第130話 白尾村、大騒ぎ(二)
翌朝。
白尾村の観測院で、エカシは茶をすすっていた。
雪は朝から静かに降っている。
炉の火は穏やかで、薬草の匂いと古紙の匂いが混ざっていた。
ようやく、少し落ち着いた朝だった。
そう思った瞬間、入口の戸が勢いよく開いた。
「村長! てぇへんだ!」
「ぶっ――」
エカシは盛大に茶を吹いた。
「な、なんじゃなんじゃ! 朝から騒々しい!」
「いいから来てくれ! 村の入口だ!」
「入口?」
「ツキハさんとサトさんが、とんでもねぇ方を連れてきた!」
エカシは眉をひそめた。
「とんでもない方?」
「ええから来てくれ! 見りゃ分かる!」
ただごとではない。
そう判断し、エカシは慌てて外套を羽織った。
観測院を出ると、村の入口の方が妙に騒がしい。人の声。子どもの声。誰かが何かを叫び、別の誰かが手を合わせている。
エカシは足を速めた。
入口に近づくにつれて、人の数は増えていった。
老人もいる。
職人もいる。
子どももいる。
村人全員が集まっているのではないかと思うほどだった。
「何事じゃ。道を開けんか」
エカシが人混みをかき分けて前へ出る。
そして、言葉を失った。
そこには、だいぶ足取りの良くなったサトがいた。
その隣に、少し困った顔のツキハ。
さらに、人が多いのが楽しいのか、尻尾をぶんぶん振っている神威。
そこまではいい。
問題は、その後ろだった。
雪の結晶をやさしくまとった羽衣。
白い髪。
静かな眼差し。
そして、ゆるやかに揺れる三本の尾。
誰が見てもただの旅人には見えない。
いや、この村に住む者なら一目で検討がつく。
白尾の御前。
その方が、村の入口に立っていた。
さらにその傍らには、神威よりもなお大きな銀狼が横たえられていた。
傷だらけだった。
だが、間違いようがない。
村に伝わる銀狼様。
北の境界を守るもの。
白尾の御前と共に、何度もこの村を救ってきたと語り継がれる存在だった。
「村長」
サトが口を開いた。
「相談がありまして」
だが、その声はエカシの耳に入ってこなかった。
エカシは、ただ目の前の光景を見つめていた。
「これは……いったい……」
膝が折れそうになった。
だが、村長として倒れるわけにはいかない。
エカシは杖を握りしめ、どうにか踏みとどまった。
レタラサラが一歩前に出る。
周囲の村人が息を呑んだ。
「村長様」
その声は、雪のように静かだった。
「長らくこの村を見守って参りましたが、直接お話しするのは初めてですね。私はレタラサラと申します」
誰かが小さく泣いた。
誰かが手を合わせた。
子どもが母親の袖を握りしめた。
レタラサラは、深く頭を下げた。
「夫のハク――この村でいうところの銀狼の傷を癒すため、サトに修理を依頼いたしました。どうか、夫の傷が癒えるまで、私と夫を村に置いていただけないでしょうか」
そこで、彼女は少し考えるようにしてから続けた。
「納屋でかまいません」
その場にいた村人全員が、同じことを思った。
納屋はないだろう。
エカシも思った。
納屋はない。
絶対にない。
「い、委細、承知いたしました」
最初の声は、少し震えていた。
だが、言葉を重ねるうちに、エカシの声は少しずつ落ち着いていった。
「これまでこの村は、幾度となく白尾の御前様と銀狼様に守っていただきました。私の親も、その親も、またその親も、感謝し奉って参りました」
エカシは深く頭を下げた。
「どうか、ごゆるりとお過ごしください。お手伝いできることがありましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
レタラサラは、やわらかく微笑んだ。
その瞬間、村の空気が一気に動いた。
誰かが走り出す。
誰かが観測院へ知らせに行く。
誰かが一番大きな小屋を空けろと叫ぶ。
誰かが布を持ってくる。
誰かが工具を取りに走る。
村は、たちまち大騒ぎになった。
◇
レタラサラは、観測院に滞在することになった。
