第139話 月の罠(二)
その時だった。
ガグォン。
大きな金属を、無理やり擦り合わせたような音が鳴った。
ガグォン。
雪煙の向こうからだ。
音は、近づいてきている。
レラの笑みが引きつった。
「ヒュウ。あれ食らって、まだ生きてんのか」
雪煙が、だんだんと晴れていく。
そこに、角級がいた。
背部装甲は砕けている。
片脚は潰れ、胸部の外装も剥がれていた。
だが、動いている。
黒い侵食が、損傷部を埋めていた。
壊れた金属の隙間に闇が流れ込み、無理やり形を保たせている。
「外装破砕。脚部損傷」
ツキハが角級を見つめる。
「ですが、侵食反応が損傷部を補填しています」
「だいぶ弱ってるようですが」
サトはレタラサラを見た。
「どうですか、レタラサラさん」
レタラサラは角級を見つめたまま、静かに首を振った。
「まだです」
「完全に止まるほどでなければ」
レタラサラの声は穏やかだった。
けれど、その奥には焦りがあった。
サトは舌打ちを飲み込んだ。
「つまり、まだ削れってことか」
「はい」
ノチウが前へ出た。
エーテルブラスターを構える。
その瞳が、角級の剥がれた外装を捉えた。
「私がやる。外装の割れ目。三秒後に開く」
レラが横目で見る。
「見えるのか?」
「見える」
ノチウは短く答えた。
「撃つ」
雷撃弾。
一発目が、露出した内装へ突き刺さる。
黒い侵食が一瞬だけ弾けた。
続けて爆破弾。
雪煙が再び上がる。
氷結弾。
傷口の周囲が白く凍る。
徹甲弾。
硬い音が響き、露出した内部装甲に火花が散った。
ノチウの射撃は正確だった。
小型のエーテルブラスターとはいえ、決して弱い武器ではない。
しかも、ただ撃っているのではない。
角級の動き、外装の揺れ、侵食の薄い箇所を読み、最も通る瞬間を狙っている。
だが。
「……ダメ」
ノチウが小さく呟いた。
「硬い。それに、相性が悪すぎる」
角級は近接型。
その硬さは外装だけではなかった。
内装の金属にまで、守護機としての強靭さが残っている。
ただの機械なら、もっとダメージを与えられたかもしれない。
だが、金属に絡みついた黒い侵食が、衝撃を吸い、熱を逃がし、凍結を内側から塗り潰していく。
数百メートル上空からの落石に相当する攻撃でなければ、もはや大きな傷を与えることすら難しかった。
角級が進む。
ガグォン。
ガグォン。
壊れた脚を引きずりながら、それでも近づいてくる。
距離は、もう数十メートル。
サトは周囲を見た。
平原。
空。
神威。
レラ。
ノチウ。
ツキハ。
レタラサラ。
全員、消耗している。
撤退するなら今しかない。
そう判断しかけた、その時だった。
「待て」
レラが前に出た。
大剣を肩に担ぐ。
その手は震えている。
恐怖ではない。
坑道の中で爪級と戦い、すでに限界が近いのだ。
カートリッジは二発使用済み。
残り一発。
それでも、レラは笑っていた。
「ずいぶんボロボロになっちまって」
レラは大剣を構える。
「お家に帰らなくていいのかい」
角級が顔を上げる。
黒い眼窩が、レラを捉えた。
「くらいなっ!」
レラが踏み込んだ。
雪が爆ぜる。
大剣が、外部装甲の剥がれた箇所へ向けて振り下ろされる。
甲高い金属音が響いた。
刃が内部装甲に食い込む。
同時に、柄のカートリッジが鳴った。
最後の一発。
爆発が、刃の内側から角級へ叩き込まれた。
黒いしぶきが飛ぶ。
金属片が雪の上に散る。
角級の胸部が、大きく裂けた。
レラの腕が跳ね上がる。
「ぐぅぅっ……!」
衝撃で肩が外れかける。
足が滑る。
それでも、レラは大剣を離さなかった。
「くそっ」
ようやく、内部装甲の奥が露出した。
だが、決定打には至らない。
角級は、まだ倒れなかった。
次の瞬間、角級の尾が大きく膨れた。
いや、膨れたのではない。
侵食された装甲片と雪中の石を、尾の内部で無理やり圧縮している。
黒い瘤のようなものが、尾の先に生まれる。
レラの顔色が変わった。
「なっ」
黒い礫が、弾け飛んだ。
人の頭ほどではない。
岩ほどの大きさ。
それが、いくつも。
近距離型だと思っていた相手が、苦し紛れに自分の破片を飛び道具に変えたのだ。
「レラッ!?」
ノチウの声が飛ぶ。
だが、レラは動けない。
最後の一撃の反動で、腕が痺れている。
大剣も上がらない。
黒い礫が、レラへ迫る。
その直前。
白い影が飛び込んだ。
神威だった。
「わぉん!」
神威はレラの外套を噛み、力任せに横へ引いた。
同時に、胸の紋章が光る。
白い光が丸く広がり、古い銅鏡のような盾が現れた。
黒い礫が、銅鏡にぶつかる。
ガッ。
ガッ。
ガッ。
重い衝撃が連続する。
礫は完全には止まらない。
だが、軌道が逸れる。
レラのすぐ横を、黒い塊が通り過ぎ、雪原へ突き刺さった。
爆ぜた雪が、レラの頬を打つ。
「神威……!」
レラが息を呑む。
最後の礫が、銅鏡を強く叩いた。
パキリ。
鏡に、細い亀裂が入った。
神威の身体が、わずかに沈む。
右前脚が軋んだ。
「神威!」
サトが叫ぶ。
「レラ、神威! 体勢を立て直せ!」
サトはピッケルを構えたまま叫ぶ。
「一旦引くぞ!」
ツキハが月片を握りしめる。
ノチウがレラへ駆け寄る。
レタラサラが、小狐を抱き寄せる。
角級は、なお前へ出ようとしていた。
壊れた脚。
裂けた胸。
砕けた背。
それでも、黒い侵食が蠢き、無理やりその巨体を立たせている。
もう、手札はほとんど残っていない。
その時だった。
背後から、大きな気配が近づいてきた。
雪を踏む音ではない。
大地に、重いものが立つ音だった。
レタラサラの顔色が変わる。
「いけません……なぜ、来たのですか」
サトたちが振り返る。
そこには、村で眠っているはずのハクがいた。
銀白の装甲は、まだ裂けている。
主脊梁を支える補助具は軋み、歩くたびに小さな火花が散った。
それでも、ハクは立っていた。
崩れかけた身体で。
それでもなお、北を向いて。
「ヤツト……」
ハクの光学センサーが、黒い角級を捉える。
「ケッチャクヲ、ツケル」
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




