
サトは工具袋を開いた。
「丁寧な解体だ」
ツキハが少しだけ不安そうに見た。
「不安です」
「信頼しろ」
「部分的に」
「そこは全部にしてくれ」
作業はすぐに始まった。
村人たちも加わった。
重い部材を運ぶ者。
凍りついた扉を温める者。
照明を持つ者。
工具を渡す者。
ツキハの指示を復唱する者。
サトが外した部品を、丁寧に布で包む者。
誰もロケットの構造など分からない。
宇宙など、ほとんどの村人にとっては遠い神話のようなものだった。
それでも、皆が手伝った。
なぜなら、その機械が月竹を直す助けになるからだ。
月竹は、白尾村を守る戦いで使われた。
不適切な使い方だった。
それでも、村を守る力になった。
ならば、今度は村が月竹を直す。
それだけのことだった。
◇
月竹の修理は、驚くほど早く進んだ。
もちろん、完全修復ではない。
月へ戻れるわけでもない。
大気圏外へ出られるわけでもない。
だが、低高度飛行、短距離移動、荷物運搬、姿勢制御、光学遮蔽迷彩の安定。
それらは、かなり改善された。
ツキハは、月竹の外殻に手を当てながら静かに息を吐いた。
「応急修理としては、十分です」
「応急でこれなら上出来だろ」
サトは腰を伸ばしながら言った。
連日の作業で、また少し目の下が暗くなっている。
ツキハはそれを見逃さなかった。
「サト。食事と睡眠」
「はい」
「今です」
「まだ何も言ってない」
「言う前に必要です」
「未来予測までできるようになったか」
「サトの行動予測は容易です」
「ぐうの音も出ない」
月竹のそばには、村人たちが次々に荷物を運んできていた。
食料。
干し肉。
芋。
乾燥した山菜。
保存用の魚。
水袋。
燃料。
毛布。
替えの外套。
薬草。
工具。
予備の金属部品。
雪道用の縄。
修理用の布。
どう考えても積みすぎだった。
「いや、多いです」
サトが言った。
エカシは首を振った。
「少ないくらいだ」
「月竹には限界があります」
「ツキハ様が、大丈夫だと言った」
サトはツキハを見た。
「言ったのか」
「重量配分上は、許容範囲です」
「許容範囲だからって、これでもかと積むなよ」
「白尾村の好意です」
「好意が重い」
「物理的にも」
「そこは言わなくていい」
神威は荷物の周りを嬉しそうに歩いている。
食料の匂いに反応しているわけではない。
たぶん。
サトはそう信じたかった。
その横では、小さなハクが村人たちの荷運びを見ていた。
大きさは子犬ほどだが、そこにいるだけで、村人たちはどこか安心した顔になる。
「ハク様、これはどこへ?」
「右ノ箱ダ」
「これは?」
「軽イ。上デヨイ」
「ハク様、これも持っていけますか」
「多イ」
「では半分に」
「全部デヨイ」
「どっちですか」
小さくなっても、ハクはハクだった。
白尾村の者たちにとって、境界を守る銀狼であることに変わりはなかった。
月竹の格納部には、さらに一つ大きな荷物が積まれた。
旧世界のバイクだった。
しかも、サイドカー付き。
奥社の隣接倉庫で、半ば奇跡のような状態で保存されていたものだ。
外装は錆びていたが、骨格はしっかりしている。
サトが見つけた時、しばらく無言だった。
その後、ぽつりと言った。
「旅の文明レベルが上がったな」
ツキハはバイクの状態を確認しながら頷いた。
「整備すれば、使用可能です」
「本当に?」
「はい。ただし、現状では走行不可。燃料系、駆動系、制動系、すべて分解整備が必要です」
「つまり、今は置物か」
「月竹内で整備するには適切です」
「旅しながら直せってことか」
「はい」
神威がバイクの横に立ち、サイドカーを覗き込んだ。
「わぉん?」
「お前、乗る気か?」
「わふ」
「いや、お前は走れるだろ」
神威はサイドカーをもう一度見た。
どうやら、少し気に入ったらしい。
サトはため息をついた。
「まあ、修理してから考えような」
「わぉん」
◇
出発の日。
白尾村の入口には、多くの人が集まっていた。
雪幌都からの支援物資を運んできた隊もいた。
その中には、レラとノチウの姿もあった。
「よう!」
レラが大きく手を振る。
腕の吊り布は外れていたが、まだ完全ではないのか、動かし方は少しぎこちない。
「見送りに来たぞ!」
「支援物資の護衛」
ノチウが淡々と言った。
「ついで」
「ついでで朝から山道越えて来るかよ」
レラが笑う。
「素直に見送りって言えよ」
「見送り」
「言うんかい」
サトは笑った。
「二人とも、わざわざありがとう」
「まあな」
レラは月竹を見上げる。
「しかし、直るもんだな。あれだけ石だの鉄だの落としたのに」
「不適切な使用方法でした」
ツキハが言う。
「今後は可能な限り避けます」
「可能な限りって言うあたり、またやる気あるだろ」
「必要であれば」
「やっぱ似てるわ、お前ら」
レラはサトとツキハを交互に見て笑った。
ノチウは、月竹に積まれたサイドカー付きバイクをじっと見ていた。
「それ、いい」
「ノチウもそういうの好きなのか」
「機構が好き」
「なるほど」
レラがサイドカーを覗き込む。
「おい、これ今度乗せろよ」
「走るようになったらな」
「約束な」
「壊すなよ」
「壊す前提か?」
「大剣の扱いを見てると不安で」
「失礼だな。ちょっとしか壊してねぇ」
「ちょっとの範囲が広い」
サトたちの周りに、白尾村の子どもたちが集まってくる。
神威の頭を撫でる子。
ツキハに干し肉の包みを渡す子。
サトに「ちゃんと寝てね」と言う子。
サトは苦笑した。
「なんで村中に広まってるんだ」
「事実だからです」
ツキハが答える。
「否定できないのがつらい」
エカシが歩み寄ってきた。
手には、古い布に包まれた小さな道具箱がある。
「サト」
「はい」
「これは村の古い工具だ。旧世界の規格に合うものもある。持っていけ」
「いいんですか」
「村に置いておいても、使える者は少ない。お前が持っていった方がよい」
サトは両手で受け取った。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
エカシは深く頭を下げた。
「白尾村は、お前たちに救われた」
「俺たちだけじゃありません」
サトは言った。
「村のみんながいたからです」
エカシは、少しだけ笑った。
「そう言える若者は、よい旅をする」
◇
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




