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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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125/159

第125話 レタラサラ(一)

「分かった。落ちない道で頼む」


 サトがそう言うと、白い子狐は満足したように尾を揺らした。


「こん」


 短く鳴いて、戸口の外へ出る。


 雪は静かに降っていた。


 夜の白尾村は、昼間よりもさらに音が少ない。


 家々の窓から漏れる灯りは弱く、雪の上にぼんやりと滲んでいる。


 遠くで薪が爆ぜる音。


 風に揺れる木札の音。


 それ以外は、ほとんど聞こえない。


 神威が雪を蹴って戻ってきた。


「わぉん!」


「お前、子どもたちと遊んでたんじゃなかったのか」


「わぅ」


 神威は戸口の前で白い子狐を見る。


 子狐も神威を見た。


 しばらく見つめ合う。


 神威の背面パネルが少し開きかけた。


「光るな」


「きゅうん」


 子狐は、どこか得意げに「こん」と鳴いた。


「今、笑われたな」


「笑われた、に近い反応です」


 ツキハが月片を手に取りながら言った。


「この子狐から、村の祠と同じ白い精霊反応があります。以前、地下で私たちを導いた子狐と同系統です」


「白尾の御前の使い、か」


「はい。おそらく。ただ、独立した精霊獣でありながら、別のナニカと深く繋がっているようにみえます」


「なるほど。……分かったような、分からないような」


「おおむね通常です」


「俺の理解力を通常扱いするな」


 サトは杖を取り、外套を羽織った。


 右足はまだリハビリが必要だ。


 だが、以前のように体重をかけられないほどではなかった。


 エカシの薬と、神威の調整パルスと、ツキハの厳しい療養管理。


 歩ける。


 走れない。


 無茶はできない。


 だが、観測士として森へ出るくらいなら、どうにかなる。


「本当に行きますか」


 ツキハが言った。


「一人で行くのは不適切です」


「だから二人と一匹で行く」


「深夜の外出も不適切です」


「それは子狐に言ってくれ」


「…こん」


 子狐は、ウルウルとした瞳で鳴いた。


 「行かないの?」と言っているように見える。


 ツキハは少しだけ沈黙した。


「……無視する方が、より不適切かもしれません」


「だろ?」


「ただし、サトは杖を使うこと。神威は先行しすぎないこと。私は常時、精霊流を観測します」


「了解」


「わぉん」


 サトたちは、白い子狐の後を追って歩き出した。


     ◇


 村を抜けると、雪の音が変わった。


 人の暮らす場所の雪ではなくなる。


 踏み固められた道。


 薪を運ぶそりの跡。


 子どもたちの足跡。


 そういうものが消えていく。


 代わりに、森の雪になった。


 やわらかく、深く、どこか息をしているような雪。


 白い子狐は、その上を沈まずに進む。


 全身が雪のように白い。


 尾の先だけが淡く光っている。


 その光が、夜の森の中で小さな灯のように揺れた。


 サトは杖をつきながら歩く。


 神威が横につく。


 ツキハは少し後ろで、月片をかざしていた。


 白尾村の灯りは、すぐに見えなくなった。


 それから、しばらく歩いた。


 数刻、と言っていいのか。


 それとも、もっと短かったのか。


 サトには少し分からなくなっていた。


 月の位置が変わった気もする。


 だが、同じ木の横を何度も通ったような気もする。


 足は疲れている。


 けれど、思ったほど痛まない。


 道が、妙に歩きやすい。


 雪が深いはずなのに、杖が沈みすぎない。


 神威も足を取られない。


 ツキハの月衣にも、雪は積もらない。


 ただ、周囲の森だけが、少しずつ遠ざかっているような感覚があった。


「なあ、ツキハ」


「はい」


「俺たち、まっすぐ歩いてるか」


「地形的には、まっすぐではありません」


「やっぱりか」


「ですが、目的地には近づいています」


「そういう道か」


「おそらく」


 その時、先を行く子狐が立ち止まった。


 サトたちを振り返る。


「こん」


 子狐が鳴いた。


 その瞬間、森に新しい道が現れた。


 ように見えた。


 さっきまで、そこには木々が密に並んでいたはずだった。


 雪をかぶった枝。


 黒い幹。


 倒れた古木。


 行き止まりに見える場所。


 だが、子狐が鳴いた途端、木々の間に細い道が見えた。


 白い雪の道。


 人の足跡はない。


 獣の足跡もない。


 それでも、確かに道だった。


