第127話 北方境界管理機(一)
「夫の名は、ハクと申します」
レタラサラは、静かにそう言った。
畳の間に、青白い炉の光が揺れている。
三匹の白い子狐たちは、レタラサラのそばで丸くなっていた。
神威は畳の上でできるだけ小さく座っている。
本人は小さくなっているつもりなのだろうが、機械狼である以上、やはり大きい。
サトは湯呑みを持ったまま、レタラサラを見た。
「ハクさん、ですか」
「はい」
「そのハクさんを助けてほしい、と」
「はい」
「なぜ、俺たちに?」
当然の疑問だった。
レタラサラは白尾の御前だ。
村人たちに祀られ、何百年もこの地を見守ってきた精霊獣。
白い子狐を分身のように遣わし、結界の奥に神社のような遺跡を持ち、人の姿で茶まで出せる。
正直、サトたちよりずっと格上の存在に見える。
そんな相手が、なぜ自分たちに頼むのか。
サトが尋ねると、レタラサラは少し困ったように目を伏せた。
「私は、雪と森と精霊流のことなら、少しは分かります。人が雪の中で迷わぬよう、道を示すこともできます。悪しきものを遠ざけることも、多少は」
「多少、ですか」
「はい。村の皆さまは大げさに言ってくださいます」
「いや、たぶん大げさじゃないと思います」
サトが言うと、レタラサラは小さく首を横に振った。
「けれど、機械のことは分かりません」
その一言で、サトは少しだけ黙った。
機械。
今、機械と言った。
夫の話をしている流れで。
サトの中で、いくつかの点が繋がった。
白尾村。
旧世界の遺物。
北部排水連絡坑。
境界管理補助機。
エカシの話していた、旧世界の守り手。
そして、神威を見た時のレタラサラの柔らかい表情。
「その夫のハクさんだが」
「はい」
「もしかしてですが」
「はい」
「機械だったりしますか」
「はい」
レタラサラは当然のように頷いた。
サトは額に手を当てた。
「わかってた」
「分かっていたのですか」
「いや、分かりたくなかったというか」
サトは小さく息を吐く。
「この旅、だいたいそうなんだよ」
「そう、とは」
「困ってる相手を助けようとすると、だいたい機械が出てくる」
神威が「わぅ」と鳴いた。
「お前がその筆頭だからな」
「きゅうん」
ツキハは静かに言った。
「統計的には、かなり高い頻度で機械由来の問題に遭遇しています」
「統計で補強するな」
「事実です」
レタラサラは少しだけ首を傾げた。
「ご迷惑でしたか」
「いえ」
サトはすぐに首を横に振った。
「迷惑というより、納得しました」
「納得」
「俺は、機械を直す観測士です。完全に直せるかどうかは分かりません。でも、見なければ何も言えない」
レタラサラの目が、わずかに揺れた。
不安と、期待。
そんな感情が、そこに見えた気がした。
「実際に見ていただいた方が良いかと思います」
レタラサラは立ち上がった。
「こちらへお越しいただけますか」
◇
レタラサラに導かれ、畳の間を出る。
廊下はさらに奥へ続いていた。
外から見れば、崖に埋もれた小さな社に見えた。
だが、内部は思ったより深い。
岩の中をくり抜いたような通路。
白く結晶化した金属の柱。
壁に走る銀色の筋。
ところどころに、旧世界の金属材らしきものも混じっている。
神社。
精霊の住処。
そして、旧世界の施設。
その三つが、長い時間の中で溶け合った場所だった。
サトは杖をつきながら歩いた。
右足は、少し痛む。
だが、歩ける。
サトが回りを見渡しながらつぶやく
「見たことのない施設だ。ずいぶん頑丈そうだが…」
神威が横につき、ツキハが後ろから月片で周囲を観測している。
三匹の子狐は、いつの間にか先へ走っていった。
銀色の耳。
尾の先が光る子。
額に雪の結晶の模様がある子。
それぞれが廊下の角で振り返り、サトたちを待つ。
道案内をしているというより、奥の何かを心配しているようにも見えた。
「この先です」
レタラサラが言った。
