↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
137/159

第137話 自然の罠(二)

山が、息を止めた。


 そう見えた。


 白い斜面が、一瞬だけ静まり返る。


 風の音が消える。


 侵食獣の足音さえ、遠くなる。


 次の瞬間、山が沈んだ。


 最初に動いたのは、表面の雪ではない。


 その下に積み重なっていた、重く締まった層だった。


 ひび割れが走る。


 雪の板がずれる。


 白い斜面全体が、ゆっくりと前へ滑り出す。


 そして、世界が崩れた。


 轟音。


 それは雪の音ではなかった。


 山が壊れる音だった。


 白い壁が、角級と爪級へ向かって押し寄せる。


 とてつもない重量の雪。


 水でも、土でもない。


 白い重力そのものだった。


 角級が顔を上げる。


 咆哮する。


 だが、その声は雪崩の轟きに呑まれた。


 白い波が、黒い獣たちを飲み込む。


 爪級の杭が、何本も雪の壁へ撃ち込まれた。


 しかし、止まらない。


 雪は杭ごと押し潰す。


 黒い霧が白に混ざる。


 それすらも、さらに上から降る雪が覆い隠した。


 地面が揺れた。


 サトは膝をつきかけ、ピッケルを雪に突き立てる。


 ツキハが月片を抱えるようにして姿勢を保つ。


 レタラサラの羽衣が、雪煙の中で大きく揺れた。


「……成功、したのか」


 サトは呟いた。


 目の前には、雪崩の跡が広がっている。


 黒い影は見えない。


 角級も、爪級も、白い雪の下に消えていた。


 だが、ツキハは月片から目を離さなかった。


「反応、確認中」


 その声は硬い。


 サトは分かっていた。


 これで終わるなら、苦労はしない。


 雪の下で、何かが動いた。


 低い音。


 雪を内側から押し上げる音。


 次の瞬間、黒い爪が雪面を突き破った。


「出てきます!」


 ツキハが叫ぶ。


 雪が割れる。


 角級が、白い雪の中から身体を引きずり出した。


 さすがに無傷ではない。


 黒い装甲は裂けている。


 爛れた銀の胴体に、深い傷が走っている。


 脚の一本は、わずかに歪んでいた。


 雪崩は効いた。


 確かに効いた。


 だが、まだ止まらない。


 角級の隣で、爪級も雪を掻き分けて這い出ようとしていた。


  その時、レタラサラが前へ出た。


「これ以上は、進ませません」


 白い外套の裾が、風もないのにふわりと浮かび上がった。


 白い髪が広がる。


 雪明かりを受けた一本一本が、淡い光へとほどけていく。


 人の輪郭が揺らいだ。


 小さくなるのではない。


 むしろ、雪原を覆うように大きく広がっていく。


 腕が白い前脚へ。


 外套が、雪よりも白い毛並みへ。


 長い髪は首筋を覆う豊かな毛へと変わり、細い身体は、しなやかで力強い獣の姿を形作っていく。


 次の瞬間。


 そこに少女の姿はなかった。


 雪原に立っていたのは、一頭の巨大な白狐だった。


 大きさは、ハクにも劣らない。


 雪の中から生まれたような白い毛並み。


 細く伸びた鼻先。


 雪山の静けさと、野生の気高さを宿した金色の瞳。


 その背後で、二本の尾がゆっくりと持ち上がった。


 二尾。


 本来あるはずの、三本目はない。


 最後の小狐は、まだ雪山から戻ってきていなかった。


 完全ではない。


 それでも、その姿は息を呑むほど美しかった。


 欠けているからこそ、どこか儚く。


 それでいて、雪原に立つ何者よりも神々しい。


 サトは、その瞬間、息をするのを忘れた。


 空気が変わった。


 寒くなったのではない。


 静かになった。


 雪も。


 風も。


 山も。


 すべてが、白尾の御前の声を待っているようだった。


 巨大な白狐が、角級を見据える。


「凍てなさい」


 少女のものと変わらない静かな声が、雪原に響いた。


 角級の足元から、白い霜が走る。


 雪が凍る。


 黒く汚れた雪さえ、白い氷に閉じ込められていく。


 角級の脚が止まった。


 爪が地面を掻く。


 だが、動けない。


 白い氷が装甲の隙間に入り込み、侵食された肉とも機械ともつかない部分を縛っていく。


 同じ頃、遠く白尾村の修理小屋で、ハクの主脊梁を支える補助具が軋んだ。


 サトが施した応急処置が、かろうじて崩壊を押しとどめる。


 白狐の前脚が、わずかに震えた。


 背後に広がる二本の尾も、風に煽られたように揺れる。


 それでも、レタラサラは術を止めなかった。


 角級が咆哮する。


 黒い霧が噴き出す。


 氷が内側から軋む。


「まだです」


 レタラサラが、静かに言った。


 巨大な白狐の背後に、氷柱が浮かび上がった。


 一本。


 二本。


 三本。


 砲弾よりも大きい。


 人の作った槍ではない。


 精霊が山から抜き出した、白い裁きのようだった。


 それは単なる術ではなく、伝承だった。


