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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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136/159

第136話 自然の罠(一)

北の雪原に、重い咆哮が響いた。


 坑道の罠を突破した角級が、穴の縁に立っている。


 黒い雪を滴らせ、爛れた銀の装甲を軋ませながら、ゆっくりと顔を上げる。


 その背後から這い上がってきたのは、爪級が一体。


 残る反応のうち、一体は横坑道へ流れ、レラとノチウの方へ。


 もう一体は、沈黙。


 そして角級は、目立った損傷もなくそこに立っていた。


「……おかしい」


 サトは、思わず呟いた。


 あの高さから落ちた。


 坑道の天井を崩し、雪と土と氷をまとめて叩き落とした。


 無傷で済むはずがない。


 いくら角級でも、何かしらの損傷が残るはずだった。


「ツキハ」


「はい」


「沈黙した一体の反応は?」


 ツキハは月片を見つめる。


 月片の光が、風に揺れる雪の中で淡く瞬いた。


「完全に消えています。ですが……」


「ですが?」


「消え方が不自然です。落下から数十秒後に反応が消えました。」


 ツキハの声が、わずかに硬くなる。


「角級の反応値が、落下直後より上昇しています」


「……なんだ、それ」


 サトは角級を見た。


 黒い侵食が、爛れた装甲の隙間で脈打っている。


「まさか」


 サトは歯を食いしばった。


「いや、考えるのは後だ」


 角級が一歩を踏み出す。


 雪が黒く染まる。


 その隣で、軽傷の爪級が背中の杭を震わせた。


 坑道の罠で落とした。


 一体は分断した。


 一体は沈黙した。


 それでも、まだ二体が進んでくる。


 しかも、親玉はほとんど止まっていない。


「第二プランに移る」


 サトはピッケルを握り直した。


「ツキハ、斜面は」


「予定通りです。ただし、角級の速度が先ほどより上がりました」


「つまり?」


「余裕はありません」


「いつも通りだな」


「その表現は不適切です」


「分かってる」


 サトはレタラサラを見た。


 白尾の御前は、北の斜面を見つめていた。


 その表情は静かだ。


 だが、指先には細い震えがある。


 彼女の力の大半は、今も白尾村の修理小屋にいるハクへ向けられている。


 ハクの主脊梁は、サトが施した応急処置と補助具でかろうじて保っていた。


 レタラサラの精霊糸を細くしても、少しの間なら耐えられる。


 そういう処置だった。


 だが、それは少しの間だけだ。


 長くはない。


 安全でもない。


「レタラサラさん」


「はい」


「本当に大丈夫ですか」


「夫のことは今も心配です。本当は傍にいたい。」


 レタラサラは、静かに答えた。


「ですが、必要です」


 そう言って、彼女は北の斜面を見ていた。


 ツキハの肩にいた子狐はいつのまにか消えていた。

 


     ◇


 雪崩の起点は、前日にツキハとノチウが計算した。


 斜面の角度。


 雪の層。


 風向き。


 古い樹々の根の張り方。


 雪の下に隠れた岩。


 どこを崩せば、雪は北の窪地へ流れるか。


 どこを崩してはいけないか。


 どこまでなら、村へ流れないか。


 ツキハの計算。


 ノチウの観測。


 そして、レタラサラが読んだ雪の気配。


 その三つが、同じ斜面を示していた。


 だから、事前に村人たちと協力してそこへ小さな爆薬を運んだ。


 角級と爪級が、雪崩の予定地点へ近づいていく。


 サトは息を整える。


 ピッケルを斜面へ向けた。


「山を怒らせるぞ」


「表現が不適切です」


 ツキハが言う。


「雪層の安定状態を、意図的に破壊します」


「そっちの方が怖いわ」


 サトは苦笑した。


 けれど、顔はすぐに引き締まる。


「いくぞ」


 ピッケルの柄に親指を押し込む。


 信号が飛んだ。


 雪山の斜面で、小さな爆発が起こった。


 ひとつ。


 ふたつ。


 みっつ。


 白い斜面の上に、点々と黒い傷が走る。


 雪の下で、何かがひび割れるような音がした。


 ツキハが月片を見つめる。


「連鎖、開始」


 もう一つ爆発。


 さらに一つ。


 斜面の雪が、わずかに沈む。


「よし」


 サトは息を呑んだ。


 だが、その次が来なかった。


 最後の爆薬が起動しない。


 白い斜面は、崩れかけたまま止まっている。


 ツキハの目が見開かれた。


「最終連鎖、停止」


「なんでだ!」


「信号が届いていません」


 サトの背筋が冷たくなる。


「断線!?」


 即席の爆薬。


 屋外。


 雪。


 寒さ。


 村の資材をかき集めて作った装置。


 すべてが完璧な素材でないのは分かっていた。


 それでも、この最後の一つだけは、起動しなければならなかった。


 あそこが崩れなければ、雪崩は起きない。


 角級は止まらない。


「くそっ!」


 サトはもう一度信号を送った。


 だが、ツキハが首を振る。


「導線が切れています。再送では起動しません」


 角級が進む。


 黒い爪が雪を砕く。


 軽傷の爪級が、その横で杭を揺らしている。


 間に合わない。


 サトの手に汗が滲んだ。


 その時だった。


「大丈夫です」


 レタラサラが言った。


 その声は、少しも乱れていなかった。


 彼女は目を閉じる。


 白い睫毛に、雪の光が乗る。


「まだ、火は残っています」


     ◇


 雪山の上。


 風の通り道に、小狐が立っていた。


 小さな体を、雪風が叩く。


 それでも小狐は動かない。


 白い尾が、ふわりと広がる。


 雪の下には、起動しなかった最後の爆薬が眠っている。


 導線は切れていた。


 サトの信号は届かない。


 けれど、火なら届く。


 小狐は、空を見上げた。


 それから、山の下を見た。


 黒い獣が、雪を汚しながら進んでいる。


 小狐は、小さく鳴いた。


「コンッ」


 青白い狐火が、尾の先に灯る。


 それは、炉の火ではない。


 爆薬の火でもない。


 雪の精霊が見せる、冷たい炎だった。


 狐火が、雪の中へ落ちる。


 一拍。


 遅れて。


 最後の爆薬が起動した。


     ◇

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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