声が少しだけ低くなる。
彼女の前に、大きな扉があった。
金属でできた扉。
表面には、白い精霊糸が何重にも張られている。
封印ではない。
保護だ。
サトにはそう見えた。
レタラサラが手をかざすと、精霊糸が静かにほどけた。
扉が開く。
冷たい空気が流れ出した。
雪の匂い。
油の匂い。
焦げた金属の匂い。
そして、古い機械の眠る匂い。
広間だった。
巨大な格納庫のような円筒形の空間。
天井はかなり高く、コクピットのようなものがむき出しになっている。
壁には白い精霊灯が並び、床には古い軌道の跡が残っていた。
その中央に、巨大なものが横たわっていた。
大型で銀白の色をした四足歩行機械だった。
狼に似ている。
だが、神威よりもずっと大きい。
胴は太く、肩は高く、脚部は太い装甲に覆われている。
雪原を走るための長い脚。
巨獣に食らいつくための強靭な顎。
背には、荷物や人を運ぶためだったのか、低い甲板のような構造がある。
だが今は、装甲の多くが黒く焼け、裂け、砕けていた。
左顔面の半分がない。
内部の骨格とケーブルがむき出しになっている。
脚の一本は不自然な角度で折れ曲がり、もう一本も付け根のあたりで沈んでいる。
胴体の中央には、深い傷が走っていた。
背骨のような主構造体が、裂けかけている。
その周囲を、レタラサラの白い精霊糸が何重にも巻いていた。
包帯のように。
祈りのように。
それでも、傷は塞がっていない。
広間の奥で、壊れかけた巨狼が静かに眠っていた。
神威が、音を立てずに一歩前へ出た。
いつものように吠えない。
尾も振らない。
背面パネルも開かない。
ただ、じっと見ている。
壊れた大型機械を。
自分にどこか近いものを。
神威は知らないはずだ。
だが、何かを感じているようだった。
「これが、ハクか」
サトは小さく言った。
「はい」
レタラサラは壊れた機械のそばへ歩み寄る。
白い袖で、傷ついた装甲をそっと撫でた。
「私の夫です」
その言葉に、サトはもう驚かなかった。
むしろ、その手つきで分かった。
レタラサラにとって、これはただの機械ではない。
ただの守り手でもない。
長い時間を共に過ごしてきた相手なのだ。
サトは杖を壁に立てかけ、工具袋を下ろした。
「見ます」
「お願いします」
レタラサラが頭を下げた。
サトは壊れた大型機械の周囲をゆっくり歩いた。
右足に負担をかけすぎないように。
だが、目は細部を追っている。
装甲の割れ方。
焼けた跡。
精霊流の流れ。
ケーブルの断面。
脚部の油圧に似た構造。
いや、純粋な油圧ではない。
エーテル流体を循環させる駆動系だ。
神威とは違う。
だが、遠い親戚のような設計思想がある。
「ツキハ」
「はい」
「型番、読めるか」
ツキハは月片をかざした。
白い光が、壊れた機械の胸部装甲に走る。
焼け焦げた装甲の下に、薄く刻まれた文字が浮かんだ。
「記録にあります」
ツキハが静かに言った。
「KA-4210-HK。北方境界管理機」
「北方境界管理機」
「旧世界の北方警備、寒冷地救助、輸送路管理、野生動物保護に用いられていた大型四足歩行機械です」
ツキハは続ける。
「神威と同じくKA系列に近い設計思想を持っています。ただし、用途は異なります。神威は移動補助、護衛、忌避、観測補助の性格が強い個体です」
「ハクは?」
「寒冷地での境界維持と大型獣対応を含みます」
ツキハの月片に、古い仕様断片が浮かんだ。
「記録上では、ヒグマと呼ばれる日本最大級の大型獣、四頭以上の同時接近にも対応可能とされています」
「四頭以上」
サトは思わずハクを見上げた。
神威より大きい理由が分かった。
ただ走るためではない。
戦うため。
守るため。
雪の中で人と獣の境界を管理するため。
これは、そういう機械だった。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




