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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第144話 白尾の贈り物(一)

小さなハクが目を覚ましてから、白尾村には少しだけ妙な空気が流れた。


 いや、喜ばしいことではある。


 それは間違いない。


 あの戦いのあと、誰もがハクは命を落としたのだと思っていた。


 レタラサラでさえ、そう思っていた。


 主脊梁は砕け、補助具は焼き切れ、エーテル流体は凍りかけていた。


 あれで生きている方がおかしい。


 だから、小さな白狼となったハクが倉庫から姿を見せた時、村人たちはまず泣いた。


 泣いて、笑って、手を合わせて、深く頭を下げた。


 そして、しばらくしてから、全員が同じことを思った。


 小さい。


 口には出さなかった。


 誰も出さなかった。


 だが、思った。


 とても小さい。


 かつて白尾村の境界を守った巨大な銀狼が、今はレタラサラの腕の中に収まっている。


 村の子どもが恐る恐る近づいて、そっと手を伸ばしても、威圧感より先に愛らしさが来る。


 子どもがぽつりと言った。


「ハク様、かわいい」


 その瞬間、周囲の大人たちが一斉に息を呑んだ。


 言った。


 ついに言った。


 誰もが思っていたことを、子どもが言ってしまった。


 小さなハクは、しばらく沈黙した。


 青白い光学センサーが、ゆっくり瞬く。


「……ソウカ」


 低く、少しかすれた声。


 子どもは慌てて両手を振った。


「ち、違います! あの、かっこいいです! かわいくて、かっこいいです!」


「ムズカシイ評価ダ」


 ハクがそう言うと、村人たちの間から小さく笑いが漏れた。


 レタラサラは、ハクを抱いたまま静かに微笑んでいた。


 その笑みには、まだ涙の跡が残っている。


 けれど、確かに笑っていた。


     ◇


 倉庫の中には、まだ修理の熱が残っていた。


 作業台には工具が並び、使い切った部品箱が積み上がっている。


 床には金属片や焦げた配線が散っていた。


 壁際には、ハクの元の外装の一部が置かれている。


 巨大な銀狼だったころの肩部装甲。


 主脊梁の破片。


 焼け落ちた補助具。


 それらを見ると、レタラサラの表情は少し曇った。


 サトはそれに気づき、工具を置いた。


「説明しておきます」


「はい」


 レタラサラは、小さなハクを腕に抱いたまま頷く。


 ハクはその腕の中で、少しだけ居心地悪そうにしていた。


「ワタシハ、歩ケル」


「知っています」


 レタラサラは静かに答えた。


「でも、今は私が抱きたいのです」


「……ソウカ」


 ハクはそれ以上抵抗しなかった。


 サトは咳払いをした。


「まず、ハクさんのエーテルコアですが、完全には死んでいませんでした。ただ、あのままだと一刻、長くても数刻で消えていたと思います」


 レタラサラの腕に力が入る。


 小さなハクが、わずかに顔を上げた。


「ツキハが気づいたんです。光が完全に消える前に」


 ツキハは、月片を胸の前で持っていた。


「正確には、コアの反応ではなく、存在情報の揺らぎを検出しました」


「存在情報?」


 レタラサラが首を傾げる。


 サトも首を傾げた。


「難しいな」


「難しいです」


 ツキハは真面目に頷いた。


「ハクの機械体は破損していました。コアも停止寸前でした。しかし、ハクという存在を構成する精霊流は、まだ消えていませんでした」


 ツキハは、月片をわずかに傾ける。


 淡い光が、小さなハクの胸元に反射した。


「サトが機械的にコアを取り出し、私は観測固定で存在の崩壊を一時的に留めました。その間に村へ戻り、新しい小型コアへ中枢情報と精霊流の流路を移しました」


「つまり」


 サトはレタラサラの顔色を伺いながら言った。


「本当にぎりぎりでした」


「ぎりぎりどころではありません」


 ツキハが即座に言う。


「あれは失敗してもおかしくありませんでした」


「そこを強調しなくていい」


「事実です」


「知ってる」


 サトは頭をかいた。


「ただ、成功しました。機体は小さくなりましたが、ハクさんはハクさんです」


「小サイガ」


 ハクが言う。


「そこはすみません」


 サトは即座に頭を下げた。


 ハクは自分の小さな前脚を見下ろす。


「ワタシハ、以前ノヨウニ、走レルノカ」


「機械性能だけで言えば、以前ほどではありません」


 ツキハが答えた。


「ですが、精霊流の総量はほとんど減っていません」


 レタラサラが目を上げる。


「減っていないのですか」


「はい。器は小さくなりましたが、存在の密度はむしろ高くなっています」


「密度」


 サトはハクを見た。


「つまり、小さいけど中身はすごい、ってことか」


「言い方は雑ですが、概ねそうです」


「概ねなのか」


 ハクの光学センサーが、わずかに明るくなる。


「デハ」


 小さな白狼は、レタラサラの腕の中から外を見た。


 白尾村の外れ。


 雪道。


 その先に続く、森と境界。


「ワタシハ、マダ、境界ヲ、見ラレル」


 レタラサラは、ハクを抱く腕に力を込めた。


「はい」


 その声は、少し震えていた。


「あなたは、まだ白尾村を守れます」


「ソウカ」


 ハクは静かに言った。


「ナラバ、十分ダ」


 サトは、その言葉に少しだけ救われた気がした。


 元通りにはできなかった。