本人は最後まで固辞した。
「納屋で問題ありません」
「問題があります」
サトが即答した。
「外でも構いません」
「不適切すぎます」
ツキハも即答した。
最終的には、ハクを運び込んだ小屋に近いこと、そして観測院が村でもっとも頑丈な建物であることを理由に、レタラサラは折れた。
とはいえ、折れたというより、周囲の熱気に押し切られたと言った方が正しい。
観測院へ移動するだけで、行列ができた。
膝をついて涙を流す老人がいた。
小さく祝詞のようなものを唱える者がいた。
遠巻きに見ていた子どもたちは、神威が尻尾を振ると少しだけ笑った。
ハクは、観測院に併設された村で最も大きな小屋へ運び込まれた。
普段は大型の橇や除雪具を置くための場所だったが、その日のうちに中身はすべて外へ出された。
床には厚い板が敷かれ、炉が増やされ、壁際には村中から集められた工具と部品が並んだ。
修理台というには粗末だった。
だが、白尾村で用意できる最大限だった。
サトはその中央に立ち、腕を組んだ。
「……すごいな」
思わずそう漏らした。
村人たちは、誰に命じられたわけでもなく動いていた。
古い部品を持ってくる者。
金属板を運ぶ者。
薪を積む者。
雪を除ける者。
炉の火を見張る者。
直接ハクを修理できる者はいない。
それでも、何かできないかと皆が考えていた。
「役に立ちたいんだと思います」
ツキハが言った。
「レタラサラが、この村にしてきたことへの返礼です」
「……そうだな」
サトは小さく頷いた。
数百年。
その長さを、サトは実感として想像できない。
けれど、この光景なら分かる。
白尾の御前が積み重ねてきたもの。
銀狼が守ってきたもの。
それが今、村の人々の手になって返ってきている。
「さて」
サトは袖をまくった。
「こっちも、恥ずかしい仕事はできないな」
「はい」
ツキハが月片を起動した。
「ハクの損傷一覧を再整理します。優先順位は、歩行保持、エーテル流体循環、主脊梁の順でよろしいですか」
「主脊梁が最重要だが、今すぐ手を出すには材料が足りない。先に脚と循環系を安定させる」
「了解しました。雪幌都への発注文を作成します」
「頼む。加工できそうな部品は村の職人にも回してくれ。無理なものは無理でいい。精度が要る部品は雪幌都待ちだ」
「はい」
ツキハはすぐに動いた。
サトが主な修理を担当し、ツキハが必要資材の整理と発注、加工指示を担当する。
神威は、最初こそ修理小屋で工具を運んでいたが、すぐに村中を走り回ることになった。
薪運び。
雪かき。
子どもの相手。
落とした荷物の回収。
時には、老人の家の屋根から雪を落とす手伝いまでしていた。
どこへ行っても、神威は歓迎された。
「神威様、こっちもお願いできるかい!」
「わぉん!」
「神威様、あんまり子どもを乗せすぎると危ないですよ!」
「わふっ」
本人はかなり楽しそうだった。
背中の芽が、褒められるたびにぴょこぴょこと揺れ、時々ぼんやり光った。
「……あれはあれで、村に貢献しています」
ツキハが言った。
「そうだな」
サトは苦笑した。
「たぶん、俺より人気がある」
「はい」
「即答か」
レラとノチウも協力した。
二人は修理小屋に横たわるハクを見た瞬間、しばらく黙っていた。
先に口を開いたのはレラだった。
「こりゃ……ちょっと勝てる気がしないな」
「ん」
ノチウも真顔で頷いた。
「これだけ傷ついているのに、まだ闘気をまとってる。大きい。硬い。たぶん速い」
「おまけに、噛まれたら終わりだな」
「踏まれても終わり」
「尻尾でも終わりそうだ」
「ん。全身、終わり」
「物騒な感想しか出ないのか、お前らは」
サトが言うと、レラはにっと笑った。
「強いやつを見ると、どう倒すか考えるのが戦士ってもんだろ」
「倒すな。患者だ」
「分かってるって」
レラは肩をすくめた。
ちょっと納屋に泊まってみたかったレタラサラ(´・ω・`)