「……今、道が生えたか?」


「生えてはいません」


 ツキハが静かに言った。


「もとからあった道が、認識可能になったのだと思われます」


「認識可能」


「わずかに精霊流の歪みがあります。結界でしょうか。招かれないと入れないのかもしれません」


「招かれなかったら?」


「通り過ぎると思います。道が見えず、森の外側を歩くことになる」


「迷わせる結界か」


「守る結界、とも言えます」


 サトは子狐を見た。


 子狐は、もう一度「こん」と鳴いて、道の奥へ入っていく。


「招かれてるってことだな」


「はい」


「なら、行くしかないか」


 神威が低く鳴いた。


 警戒している。


 だが、敵意は感じていないらしい。


 サトたちは、結界の奥へ踏み込んだ。


     ◇


 道は、山へ続いていた。


 白尾村の背後にある、低い山。


 昼間に見れば、ただの森にしか見えない場所だ。


 だが、夜の結界の中では違った。


 木々の間に、古い石灯籠のようなものが見える。


 半分は雪に埋まり、半分は苔に覆われている。


 その灯籠には火が入っていない。


 けれど、近づくと、内側から淡く白く光った。


 精霊灯だ。


 旧世界のものではない。


 人が作った祈りの形と、精霊流が混ざったもの。


 サトはそう感じた。


 やがて、道は石段に変わった。


 朽ちかけた階段だった。


 ところどころ欠け、雪に埋もれ、木の根に持ち上げられている。


 それでも、不思議と崩れない。


 サトは一段ずつ、慎重に上った。


 右足に痛みはある。


 だが、鋭くはない。


 神威が横で歩幅を合わせる。


 ツキハは前と後ろの両方を観測するように、視線を動かしていた。


「ここ、村人は来るのか」


「足跡はありません」


 ツキハが言った。


「少なくとも最近は、通常の人間が通った形跡はありません」


「祠守りのエカシも来ないのか」


「あるいは、別の入口があるのかもしれません」


「白尾の御前専用の道か」


「その可能性があります」


 石段を登りきった先に、それはあった。


 遺跡。


 いや、神社と言った方が近い。


 だが、サトの知っている村の祠より、ずっと古く、ずっと大きい。


 崖に埋め込まれたような建物だった。


 黒い岩肌の中に、白い木組みの屋根が半分だけ覗いている。


 柱は雪に洗われ、ところどころ銀色に光っていた。


 注連縄のようなものが張られている。


 だが、それは縄ではなく、凍った精霊糸だった。


 岩と建物と雪が一体になっている。


 まるで、神社が長い時間をかけて崖に沈み、そのまま凍りついたようだった。


 サトは息を呑んだ。


「すごいな」


「精霊流が濃いです」


 ツキハが小声で言った。


「白尾村全体に広がっていた白い反応の中心に近い」


「ここが白尾の御前の住処か」


「可能性が高いです」


 神威が耳を立てる。


 その視線の先。


 建物の入口に、人影が立っていた。


 精霊灯を持った女性だった。


 出迎えてくれたのだろうか。


 変わった文様の白い外套をまとっている。


 少女だった。


 いや、少女と呼んでいいのか、サトには一瞬分からなかった。


 歳は十六歳~十八ほどに見える。


 幼さと、美しさを兼ね備えた顔立ち。


 だが、そこにある静けさは、年若い少女のものではない。


 白い髪。


 雪に溶けるような肌。


 息をしているのかどうかさえ分からないほど静かな佇まい。


 外套の裾は、雪の上に触れているのに濡れていない。


 清らかで、淡く、けれど目を離すことができない。


 サトは思わず言葉をなくした。


 綺麗だ、と思った。


 だが、その綺麗さは、村の祭りで着飾った娘のようなものではない。


 花でもない。


 月でもない。


 雪山で、間違って手を伸ばせばそのまま凍ってしまいそうな美しさだった。


 少女は、そんなサトの様子には気づいているのかいないのか、静かに頭を下げた。


「来てくださいましたか」


 声まで、雪のようだった。


 冷たいのではない。


 静かなのだ。


 降り積もるものの声。


 触れれば消えそうで、けれど大地を覆い尽くすものの声。


「私の名は、レタラサラ。ここは少し冷えます。どうぞ中へお越しくださいませ」


 その外套の後ろで、白い尾が一本、二本、三本と、雪煙の中に揺れた。


 サトは目を瞬いた。


 さっきまで前を歩いていた白い子狐は、いつの間にかいなくなっていた。


     ◇

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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