↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
143/159

第143話 小さな白狼(二)

朝早く。


 レタラサラの社を、誰かが訪れた。


 雪は静かに降っている。


 社の奥で祈りを終えたばかりのレタラサラは、戸口に立つ小さな影を見て、少し目を瞬かせた。


「ツキハ様?」


 ツキハが立っていた。


 白い外套に雪を乗せ、月片を胸元に抱えている。


 いつものように表情は少ない。


 けれど、どこか落ち着かない様子だった。


「朝早くに、どうされたのですか」


 レタラサラが問う。


 ツキハは少しだけ視線を伏せた。


「すこし……村までお越しいただけますか」


「村へ、ですか」


「はい」


「何かありましたか」


 ツキハは答えなかった。


 いや、答えようとして、言葉を選んでいるようだった。


「説明が難しいです」


「難しい?」


「はい」


 ツキハは顔を上げた。


「ですが、来ていただくのが最も適切です」


 レタラサラは、しばらくツキハを見つめた。


 それから、静かに頷いた。


「分かりました」


 白い尾とともに黒い尾が、外套の下でわずかに揺れる。


 レタラサラは社を出た。


 村へ向かうのは、数週間ぶりだった。


 雪道は踏み固められている。


 倒れていた柵は直され、壊れた屋根には新しい板が張られていた。


 炉から煙が上がっている。


 子どもたちの声も聞こえた。


 あの夜、守ったものが、確かに息を吹き返している。


 レタラサラは、その光景を静かに見つめながら歩いた。


 ツキハは隣を歩いている。


 小さな足跡が二つ、雪に並んだ。


「サト様は」


 レタラサラが尋ねる。


「倉庫です」


「ずっと?」


「はい」


「お身体は」


「食事は管理しています」


「睡眠は」


「不足しています」


「それは、いけませんね」


「はい。とても不適切です」


 ツキハは真面目に頷いた。


「ですが、止められませんでした」


「サト様らしいですね」


 レタラサラは、小さく微笑んだ。


 だが、その笑みはすぐに消えた。


 倉庫が見えてきたからだ。


 白尾村の端にある、大きな倉庫。


 この数週間、サトたちが籠もり続けていた場所。


 戸の前には、神威が座っていた。


 腹部の共鳴パネルは修理され、右前脚にも新しい補強具が付いている。


 だが、神威の目はどこかそわそわしていた。


「わぅ」


 神威が鳴く。


 レタラサラを見ると、尾をゆっくり振った。


「神威様」


 レタラサラは頭を下げた。


「ご壮健で、何よりです」


「わぉん」


 神威は、少し得意げに鳴いた。


 その時、倉庫の中から声がした。


「ツキハか?」


「はい」


「連れてきたか?」


「はい」


「……よし」


 扉の向こうで、何かが倒れる音がした。


 続いて、工具が転がる音。


 それからサトの呻き声。


「サト様?」


 レタラサラが不安そうに眉を寄せる。


「通常運転です」


 ツキハが言った。


「通常なのですか」


「はい。ここ数週間は」


 それは通常ではないのでは、とレタラサラは思った。


 だが、言う前に倉庫の扉が少しだけ開いた。


 隙間から、サトの顔が出る。


 目の下には濃い隈。


 髪は跳ね、頬には油汚れ。


 それでも、その目だけは妙に明るかった。


「あー……レタラサラさん」


「はい」


「先に言っておきます」


「はい」


「怒らないでください」


 レタラサラは、静かに首をかしげた。


「私は怒っていません」


「今は、ですよね」


「はい」


「ですよね」


 サトは気まずそうに頬をかいた。


 ツキハが横から言う。


「サト。説明が不適切です」


「分かってる。分かってるけど、どこから説明すればいいか分からないんだよ」


「結果から言うべきです」


「結果から言ったら怒られるかもしれないだろ」


「過程から言っても怒られる可能性があります」


「詰んでるじゃねぇか」


 レタラサラは、ますます不思議そうに二人を見た。


「何があったのですか」


 サトは深く息を吸った。


「ハクさんのエーテルコアは、生きていました」


 レタラサラの表情が止まった。


 雪の音まで遠くなる。


「……今、なんと」


「ハクさんのコアは、完全には死んでいませんでした」


 サトは真剣な声で言った。


「気づいたんです。胸部の奥に、ほんの少しだけ反応が残っていた。だから、救援の人たちと村のみんなで倉庫まで運んで、できる限りの修理をしました」