 巨大な守護機としての身体を、取り戻すことはできなかった。


 けれど、ハクはまだ守れる。


 それならば。


 命あっての物種。


 あの言い訳も、少しくらいは許されるかもしれない。


     ◇


 その日の午後、レタラサラはサトたちを社へ招いた。


「お礼をしたいのです」


 そう言われ、サトは慌てて手を振った。


「いやいや、もう十分です。ハクさんも助かったし、村の人たちにも散々世話になりましたし」


「私も、白尾村も、サト様たちに大きな恩があります」


 レタラサラは静かに言った。


「それに、これは私だけの考えではありません」


 彼女の腕の中で、小さなハクが頷いた。


「奥ニ、使エルモノガアル」


「使えるもの?」


「人ガ、宙ヲ駆ケル機械ガ、収メラレテイル」


 サトは瞬きをした。


「人が、宙を駆ける?」


 ツキハの動きが止まった。


 月片を持つ指に力が入る。


「ハク」


 ツキハの声が、わずかに変わった。


「今、なんと言いましたか」


「人ガ、宙ヲ駆ケル機械ダ」


 ハクは当然のように言った。


「古イ機械ダ。白尾ノ者ハ、使ワヌ。私モ、長ク奥デ眠ッテイタ」


 ツキハの瞳が揺れた。


「まさか……」


「ツキハ?」


 サトが声をかける。


 ツキハは答えず、社の奥へ視線を向けた。


 白尾の社は、山にめり込むように建てられている。


 正確には、社が山に埋もれているのではない。


 山に埋もれた何かの入口へ、後から社が建てられたのだ。


 それは、サトたちもすでに知っていた。


 ハクが横たわっていた奥の広間も、ただの社ではなく、旧世界の施設の一部だった。


 だが、その正体までは分かっていなかった。


 ツキハが、急に走り出した。


「お、おい、ツキハ?」


「サト。こちらを見てください」


 ツキハは、社の入口脇へ向かっていた。


 雪と苔に覆われた壁面。


 古い石のように見えていた部分。


 そこに、指をかける。


 ツキハは月片の光を当て、小さく削るように雪と土を払った。


 サトも近づく。


「これは……」


 そこに、古い銘板があった。


 錆びている。


 文字はかすれ、ところどころ欠けている。


 それでも、まだ読めた。


 日本宇宙航空開発機構


 北星海道発射場


 サトは、しばらく黙っていた。


 風が吹いた。


 雪が、銘板の上をさらさらと流れていく。


「……発射場?」


 サトはようやく言った。


「ロケットの、か?」


「はい」


 ツキハの声は小さかった。


「旧世界の宇宙航空施設です。記録にはありました。北星海道のどこかに、低軌道輸送用の発射設備があったと」


「知ってたのか」


「施設の存在は、記録にありました」


 ツキハは銘板を見つめる。


「ですが、位置情報は断片的でした。精霊科学文明の崩壊後、施設は失われたものと記録されていました。崩落、風化、侵食、あるいは解体。いずれかで消失したと」


 ツキハは、山にめり込むように建つ社を見上げた。


「まさか……山の中にあったなんて」


 レタラサラが、静かに近づいてくる。


 小さなハクを抱いたまま、銘板を見つめた。


「私たちは、ここを奥社と呼んでいました」


「奥社」


「はい。ずっと昔から、山の奥にある大きな神の器だと伝えられていました。白尾の者たちは、ここへ祈りを捧げ、触れてはいけないものとして守ってきました」


 サトは社の奥を見た。


 あの広間。


 ハクが横たわっていた場所。


 白い巨体が眠っていた、円筒形の空間。


「じゃあ、ハクさんが寝てた場所って」


「ロケットの内部、または整備区画の可能性が高いです」


 ツキハが答える。


「地形変動、土砂崩れ、積雪、長い年月による植生の変化。それらが重なり、発射場そのものが山に埋もれたのでしょう。ですが、埋もれたことで逆に保存された」


「旧世界の発射場が、丸ごと山の中に残っていたってことか」


「はい」


 ツキハは少しだけ息を呑む。


「月竹の修理に使える部品が、あるかもしれません」


 サトの顔が変わった。


 疲れ切っていた目に、また別の光が灯る。


「それは、本当か」


「可能性は高いです。耐熱素材、姿勢制御用の部品、通信系、航法ユニット、推進補助材。月竹と直接同じものではなくとも、応用できるものはあるはずです」


 小さなハクが、レタラサラの腕の中で胸を張った。


「使エル。タブン」


「たぶんで旧世界施設を開けるのは怖いな」


 サトが言う。


「ですが、開けます」


 ツキハが言った。


「月竹を直せる可能性があります」


 レタラサラは、銘板を見つめていた。


 それから、サトたちを見た。


「これも、巡り合わせなのかもしれませんね」


 白い尾が揺れる。


 黒い尾もまた、外套の奥で静かに揺れた。


「ハクが眠っていた場所が、ツキハ様の舟を直す助けになる。白尾村が守ってきたものが、旅立つ方々の道を開く」


 レタラサラは微笑んだ。


「どうぞ、お使いください」


「いいんですか」


「私たちには、使い方が分かりません」


 レタラサラは小さなハクを見下ろす。


「ハクも、そう望んでおります」


「眠ッテイルモノハ、道具ダ」


 ハクが言った。


「道具ハ、使ワレテ、意味ヲ持ツ」


 サトは、少しだけ笑った。


「それ、俺の好きな考え方です」


     ◇

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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