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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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130/159

第130話 白尾村、大騒ぎ(二)

翌朝。


 白尾村の観測院で、エカシは茶をすすっていた。


 雪は朝から静かに降っている。


 炉の火は穏やかで、薬草の匂いと古紙の匂いが混ざっていた。


 ようやく、少し落ち着いた朝だった。


 そう思った瞬間、入口の戸が勢いよく開いた。


「村長! てぇへんだ!」


「ぶっ――」


 エカシは盛大に茶を吹いた。


「な、なんじゃなんじゃ! 朝から騒々しい!」


「いいから来てくれ! 村の入口だ!」


「入口?」


「ツキハさんとサトさんが、とんでもねぇ方を連れてきた!」


 エカシは眉をひそめた。


「とんでもない方?」


「ええから来てくれ! 見りゃ分かる!」


 ただごとではない。


 そう判断し、エカシは慌てて外套を羽織った。


 観測院を出ると、村の入口の方が妙に騒がしい。人の声。子どもの声。誰かが何かを叫び、別の誰かが手を合わせている。


 エカシは足を速めた。


 入口に近づくにつれて、人の数は増えていった。


 老人もいる。


 職人もいる。


 子どももいる。


 村人全員が集まっているのではないかと思うほどだった。


「何事じゃ。道を開けんか」


 エカシが人混みをかき分けて前へ出る。


 そして、言葉を失った。


 そこには、だいぶ足取りの良くなったサトがいた。


 その隣に、少し困った顔のツキハ。


 さらに、人が多いのが楽しいのか、尻尾をぶんぶん振っている神威。


 そこまではいい。


 問題は、その後ろだった。


 雪の結晶をやさしくまとった羽衣。


 白い髪。


 静かな眼差し。


 そして、ゆるやかに揺れる三本の尾。


 誰が見てもただの旅人には見えない。

 