 白尾村の者たちが何百年も語り継いできた御前様の力が、今、目の前に形を持って現れていた。


 レタラサラが前脚を上げる。


 鋭い爪の先に、雪原の光が集まった。


 山も、雪も、風も。


 すべてが、その動きに従った。


「穿ちなさい」


 前脚が振り下ろされた。


 氷柱が放たれる。


 音を置き去りにするような速度だった。


 白い光が走る。


 直後、金属を砕くような轟音。


 一本目が、角級の肩を貫いた。


 二本目が、胴体の黒い装甲を砕いた。


 三本目が、爛れた銀の胸部に深く突き刺さる。


 角級が、初めて大きく崩れた。


 雪原が揺れる。


 黒い霧が噴き上がる。


 爪級が巻き込まれ、雪の上に叩きつけられた。


 白狐の身体が、大きく揺れた。


 雪よりも白かった毛並みが、輪郭から淡い光へとほどけていく。


 二本の尾が崩れ、無数の白い光となって舞い上がった。


 巨大な身体が縮んでいく。


 四本の脚が、人の手足へ。


 白い毛並みが、髪と外套へ。


 雪煙が晴れた時、そこには再び、白い髪の少女が立っていた。


 レタラサラは一歩よろめいた。


 それでも倒れず、静かに角級を見つめている。


「やったか」


 サトは言いかけて、すぐに飲み込んだ。


 言ってはいけない気がした。


 案の定、角級はまだ動いていた。


 相当なダメージを与えたようにみえる。


 氷柱に貫かれたまま、ゆっくりと首を動かす。


 その視線が、隣に倒れた爪級へ向いた。


「なにを……?」


 サトが眉をひそめる。


 次の瞬間、角級が爪級に牙を立てた。


 噛み砕く。


 黒い装甲が裂ける。


 侵食されたエーテルが噴き出し、角級の口元へ吸い込まれていく。


 ツキハの月片が、激しく揺れた。


「っ…爪級の反応が低下」


「アイツ、爪級を喰って…」


 ツキハの声が、珍しく強張った。


「爪級の反応が角級へ移っています」


「移ってる?」


「吸収されています」


 サトは、坑道の底で沈黙した一体を思い出した。


 あの時も、角級に損傷はほとんど見られなかった。


 落下と崩落を受けたはずなのに、元気すぎた。


 そういうことか。


 傷を受けていなかったのではない。


 受けた傷を、随伴個体を喰って埋めていた。


「くそ!」


 サトは歯を食いしばった。


「そういうことかよ!」


 角級の黒が、さらに濃くなる。


 氷柱に貫かれた傷口が、黒い侵食で埋まっていく。


 白い氷が、内側から黒く染まり始めた。


 レタラサラが、わずかに息を呑む。


「これでも、止まりませんか」


 その声には、ほんの少しだけ、悲しみが混じっていた。


 角級が、凍結を砕こうと身を捩る。


 バキン。


 氷に亀裂が入った。


 爪級の反応が沈黙した。


 角級の反応は、逆に強くなっていく。


「まずい」


 サトは周囲を見た。


 山間部。


 雪崩の跡。


 逃げ場は少ない。


 接近されれば終わる。


 レタラサラは今の一撃で力を大きく削った。


 ツキハも月片を握りしめたまま、次の手を探している。


 神威は離脱中。


 レラとノチウは坑道内で爪級と交戦している。


 ここで粘るのは危険すぎた。


 サトはピッケルを雪から引き抜いた。


「一旦、平原まで引くぞ!」


 ツキハが頷く。


「了解しました」


 レタラサラは、凍りついた角級を見つめていた。


 その氷の内側で、黒いものが蠢いている。


「レタラサラさん!」


 サトが叫ぶ。


 レタラサラは一度だけ目を伏せた。


 そして、頷いた。


「参りましょう」


 その時。


 遠く、雪山の上から白い影が駆け下りてきた。


 雪煙を上げ、小さな身体が斜面を飛ぶように進んでくる。


 最後の小狐だった。


 尾の先が、ほんの少し黒く汚れている。


 足取りも、いつものような軽やかさはない。


 それでも小狐は、一度も立ち止まらなかった。


「コン……」


 弱々しい声が、雪原に響く。


 レタラサラが振り返った。


 その顔から、張り詰めていたものがわずかにほどける。


「よく戻りました」


 小狐は最後の力を振り絞るように雪を蹴った。


 レタラサラの胸元へ飛び込む。


 白い腕が、その小さな身体を受け止めた。


 小狐はレタラサラを見上げ、もう一度だけ鳴いた。


「コン」


 小さな身体が、白い光に包まれる。


 光は雪の粒のようにほどけ、レタラサラの胸元へ吸い込まれていった。


 その背後に、三本目の白い尾が現れる。


 戻った尾の先には、小狐の身体に残っていた黒い汚れが、かすかに滲んでいた。


 その背後で、黒く染まった氷に、また一つ亀裂が走った。


 角級は、まだ止まっていない。


 サトたちは雪原を走り出した。


 平原へ。


 次の一手へ。


 白い山の罠は、確かに角級を傷つけた。


 だが、鎮めるにはまだ足りない。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。