第128話 北方境界管理機(二)
「つまり、戦うことも目的に含まれて作られた大型四足歩行機械か」
「はい」
ツキハは頷いた。
「ただし、単純な兵器ではありません。警備、救助、輸送路管理、野生動物保護。複数の役割を持つ境界管理機です」
「境界を守る機械」
サトは呟いた。
白尾村。
北の森。
旧地下交通網。
白尾の御前。
境界。
全部が少しずつ繋がってきた。
神威がハクのそばへ歩いた。
壊れた顔の前で止まる。
大きな機械狼と、さらに大きな壊れた機械狼。
二つの白い機械が向き合う。
神威は鼻先を近づけた。
「わぅ……」
小さな声だった。
いつもの鳴き声とは違う。
問いかけるような。
悼むような。
レタラサラはそれを見て、少しだけ目を伏せた。
「神威さんには、分かるのでしょうか」
「分かっているかは、分かりません」
ツキハが言った。
「ですが、反応しています」
神威の背の芽が、わずかに揺れた。
光らない。
ただ、静かに震えている。
サトは診断に戻った。
胸部。
背部。
脚部。
主構造。
コア。
「主脊梁が破断しかけている」
サトは言った。
レタラサラの尾が、ぴくりと下がる。
「主脊梁とは」
「人間で言えば、背骨に近い。こいつの場合、胴体の駆動、信号伝達、エーテル流体の循環路がまとめて通ってる。ここが完全に折れたら、立てない」
サトは左顔面を見る。
「左顔面の構成部品が欠損している。視覚系か、周辺観測系もかなり失ってるはずだ」
脚部へ移る。
「脚部の一部が機能不全。特に左前脚と右後脚が悪い。片方だけなら補正できるが、対角でやられてるのが厳しい」
胴体下部に手をかざす。
熱はない。
だが、内部に微かな脈動がある。
「エーテル流体の循環が乱れている」
「コアは」
レタラサラが小さく尋ねた。
サトは少し黙った。
それから、胸部の奥に耳を近づける。
正確には音ではない。
だが、機械の奥から伝わる微かな振動を読む。
神威のコアとは違う。
もっと重い。
けれど、完全には沈黙していない。
「コアはまだ生きてる」
レタラサラの白い尾が、わずかに持ち上がった。
「本当ですか」
「ああ」
サトは頷いた。
「ただし、かなり弱い。レタラサラが精霊糸で保護していなければ、とっくに止まっていたかもしれない」
「私は、何もできませんでした」
「何もできなかったわけじゃない」
サトは、ハクに巻かれた白い精霊糸を見る。
それは機械としての修理ではない。
だが、崩壊を止めている。
冷えすぎた傷口を、白い雪で包むように。
「あなたが守っていたから、まだ生きている」
レタラサラは何も言わなかった。
ただ、壊れたハクの装甲に手を置いた。
◇
「数か月前のことです」
レタラサラは静かに語り始めた。
「白尾村の北の沢から、大きな侵食獣が現れました」
広間に、青白い精霊灯の光が揺れる。
「それは、雪を食べるように進みました。木も、獣も、古い道も、同じように呑み込みながら」
「村で聞いたやつか」
「はい」
「家畜も、人も、雪ごと呑み込むようなやつだったと」
レタラサラは頷いた。
「私とハクは、村へ向かう道を塞ぎました」
サトはハクの傷を見た。
正面からの衝撃。
左顔面の欠損。
主脊梁の破断しかけた傷。
装甲の焼け跡。
どれも、逃げていて受ける傷ではない。
立ち塞がって受けた傷だ。
「ハクは村を守ったんですね」
「はい」
レタラサラの声が、少しだけ震えた。
「ハクは、最後まで退きませんでした」
神威が小さく喉を鳴らした。
低く。
怒りではない。
悲しみに近い音だった。
「侵食獣は追い払いました。完全に消せたかは分かりません。ですが、村は守れました」
「その代わり、ハクが」
「はい」
レタラサラはハクのそばに膝をついた。
「ハクは既に半分機霊です。ある程度の傷であれば回復いたします。私は、雪で冷やし、精霊糸で包み、流れを整えようとしました。けれど、機械としての傷が深すぎました」
白い指が、壊れた装甲をそっと撫でる。