 いや、この村に住む者なら一目で検討がつく。


 白尾の御前。


 その方が、村の入口に立っていた。


 さらにその傍らには、神威よりもなお大きな銀狼が横たえられていた。


 傷だらけだった。


 だが、間違いようがない。


 村に伝わる銀狼様。


 北の境界を守るもの。


 白尾の御前と共に、何度もこの村を救ってきたと語り継がれる存在だった。


「村長」


 サトが口を開いた。


「相談がありまして」


 だが、その声はエカシの耳に入ってこなかった。


 エカシは、ただ目の前の光景を見つめていた。


「これは……いったい……」


 膝が折れそうになった。


 だが、村長として倒れるわけにはいかない。


 エカシは杖を握りしめ、どうにか踏みとどまった。


 レタラサラが一歩前に出る。


 周囲の村人が息を呑んだ。


「村長様」


 その声は、雪のように静かだった。


「長らくこの村を見守って参りましたが、直接お話しするのは初めてですね。私はレタラサラと申します」


 誰かが小さく泣いた。


 誰かが手を合わせた。


 子どもが母親の袖を握りしめた。


 レタラサラは、深く頭を下げた。


「夫のハク――この村でいうところの銀狼の傷を癒すため、サトに修理を依頼いたしました。どうか、夫の傷が癒えるまで、私と夫を村に置いていただけないでしょうか」


 そこで、彼女は少し考えるようにしてから続けた。


「納屋でかまいません」


 その場にいた村人全員が、同じことを思った。


 納屋はないだろう。


 エカシも思った。


 納屋はない。


 絶対にない。


「い、委細、承知いたしました」


 最初の声は、少し震えていた。


 だが、言葉を重ねるうちに、エカシの声は少しずつ落ち着いていった。


「これまでこの村は、幾度となく白尾の御前様と銀狼様に守っていただきました。私の親も、その親も、またその親も、感謝し奉って参りました」


 エカシは深く頭を下げた。


「どうか、ごゆるりとお過ごしください。お手伝いできることがありましたら、何なりとお申し付けください」


「ありがとうございます」


 レタラサラは、やわらかく微笑んだ。


 その瞬間、村の空気が一気に動いた。


 誰かが走り出す。


 誰かが観測院へ知らせに行く。


 誰かが一番大きな小屋を空けろと叫ぶ。


 誰かが布を持ってくる。


 誰かが工具を取りに走る。


 村は、たちまち大騒ぎになった。


     ◇


 レタラサラは、観測院に滞在することになった。


 本人は最後まで固辞した。


「納屋で問題ありません」


「問題があります」


 サトが即答した。


「外でも構いません」


「不適切すぎます」


 ツキハも即答した。


 最終的には、ハクを運び込んだ小屋に近いこと、そして観測院が村でもっとも頑丈な建物であることを理由に、レタラサラは折れた。


 とはいえ、折れたというより、周囲の熱気に押し切られたと言った方が正しい。


 観測院へ移動するだけで、行列ができた。


 膝をついて涙を流す老人がいた。


 小さく祝詞のようなものを唱える者がいた。


 遠巻きに見ていた子どもたちは、神威が尻尾を振ると少しだけ笑った。


 ハクは、観測院に併設された村で最も大きな小屋へ運び込まれた。


 普段は大型の橇や除雪具を置くための場所だったが、その日のうちに中身はすべて外へ出された。


 床には厚い板が敷かれ、炉が増やされ、壁際には村中から集められた工具と部品が並んだ。


 修理台というには粗末だった。


 だが、白尾村で用意できる最大限だった。


 サトはその中央に立ち、腕を組んだ。


「……すごいな」


 思わずそう漏らした。


 村人たちは、誰に命じられたわけでもなく動いていた。


 古い部品を持ってくる者。


 金属板を運ぶ者。


 薪を積む者。


 雪を除ける者。


 炉の火を見張る者。


 直接ハクを修理できる者はいない。


 それでも、何かできないかと皆が考えていた。


「役に立ちたいんだと思います」


 ツキハが言った。


「レタラサラが、この村にしてきたことへの返礼です」


「……そうだな」


 サトは小さく頷いた。


 数百年。


 その長さを、サトは実感として想像できない。


 けれど、この光景なら分かる。


 白尾の御前が積み重ねてきたもの。


 銀狼が守ってきたもの。


 それが今、村の人々の手になって返ってきている。


「さて」


 サトは袖をまくった。


「こっちも、恥ずかしい仕事はできないな」


「はい」


 ツキハが月片を起動した。


「ハクの損傷一覧を再整理します。優先順位は、歩行保持、エーテル流体循環、主脊梁の順でよろしいですか」


「主脊梁が最重要だが、今すぐ手を出すには材料が足りない。先に脚と循環系を安定させる」


「了解しました。雪幌都への発注文を作成します」


「頼む。加工できそうな部品は村の職人にも回してくれ。無理なものは無理でいい。精度が要る部品は雪幌都待ちだ」


「はい」


 ツキハはすぐに動いた。


 サトが主な修理を担当し、ツキハが必要資材の整理と発注、加工指示を担当する。


 神威は、最初こそ修理小屋で工具を運んでいたが、すぐに村中を走り回ることになった。


 薪運び。


 雪かき。


 子どもの相手。


 落とした荷物の回収。


 時には、老人の家の屋根から雪を落とす手伝いまでしていた。


 どこへ行っても、神威は歓迎された。


「神威様、こっちもお願いできるかい!」


「わぉん!」


「神威様、あんまり子どもを乗せすぎると危ないですよ!」


「わふっ」


 本人はかなり楽しそうだった。


 背中の芽が、褒められるたびにぴょこぴょこと揺れ、時々ぼんやり光った。


「……あれはあれで、村に貢献しています」


 ツキハが言った。


「そうだな」


 サトは苦笑した。


「たぶん、俺より人気がある」


「はい」


「即答か」


 レラとノチウも協力した。


 二人は修理小屋に横たわるハクを見た瞬間、しばらく黙っていた。


 先に口を開いたのはレラだった。


「こりゃ……ちょっと勝てる気がしないな」


「ん」


 ノチウも真顔で頷いた。


「これだけ傷ついているのに、まだ闘気をまとってる。大きい。硬い。たぶん速い」


「おまけに、噛まれたら終わりだな」


「踏まれても終わり」


「尻尾でも終わりそうだ」


「ん。全身、終わり」


「物騒な感想しか出ないのか、お前らは」


 サトが言うと、レラはにっと笑った。


「強いやつを見ると、どう倒すか考えるのが戦士ってもんだろ」


「倒すな。患者だ」


「分かってるって」


 レラは肩をすくめた。

ちょっと納屋に泊まってみたかったレタラサラ(´・ω・`)

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