 レタラサラの手が震える。


「夫は……」


「生きています」


 その言葉に、レタラサラの目が大きく揺れた。


 だが、サトはすぐに続けた。


「ただし」


「ただし?」


「材料が足りませんでした」


 サトは視線を逸らした。


「主脊梁は中央で砕けていました。元の大きさのまま直すには、部品も、時間も、強度も、何もかも足りなかった」


 ツキハが補足する。


「大型機体としての復元は、不可能に近い状態でした」


「では……」


「そこで、サトが考えました」


 ツキハは淡々と言った。


「生存に必要な中枢部を優先し、機体規模を縮小する案です」


 サトが両手を合わせるようにした。


「悪く思わないでください。命あっての物種です」


 レタラサラは、少しだけ瞬きをした。


「機体規模を、縮小?」


「はい」


「えっと…どの程度でしょう」


 サトは答えに詰まった。


「ええと」


「サト」


 ツキハが促す。


「結果から」


「……かなり」


「かなり?」


 倉庫の中から、小さな音がした。


 かしゃん。


 金属の爪が、床を叩くような音。


 レタラサラの耳が、ぴくりと動いた。


 サトは観念したように扉を開けた。


 倉庫の中には、修理台があった。


 その上に、小さな白いものが座っていた。


 銀白の装甲。


 まだ新しい補助フレーム。


 胸元に収められた小型のエーテルコア。


 短い脚。


 丸みのある胴。


 大きすぎる耳。


 そして、青白く光る光学センサー。


 それは、かつて北方境界を守った巨大な機械狼――の、面影を確かに残していた。


 だが、どう見ても。


 子犬だった。


 小さな機械狼の子犬だった。


 レタラサラは、動かなかった。


 ツキハも黙っていた。


 神威はなぜか胸を張っている。


 サトは、気まずそうに言った。


「……ハクさんです」


 小さな白狼が、レタラサラを見た。


 光学センサーが、ゆっくり瞬く。


 そして、かすれた声が出た。


「サラ……?」


 レタラサラの目から、涙がこぼれた。


「ハク」


 小さなハクは、少しだけ首を傾げた。


「ワタシハ……」


 発声器が、まだ安定していない。


「シンダト……オモッテイタ」


「私もです」


 レタラサラは、震える声で答えた。


「私も、そう思っていました」


 ハクは、自分の小さな前脚を見下ろした。


 右。


 左。


 短い尾。


 丸い胴体。


 そして、修理台の高さ。


 しばらく沈黙した。


「……サト」


「はい」


「コレハ」


 サトは目を逸らした。


「えっと。助かってよかったですね」


「コレハ」


「…本当に、これしかなかったんです」


「コレガ……ワタシ」


「はい」


「カナリ」


「はい」


「コイヌ、デハ」


 サトは黙った。


 ツキハが言った。


「形態分類上は、小型狼型機体です」


「ツキハ、ありがとう」


「ただし、印象としては子犬です」


「裏切ったな」


 小さなハクは、ゆっくりレタラサラを見た。


「サラ」


「はい」


「ワタシハ……ミットモナイカ」


 レタラサラは、首を振った。


 涙をこぼしながら。


 それでも、笑っていた。


「いいえ」


 彼女は修理台へ近づいた。


 両手で、小さなハクをそっと抱き上げる。


 ハクの身体は軽かった。


 あの巨大な銀狼だった頃とは、比べものにならない。


 だが、胸の奥には確かに温かなエーテルコアの鼓動があった。


「あなたは、ハクです」


 レタラサラは、小さな白狼を胸に抱きしめた。


「私の夫です」


 ハクの光学センサーが揺れた。


「サラ」


「はい」


「マタアエテ、ウレシイ」


 レタラサラは、声を殺して泣いた。


「おかえりな…さいっ」


「タダイマ…サラ」


 倉庫の中で、誰も言葉を発しなかった。


 サトは目元をこすり、ツキハは静かに視線を伏せる。


 神威は、そっと伏せた。


 小さなハクは、レタラサラの腕の中で、ぎこちなく頭を預ける。


 外では、白尾村の炉の煙が、朝の空へまっすぐ昇っていた。


 守られてきた村は、今日も生きている。


 そして、守ってきた銀狼もまた。


 小さくなって。


 もう一度、帰ってきた。

ハクと神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


ハクと神威もたぶん尻尾を振ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。