「最初は、眠っているだけに見えました。ですが、日が経つにつれて、ハクの精霊流も崩れ始めました」
「精霊流が」
ツキハが小さく言う。
「段階にもよりますが機霊化が進んだ個体は、機械部分と精霊体が相互に支え合います。機械の損傷が深いまま放置されると、精霊体も形を保てなくなる場合があります」
「つまり」
サトはハクを見る。
「機械として直せないと、精霊としても壊れていく」
「はい」
ツキハの声は静かだった。
だが、重い。
神威も機械であり、そうでないモノに近づきつつある。
他人事ではなかった。
サトは無意識に神威を見た。
神威はハクのそばから動かない。
壊れた巨狼の前で、静かに座っていた。
レタラサラは言った。
「私は、何百年もこの土地におります。雪の流れも、森の声も、村人の祈りも分かります」
その声は、雪のように静かだった。
「ですが、ハクの中で何が壊れ、何を繋げばよいのか、分かりませんでした」
サトは黙って聞いていた。
「ハクの崩れ方が、以前より早くなっています」
レタラサラの尾が伏せる。
「このままでは、春を待つ前に、ハクは消えてしまうかもしれません」
広間が静かになった。
外の雪の音さえ遠い。
サトは、もう一度ハクを見た。
大型四足歩行機械。
KA-4210-HK。
北方境界管理機。
村を守り、侵食獣を退け、今は壊れたまま眠っている。
そのそばで、何百年も生きた白い精霊獣が、夫を助けてほしいと頭を下げている。
これは簡単な修理ではない。
神威の整備とは違う。
部品もない。
仕様書もない。
損傷は深い。
精霊体まで崩れかけている。
サトは息を吐いた。
「正直に言います」
レタラサラが、ゆっくり顔を上げた。
「はい」
「元通りには、無理かもしれない」
白い尾が、静かに伏せた。
子狐たちも、耳を下げる。
神威がサトを見る。
ツキハも黙っている。
サトは続けた。
「主脊梁が危ない。顔面部品も足りない。脚部も二本はまともに動かない。エーテル流体の循環も乱れてる。コアが生きてるのは幸運だけど、完全復元を約束できる状態じゃない」
レタラサラは何も言わなかった。
ただ、静かに聞いている。
「でも」
サトはハクの胸部に手を置いた。
冷たい装甲。
その奥で、微かな振動がある。
「もう一度立たせる方法は探す」
レタラサラの瞳が、わずかに揺れた。
「立つ……」
「ああ」
サトは頷いた。
「走れなくてもいい。戦えなくてもいい。元の性能に戻らなくてもいい。まずは、消えないようにする。コアを安定させる。主脊梁を仮固定する。循環を戻す。それで、もう一度ハクを立たせる方法を探す」
「できますか」
「まだ分からない」
サトは正直に言った。
「でも、探す」
ツキハが静かに口を開いた。
「私も協力します。旧世界機械の構造解析、精霊流の安定化、記録照合を行います」
「わぉん」
神威も短く鳴いた。
ハクのそばから離れずに。
レタラサラは神威を見る。
「神威さんも」
「わぉん」
神威はもう一度鳴いた。
その背中の芽が、淡く光った。
今度は、サトも止めなかった。
広間の青白い火と、白い精霊灯と、神威の小さな芽の光。
それらが、壊れたハクの装甲に映る。
レタラサラは両手を胸の前で重ねた。
そして、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その声は、雪のように静かだった。
けれど、今までよりも少しだけ温かかった。
サトはハクを見上げた。
巨大な機械の狼。
壊れた境界の守り手。
この修理は、きっと簡単ではない。
だが、サトはもう分かっていた。
難しいからやらない、という選択肢は、たぶん最初からない。
「まずは、応急処置からだ」
サトは腰の工具袋を開いた。
「ハクを、これ以上壊れないようにする」
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




